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【連載】現代史の中の農と食―かたわらにはいつも戦争があった

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

第1回 それは米騒動から始まった

 農と食について、戦前期から現在に至る歴史を追いながら考えてみる。それはそのまま民衆の生きた歴史に重なり、傍らにはいつも戦争の影があった。1回目は、近代日本における食料問題の発端ともいえる大正期のコメ騒動から取り上げてみたい。

 第1次世界大戦(1914-18)を境に、世界は大きく変わった。当然、日本の社会も揺れ動いた。

 1915年、大戦景気に沸く日本、翌々にはロシア革命が起こり社会主義国が誕生する。この時期、日本では交戦国への軍需品輸出などで企業の生産活動は大きく伸び、株や商品への投機ブームが巻き起こった。船成金、鉱山成金、株成金が輩出したのもこのころだ。物価が上がり始め、1917年に入り、とくにコメが高騰をはじめた。翌年1月には米価暴投で米穀取引所が取引を中止するまでになった。4月には外米輸入令が公布され、政府が買い入れた外米を安く売り出す。とりわけ朝鮮米の移入促進が図られた。

 7月、ついにコメ騒動が起こる。富山県下新川郡魚津町で、漁師の妻数十人が県外持ち出し米の船積みを拒否した。彼女たちは港湾荷役で男とともに働く労働者であった。騒動は瞬く間に広がり、東水橋(現在の富山市)、西水橋、滑川などに拡大した。地域紙『高岡新報』は、8月5日付けで次のように報じている。

「俄然薄暮七時頃に至るや各々家を出でて海岸に集合するもの六七〇〇名」

「全町湧き返るが如き騒ゆうの裡に夜半十二時過ぎ漸く沈静したり」

 『日本食生活史年表』(西東秋男)によると、8月に「米騒動の烽火(のろし)は一道三府三二県に波及」している。8月14日、政府はコメ騒動に関する記事を差し止める。前年のロシア革命もあってか、政府の民衆運動に対する警戒と狼狽(ろうばい)ぶりがうかがわれる。同年表はまた、次のような数字もあげている。

「――当時の子ども2人の4人家族の労働者世帯の1カ月の収入36円、同支出41円93銭5厘。うち食費22円90銭、そのうちコメ代は14円――」

 収入のほぼ4割をコメ代が占めていることになる。

 コメ騒動を契機に、日本の食糧政策は大きく変化する。1919年11月、政府は北海道産米増殖計画を打ち出す。稲作の北進の始まりであると同時に、このあとにつづく「植民地産米増殖計画」の先駆けでもあった。そして20年12月に朝鮮産米増殖計画が開始される。同時に国内の食糧を国家管理のもとに置く法整備が徐々に始まる。21年4月、米穀法及び米穀需給調整特別会計法が公布され、5月には米穀法にもとづく政府のコメ買い上げが実施されている。米価が高騰した時に払い下げるためのものだ。

 ここでは移入米についてみていく。朝鮮、台湾は当時日本の植民地だったので、輸入米ではなく移入米なのだが、それだけに基幹の食料にまで及んだ日本帝国主義の植民地支配の苛烈(かれつ)さと、そのことが朝鮮と日本の農民にもたらした矛盾をきちんとみておく必要があると思うからだ。

 植民地を対象とした米の増殖計画は、国内の農業・食糧問題の矛盾を植民地に押しつけるものであった。当時、日本の農村と農民は、地主が農地の大半を独占する地主的土地所有制のもとで困窮にあえいでいた。たとえ増産に努力しても、その果実は地主にもっていかれた。政府はその根本的な構造には手をつけず、矛盾を朝鮮、台湾など植民地に転嫁したのである。

 朝鮮半島に日本から稲作技術が持ち込まれた。深耕や化学肥料の多投をともなう近代稲作は経費がかさみ、生産現場に混乱と借金をもたらした。こうして生産されたコメは、日本のコメ商人によって安く買いたたかれ、本土に運ばれた。1918年には188万石(1石は150キロ)だった、朝鮮からの移入米は38年には1千万石を超えた。これは朝鮮のコメ生産量の4~5割にのぼる量で、文字通りの飢餓輸出であった。一方、日本の農民もまた、植民地からの安いコメの流入で米価が下落、困窮度をいっそう高めた。日本と朝鮮の双方の農民が犠牲をこうむったのである。

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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