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コロナ禍、都市では飢えが拡がり、農村では米価下落が農家を襲っている 農と食にみる10年後の現実

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

■「暗闇の思想」か「農業開国」か

 とりあえず東日本大震災と原発破裂の直後、農業ではどのような論議があったかを整理しておこう。自分自身についていうと、確か“暗闇の思想”から出発したはずだった。2011年3月11日から2週間余りが経った時だった。首都圏のはずれの山間地秩父に住んでいて、地元の日帰り温泉に行った帰途、ふと見上げると、あまりにも星空がきれいでだったことに感動し、次のように書いた。

「断続的に続く停電。4月が近いのに底冷えがする。外へ出てみると、満天の星空。これまで目を凝らしても見えなかった小さな星も見えている。ここは秩父市のはずれ、横瀬町と境を接する小高い山の上だが、こんな星空をみたのはいつだったろうと記憶をたどる。20年、いや30年くらいさかのぼるかもしれない。福島原発暴走による停電で生産も生活も停滞を余儀なくされた結果なのだが、原発を捨て、ここまで戻るのは、とても魅力的な選択ではないのか、と闇の中で空を見上げながら思う。豊前火力発電所建設反対運動のなかで松下竜一は「暗闇の思想」を書いた。今後展開するであろうこの列島の、想定されるシナリオを思い浮かべ、いま私たちに必要なのは、「暗闇を取り戻す思想と行動」なのではないか、と考えた。」(2011.3.29記『反改憲通信』)

ここで書いた「想定されるシナリオ」とはこういうことだ。

「暴走する原発を何とか抑えつけ地震と津波被災地で復旧が始まる。あの事故を抑えつけた日本の技術力は称賛され、付加価値となって原発輸出が加速する。津波被災地では、多国籍企業を含めた大手ゼネコンがひしめき、国家事業となった震災復興に群がる。震災特需に世界中から資本が入り込み、震災が長く停滞する先進国経済の救世主となる。被災者の不満を抑えるために、社会の管理化が急速に進む。復興資金を稼ぐためには、より一層の経済のグローバル化が必要との声が政治家と経済界で高まり、TPP(環太平洋経済連携協定)参加論議が勢いを得て、そのことに反対するのは非国民、といった空気がかもしだされる。原発事故で有事に強い日米軍事同盟の威力が宣伝された結果、普天間を含む沖縄の基地闘争は、これまた非国民・国賊扱いとなり、孤立する。」(同通信)

このシナリオは、これを書いた時点ですでに動き出していた。震災から1か月後の4月18日、日本経団連が通商戦略に関する提言を発表した。

提言は、大震災後、論議が停滞しているTPP(環太平洋経済連携協定)について、「早期参加は依然重要な政策課題」とそたうえで、「震災後の経済復興に向けたグローバルな事業展開、円滑なサプライチェーンの構築に不可欠」と主張した。続いてマスコミが動いた。各紙がそろってTPP推進の理由として推進論者は「震災復興」をあげる。「震災復興のための巨額な資金を稼ぎだすために日本経済を活性化させなければならない、それにはTPPだ」という社説を掲げた。

極めつけは、高名な農業問題のエコノミスト山下一仁氏の以下のような論考だった。農水省の元幹部で財界系のシンクタンクにいた山下一仁氏が『週刊ダイヤモンド』4月23日号に書いている「効率的な農業と生活を実現する農村復興策を大胆に実行すべき」という一文である。彼は「今回は、農業を効率的産業として新生させる大きなチャンスでもある」と書いた。

「これは以前の農業の復旧ではない。効率的な新生農業の建設である」

 

震災復興を口実に、一挙に小さい農家や高齢農家をつぶし、一般企業を農業に参入させて、TPPによる「農業開国」に勝ち抜ける大規模農業をつくりあげようということである。

■「消えるだけですよ」

それから10年が経った。TPPは実現した。2012年に成立し、その後2020まで8年間の長期政権を作り上げた第二次安倍政権は、アベノミクスと自称した経済政策の柱の一つに「強い農業」づくりを置き、山下一仁氏が提唱した農業の大規模化・合理化、輸出産業化を進めてきた。その結果はどうだったか。

ある日、島根県石見地方の中山間地の空っぽになった実家に、お盆で帰っていたという友人がいきなり現れた。「村は空き家と放棄地だらけ、かつて25戸あった出身集落はこのままでは5年後に5戸になる、親戚や友達に会うと、『この村はどうなるのだろう』という話ばっかりだった」と開口一番言う。

「それでどうなるの」

「どうなるもこうなるもないでしょう。消えるだけですよ」

 

全国、どこにでもある光景にすぎない。近所の行きつけのご飯屋さん兼飲み屋さんに行ったら、マスターが浮かぬ顔で、「大野さん、自然養鶏の卵を出してくれる生産者、知らない」と聞く。これまで買っていた養鶏農家が高齢でとり飼いをやめてしまったのだという。この店は地元産しか置かない。しかし探しても秩父地域には自然養鶏をしている人が見つからないのだという。実は多摩シャモも手に入らなくなった、という。この店の多摩シャモの卵とじ膳は天下一品なので、それが食べられなくなるなあ、とマスターの浮かない気持ちが伝染してしまった。

この問答があった数日前、秩父市内で一軒だけ残っている八百屋さんから、地元の生産者がどんどん減っているという話を聞いたばかりだった。野菜やキノコ生産者が次々廃業しているのだという。「何しろこの世界では、あの人も歳だから、という人で90代、まだ元気でやってるよで80代、あの人は若いから、で70代だからね」と笑った。

農林統計を調べてみた。主業農家という概念がある。「農業所得が50万円以上で、年間60日以上農業に従事する65歳未満の者がいる農家」と定義されている。その層が大震災前年の2010年には36万戸あった。それが2020年には23万戸になった。3分の1が消えてしまった。これが国の「強い農業」づくりの結果である。

■そしてコロナ

 コロナが始まった頃、農業や健康を所管する国連機関が、食料不安が起こる懸念を警告した。農林水産省は「そんなことはない」と否定した。そして現実にはスーパーには食料品があふれ、コメも肉も、品目によっては野菜も値下がりしている。世界中から食料を買いあさるこの国の食料政策が成功したということだろう。

 だが、もうひとつの現実がある。日本社会にリアルな飢えが広がっている。実は昨年春から、山形、新潟を中心とする農民と貧困に取り組んでいる市民組織をつないで、コメと野菜を送る組織を仲間と立ち上げ活動している。そこから見えてくる風景は、まさに社会の底が抜けたと表現してよい実態だ。

都市でお金がなくて“食べられない”人たちが増えている一方で、農村ではいま生産者米価の下落が深刻化してきる。今朝、日本有数のコメ度どころ上越で大型稲作をやっている友人からメールが入った。米価下落とコロナによる需要減は農協とコメ農家を直撃、彼のところでも年明けに送る予定だった外食産業向けの契約が破棄になって、急きょ売り先を探しているということだった。村もまた貧困化の過程に突入したのだ。

町の貧困と村の貧困の同時発生、現実に食えない人たちが増える一方で、農産物価格は低落に過程に入り、食料の店頭価格は値下がりし、しかも食料品はあふれている。震災後10年の現実である。この現象をどう読み解くか。いまの農業食糧問題の核心はここにある。

(本稿は『まなぶ』2021年3月号掲載の拙稿に加筆したものです)。

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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