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ゆっくり、小さく、弱くてもいい  もう一度、生身を取り戻すしかないよなぁ

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

◆多摩シャモの卵とじ膳が食べられなくなった

 近所の行きつけのご飯屋さん兼飲み屋さんに行ったら、マスターが浮かぬ顔で、「大野さん、自然養鶏の卵を出してくれる生産者、知らない」と聞く。これまで買っていた養鶏農家が、高齢で鶏飼いをやめてしまったのだという。

 

 この店は地元産しか置かない。しかし探しても秩父地域には自然養鶏をしている人が見つからないのだという。みんなやめてしまったのだ。ぼくにもあてがなく県外なら知っているけどといったが、マスターは首をひねって、実は多摩シャモも手に入らなくなった、という。この店の多摩シャモの卵とじ膳は天下一品なので、それが食べられなくなるなあ、とマスターの浮かない気持ちが伝染してしまった。

 この問答があった数日前、秩父市内で一軒だけ残っている八百屋さんから、地元の生産者がどんどん減っているという話を聞いたばかりだった。この人は秩父市の公設卸売市場で仕入れているのだが、そこに出してくれる地元の野菜やキノコ生産者が次々廃業しているのだという。この八百屋さんは2代目で、先代から秩父野菜にこだわり、地元の生産者のことならみんな知っている。そして、「地元野菜が手に入らなくなったら店を閉じるしかない」と話す。そうなると秩父市民は遠距離輸送されてくるものをスーパーで買うしかなくなる。

 「なぜ辞めるのだろう」と聞くと、歳を取って車の運転が難しくなり、市場に運べないから。という返事が返ってきた。「何しろこの世界では、あの人も歳だから、という人で90代、まだ元気でやってるよ、で80代、あの人は若いから、で70代だからね」と笑った。

◆より早く、より大きく、より強く

  

 かくいうぼくも、四国山脈の真っただなかの村で育ち、農学を勉強して農業記者になり、日本とアジアの村を歩き続けていつの間にか80歳を超えた。戦前からいまに至る村の営みを、身をもって知っている農業記者はそんなにいないだろうう何の根拠もない自信だけを抱えて、いまも農業や運動の現場を徘徊し、迷惑をかけている。

 同時に仲間と小さな畑と田んぼを耕し、地場の小麦や大豆、雑穀などの種採りをやり、近所にある特別支援学校の子どもたちの農作業を手伝い、直売所をつくったりしている。そんな日常の営みの中で、食と生命科学の分野で日本の市民社会を代表する論客である科学ジャーナリストの天笠啓祐さんから声がかかり、二人の対談で「敗戦からポストコロナまで」を概観する『農と食の戦後史』を上梓した。

 本をつくりながら考えたのは、この国の村と農業がなぜこんなふうになってしまったのだろうかということだった。敗戦直後の短い期間、戦地から帰ってきた農民兵士を迎えた村は、若い人があふれ、農民を地主制の桎梏から解放する農地改革など一連の民主化の過程を経て、「耕す者が土地をもち利用する」自作農が主役の社会になった。その時代をぼくは前掲の本で“一瞬の夏”と表現した。

 1950年代後半、朝鮮戦争という他国の戦争に便乗してこの国で経済成長が始まるとともに、村も農業も急速な変貌を遂げる。“より早く、より大きく”をめざして「農業改革」が進み、1980年代以降、地球の果てまでを市場競争に巻き込むグローバリゼーションが進む中で、そこに“より強く”が加わる。そんな価値観が横溢するなかで、小さな自作農が生き延びていけるはずがない。

 戦争という犠牲を民衆に強いて達成したはずの自作農の国は今、その自作農が死屍累々と横たわる国になった。90代のお百姓が引退すると、地域に住む人たちに地域で作られた野菜が届かない。「俺たちはなんて社会をつくってしまったのだ」と思わずため息がでる。

◆生身の作り方、食べ方を

 

 山形県置賜地方に「影法師」というおじさんフォークグループがある。いや団塊の世代だからじいさんグループか。本職はお百姓で、60年代のフォークの時代から歌い続けている。農家の嫁の悲哀を歌った彼らの持ち歌に「ため息ばかりがうまくなったの」という一節がある。

 前掲の『戦後史』も読みようによってはため息のようなものかもしれないけれど、戦前から戦後を生きてきた老いぼれ記者としては、反撃しなければあまりにも悔しいので、ここはひとつ逆張りでいったらどうかと思っている。

 「より早く」ではなく「ゆっくりゆっくり」、「より大きく」ではなく「小さく小さく」、「より強く」ではなく「弱くていいさ」。

 そう思うには根拠がある。秩父のような辺境の地にもコロナの影響は色濃くあって、街のはずれの道路脇や畑の隅に、小さな無人野菜直売所がいくつか出現した。30年前、秩父に住み始めたころはいたるところに無人直売所があったが、次第に姿を消し、今ではほとんどなくなっていた。じいさんばあさんが引退し、その後の世代はこんな辛気臭い、割に合わないものは敬遠したからだ。

 だけど必要度は逆に高まり、連れ合いとぼくが始めた特別支援学校の子どもたちと作った野菜を置いた小さな小さな直売所は、買い物難民となった地域のお年寄りに愛され、2年ほどでおよそ7、80万円の売り上げをあげ、全額学校会計に繰り入れる快挙を成し遂げた。買う人はみんな、「やっぱりおいしいね」といってくれる。

 農業生産の現場はスマート農業とかAI農業と化し、食は加工食品、野菜もカット野菜となって農も食も身体性を捨て工業化されていくが、作る方も食べる方も生身であることに変わりはない。生身の、身体性をもった確かな農業と食に立ち返ることで、何とかなるのではないか。そんなところからこの先の世を、じっくり考えてみたいと思っている。天笠さんとぼくの結論もそんなところに落ち着いた。

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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