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コロナ禍、食料があふれて値下がりしているのに飢えが拡がる現実をどう読み解いたらいいのだろう

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

 新型コロナウイルスはこの世に積み重なった諸々をあぶりだしました。都市と農村、食と農という境目に視座をおいて、その諸々の来し方行き末を考えてみたいと思います。

◆もろもろの魑魅魍魎が首を出した

 地獄のふたがあいたという表現があります。天変地異や悪魔のような独裁者が出現して魑魅魍魎がこの世にあふれ出し、大混乱に陥るさまをいったものです。今回のコロナ騒動がそこまでのことなのかどうかは判然としませんが、ぼく自身は「社会の底が抜けた」という言い方をしています。この春から山形、新潟などのコメ百姓、三里塚や神奈川の野菜百姓と手を組んで、コロナで現実に食べられなくなった人たちと「米と野菜でつながろう」という活動を行っています。

 そのかかわりで、反貧困ネット、山谷の労働者が作った企業組合あうん、移住労働者やその家族の人権問題に取り組んでいる移住連(移住労働者と連帯する会)、野宿・日雇労働運動に取り組んでいる山谷日雇労組、京都で野宿者支援活動をしているきょうと夜回りの会、といった貧困問題に取り組む市民組織と手を組んで動いてきました。

◆底辺から広がる貧しさと飢え

 そこで見えてきたことは、やはり衝撃でした。この豊かな日本(と多くの人が信じている)でリアルな飢えが社会に着実に広がっているという現実、にです。もちろんこれまでも日本社会に貧困はありました。リーマンショック時の2008年から2009年にかけての正月の期間、不安定労働者の首切り、いわゆる派遣切りが大量に出たとき、いくつもの社会運動、労働組織が手を組んで日比谷公園に「派遣村」をつくり、貧困を人びとの前に可視化しました。

 しかしこのときは、貧困が「派遣村」という形で可視化されたものの、派遣労働者という一部の人の問題をいう枠を出ることはなく、日本の見せかけの「豊かさ」の中にうずもれていきました。そしてコロナです。派遣村当時と異なるのは、貧困が社会の底辺からじわじわと、あるいは急速に、水が染みわたるように社会の隅々に拡がっていることです。私たち「コメと野菜でつながろう」グループのカウンターパートであるコロナ緊急支援の市民グループの事務局長をしている瀬戸大作さんの電話はひっきりなしに鳴り響きます。

 路上から、夜の公園から、SOSを求める電話です。もう三日食べてない、持ち金はあと300円、そんな電話です。車を飛ばして現地に飛んだ瀬戸さんは、仲間と集めたカンパから当面の生活費を渡し、とりあえずビジネスホテルを確保、翌日地元の市民団体と自治体議員に連絡して生活保護申請に同行します。「いまはこの果てしない繰り返しをするしかない」と瀬戸さんは言います。

 高齢者も女性も若い人も、冬を目前に仕事はますます少なくなっています。コメを送っている山谷日雇労組に聞くと、これまで週一度あった失業対策の仕事紹介が2週間に一度になった。そこで1日働いて8000円。それで2週間を過ごさなければならない。「炊き出しがいのちの綱になっている。こちらも一生懸命に取り組みますが、この冬はかなりの餓死者が出る恐れがあります」と話してくれました。

 シングルマザー、高齢者、失業者、移住労働者が街にあふれ、皆なおしゃれだったり、小ざっぱりした身なりなので貧困は目に見えませんが、仕事がなくて日1食しか食べられなかったり、お金がつきて最後の砦である住まいを追い出される寸前だったりします。路上生活者と日常を当たり前に送ってきた人との境目がなくなり、政府創作の虚構の株高で踊る一部の人を除き、社会全体が下へ下へと底辺に向け滑り出しているのです。まさに「底が抜けた」のです。

◆日常化したホームレス状況

 そのことを身に染みて感じたことがありました。日本キリスト教婦人矯風会という組織があります。古くから女性の身売りなどの問題に取り組んできたところで、HELPという女の駆け込み寺、緊急避難シェルターを運営しています。そのHELPの2019年度活動報告を見る機会がありました。

 1年間の入所者は67人と同伴児12人。内訳は、成人女性で日本国籍の人が57人、外国籍の人が10人でした。かなりの人が子連れで駆け込んでいます。衝撃だったのは、なぜ駆け込んできたのかのいう問いへの答えです。日本国籍の人の場合、「ホームレスになったから」が第1位で、次いで「夫・恋人の暴力」が2位。二つ合わせて84%になります。外国籍の人の場合、順位は逆ですが、二つ合わせると92%になります。ついこの間まで、ホームレスは特別の事情という範疇に入っていました。いま、それが当たり前の日常になっていることを、この数字は示しています。

◆あふれる食料と飢えが共存する社会

 その当たり前の日常の中に住まいの問題と合わせ、「食べられない」という現実が加わっています。飢えもまた、日常化したのです。コロナが始まった頃、FAOやWHOといった農業や健康を所管する国連機関が、食料不安が起こる懸念を警告しました。それを受けて、学者やジャーナリストの中には日本の食糧自給率の低さを指摘して、日本も大変なことにあんると書いたりしゃべったりしています。ところが現実はスーパーには食料品があふれ、天候の加減で出来が良くなかった野菜をのぞいてコメも肉も値下がりしています。秋を迎え、新米も値下げに大きくふれています。食えない人たちが増えている一方で、店頭価格は値下がりし、しかも商品はあふれている-この現象をどう読み解くか。いまの農業食糧問題の核心はここにあります。

 学者先生たちの言説を読んでも誰も教えてくれないので、自分で考えることにしました。以前、いいかげんに読んで放り出しておいたアマルティア・センの『貧困と飢餓』を本棚から引っ張り出して改めて読み始めました。センは貧困研究でノーベル経済学賞を受けたインドの経済学者です。岩波現代文庫版の帯には「食料があるのに、人はなぜ飢えるのか?」とあります。これこれ、と思って読み進めたら、ぼくが悩む必要はなく、とっくにぼくが悩んでいる課題にセン先生は答えを見つけてくれていました。

 誤読を怖れず、自分なりの解釈をすると、センは次のように言います。食料供給の問題(供給力の不足)は飢餓のきっかけにはなっても本質ではない。また単純な購買力不足だけではとらえられない。それは雇用機会や雇用形態(正規か非正規か、派遣か、といった)や社会保障、保健衛生、相互扶助といった社会のあり方そのものなのだ。また飢餓の影響は単に数字に還元できるものではなく、地域や所得階層、人種や民族、性別、年齢などによって異なった形で現れる。多くのセン研究者はここにセンの「底辺へのまなざし」をみます。現代文庫の二人の訳者は、その後のセンの研究成果から大切な概念を導き出しています。それは、人びとに飢えをもたらすものとして、民主主義と自由、表現の自由の欠如をあげていることです。いま、この社会を覆っている“静かな飢え”に立ち向かうには、こうした広範な分野を横断する対抗軸を作り上げることが必要なことを、センの理論は提示しています。

 それはコロナが引き起こした魑魅魍魎の徘徊を、デジタルで監視・統制しようとしている菅政権に対抗する道筋でもあります。

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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