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コロナ、「新たな日常」と「欲しがりません勝つまでは」 大野和興

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

 新型コロナ緊急事態宣言が39県で解除された5月14日、安倍首相は記者会見で「新たな日常を取り戻す」と述べました。「新たな日常」っていったい何だろうと考えていたら、突然「欲しがりません、勝つまでは」という戦中標語が頭に浮かびました。戦時体制下のニッポンで、“銃後の国民”を戦争に総動員するための意識操作といえます。このお上の呼びかけに応え、生活の隅々から不要不急の「贅沢用品」が排除されていきました。

 国民統合のためのイデオロギー攻勢です。安倍首相が呼び掛ける「新たな日常」もまた、国民の統合を意識してのイデオロギーの押し付けにほかなりません。筆者が専門とする農業・食料問題でいえば、戦中、国家総動員法のもとで、軍と国民の食料を確保するという名目で花栽培が禁止され、種や球根を廃棄させられたという事実があります。また青森県下では田んぼの除草よりリンゴの袋掛けを優先させた農家が警察に拘束されるという事件もありました。

 為政者は新型コロナ対応を戦争に例えるのが好きです。安倍首相も5月14日の記者会見で、「新たな日常」と同時に「持久戦」を国民に呼びかけています。安倍首相ばかりでなくどの国でも新型コロナ対応を戦争に例えるのが好きです。

 そのことを反映しているのか、欧米や東アジアのコロナ抑え込み経験を観察しますと、最も効果があるのはどうやら「自由と人権を制限する」ことのようです。「自由と人権」という人類が積み上げてきた普遍的ともいえる価値を制限するには強権がいります。コロナの場合、それは国家権力として現れます。国家が強権をふるうに際して邪魔になるのは民主主義です。この自由と人権の制限、強権政治、民主主義の侵害、この三点セットがそろったとき、「コロナとの戦争」に勝てる、そんな構造が浮かび上がります。日本の官邸・自民党は憲法に非常事態条項を加え、この際強権で何事もやれる体制を作るチャンスと見て、動き出しています。

 さて、その次に来るのが「新たな日常」です。意味することは明確です。コロナ下で非常事態ということで行われた強権政治、権利と自由の制限、監視と密告、自粛といった行動様式を、長期戦という名のもとに、そのまま日常化していくということです。

 人と人を切り離し接触を封じると同時に、感染者は隔離するということが、いまのところ最も有効な手立てであるコロナ対策によって現出している社会の延長線上に見えるのはディストピアにほかなりません。

 人間は関係性の存在です。人と自然、人と人との関係性の中ではじめてヒトという生き物は人間になる。その関係性は精神と身体の両面を含んでいます。AIとITででオンライン会議を開いても、面と向かわなければつかめない相手の息づかいやあいまいな微笑が何を意味しているかなど分かりはしない。

 人と人を切り離すことに意味を見出す社会にコミュニティは必要ありません。グローバリゼーションの中で地域社会が壊され、家族が解体されてきました。そうして現出した“分断された個”をコロナ社会は分子レベルまで寸断していくでしょう。そこからはみ出した個は、自粛警察がよってたかって糾弾し、黙らせる。その先の「新たな日常」がどのような日常か。そこからはみ出す方策と手段をじっくり探りたいと思っています。

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

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