Yahoo!ニュース

小さい百姓はやっぱり農協がないと困るのだ

大野和興ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

小さい百姓はやっぱり農協がないと困るのだ

農協悪者論が幅を利かせている。それを煽り立てているのが安倍政権だ。農協があることで日本の農業がダメになり、それが足かせとなって日本経済を発展させる経済・金融の自由化の足かせになっている、という論理だ。だから岩盤規制にドリルで穴をあける最大の対象に農協が挙げられた。それを見てもわかるのは、農協悪者論は権力をもち、経済的にも力があるものから発信されている、ということだ。では弱者からみたらどうか。こういう話は具体的なものがいいので、二つの地域を足で歩いて感じたことを書いてみた。(大野和興)

◆秩父にて

首都圏に西に外れの山また山の山間地、埼玉県秩父に住んでいる。秩父市内の街中まで含めても林野率90%台だから、ろくな耕地はない。イチゴの観光農業をやっている何戸かをのぞき、みんな兼業で、それも「年金+農業」というのが圧倒的だ。年金といっても、国民年金が多いから、もらえる金はわずかだ。当然「+農業」への依存度が高い。

といっても、年寄りが小さな畑をかき回しているだけだから、低コスト大量生産の政府推奨のようなものはできない。いわゆる多品目少量生産で、細々といろんな方法でおカネに換えるしかない。畑や家の軒先に小さな屋根付き棚を置いて、お金を入れる小さな箱と野菜を並べ、100円から200円ほどの値札をつけて販売する軒先販売もかなりあるが、この頃は数が減っている。金を入れなかったり、100円のものを10円入れて持っていく人が増えたせいだ。

そんなわけで農協の直売所へ出す人が結構いる。それなりの売り上げがある。15年くらいまえ、ジンバブエの農村活動家が来たことがある。アフリカの農民組織と連携する日本のNGOで活動する友人が、山村の農業を見せたいと連れてきたので、アフリカの小農に役立つかどうかよくわからなかったが、奥秩父の傾斜農業とJAちちぶの直売所を案内した。そのときJAの担当者が、「ものを出す農家がみな年を取ってきたので、直売所もいつまでもつか」と情けないことを言っていた。こちらも「それはそうだな」と納得して、ジンバブエに人に、秩父には年寄りしかいない、と解説した。

それから15年がたったが、直売所は今も健在で、品物もよく集まり、よく売れている。秩父の飲み屋さんでも、直売所に買いに行く人が多い。農作物を出していた年寄りが死んだり、弱って子どもに施設に入れられたりしても、年寄りは次から次へとわいて出てくるから問題ないのだ。なにしろ秩父には年寄りと年寄り予備軍しかいない。当分年寄りには困らない。

そんな年寄りが「年金+アルファ」を稼ぎ、とりあえずお上の世話にならないで生きていけるのは、農協があるからだといってもよい。農協もまた協同組合なのだ。と世間に強調しなければならないのは悔しいが、協同組合とは、“小さきもの”が肩を寄せ合い、高利貸しや農家に高い肥料を売りつけたりコメを買い叩いたりする強欲資本と渡り合うために自主的に作ったものである。JAの直売所はその見本だな、ということが、小さな傾斜畑(秩父では「ななめ畑」とよぶ)しかない秩父に住んでいるとよくわかる。農協がなくなっていちばん困るのは、そのななめ畑にへばりつくように生きてきた百姓なのだ。弱者集団に属するものにとって、いろいろあっても農協はないと困る存在なのである。

◆福島にて

そのことをもっと深く感じたのは3・11大震災・核発電所爆発のあとの福島においてであった。3・11直後から福島の村に出かけた。当然いくつもの農協にも出入りした。改めて感じ入ったことがある。農協はやはり人の組織だなあ、ということである。普段はそのことが目につかず、株式会社と同じ資本の組織、といった側面が目立っていたし、世間もそう見ていた。世間ばかりでなく、当事者の役職員もそんな風に思い込んでいたふしがある。ところが、いざ農業も村も、自身さえ存在そのものを否定される事態に直面して、がぜん農協はその本領を発揮した。

理屈はいいので、いくつか例を挙げると、例えば押しつけと評判がよくない農協共済。地震で建物や車が大きい損傷を受けた。普段なら保険金が下りるには、査定やらなにやら時間と手間がかかる。このとき福島のいくつもの農協は、自身の農協の積み立てていた内部留保金を下して、単協の判断で手早く保険金を組合員に支払った。ある組合長に、そんなことをして全共連が出せないといったらどうするの、と聞いたことがある。彼は、こんな時のために積み立ててきた金なのだから、この際全部使い切る、共済連が四の五のいっても、あとで強引に取りたてる、と話した。

放射能汚染で福島の農産物は売れなくなった。ぼくの知っているJAたむらとかJA東西白川などは、組員が持ち込んでくる農作物は全量引き取り、組合員に代金を仮払いしていた。ここでも聞いたみた。

「売れないのにどうするの」

「東電に支払わせる」

「東電が払わないといったら」

「そんなことはさせない。時間はかかっても断じて払わせる」

JAたむらでは、そのための対策室をつくり、専任の職員と法律顧問をおき、原発事故で起きた組合員の損害をすべて調査し、数え挙げて東電に持ち込んだ。専任職員の人件費や法律顧問への支払いも東電に請求した。

このとき困ったのは、それまで農協に出さず、自力で販売していた農家だった。有機農業を営み、提携している消費者に直接届けていた有機農家が真っ先に提携消費者や消費者組織から切られた。市場のほうがまだ温情があった、という声も聞いた。いまさら農協に頼めない。それでも頼ってきた農家のものは、これまで取引がなく、どちらかといえば農協批判勢力だった人のものも引き受けた農協は多くあった。

福島だけでなく、大震災で大損害を受けた岩手、宮城でも、各地の農協は倉庫を開き、そこの積んであったコメを地域に住民に配った。こうした話に接すると、ある意味感動的ですらあった。「やっぱり農協だなあ」と思ったものである。

ジャーナリスト(農業・食料問題)、日刊ベリタ編集長

1940年、愛媛県生まれ。四国山地のまっただ中で育ち、村歩きを仕事として日本とアジアの村を歩く。村の視座からの発信を心掛けてきた。著書に『農と食の政治経済学』(緑風出版)、『百姓の義ームラを守る・ムラを超える』(社会評論社)、『日本の農業を考える』(岩波書店)、『食大乱の時代』(七つ森書館)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)『農と食の戦後史ー敗戦からポスト・コロナまで』(緑風出版)ほか多数。ドキュメンタリー映像監督作品『出稼ぎの時代から』。独立系ニュースサイト日刊ベリタ編集長、NPO法人日本消費消費者連盟顧問 国際有機農業映画祭運営委員会。

大野和興の最近の記事