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台風19号の報道から「ニュースメディアのこれから」を考えた

奥村信幸武蔵大教授/ジャーナリスト
台風19号で多摩川は大幅に増水、世田谷区では浸水の被害も発生した(写真:アフロ)

 台風19号で被害に遭われた方やそのご家族、あるいは、現在も警戒に当たっている方、避難を余儀なくされている方に心からお見舞いを申し上げます。救出や復旧活動に携わっている方々に敬意を表します。

 被害状況や交通機関の影響など完全に把握し切れていない状況ではありますが、災害報道も研究している者として、クイックリアクションはしておくべきだと考え、この文章を書いています。私がこの一両日に見聞きした、「限定的な」台風関連の報道や情報サービス等から感じたことですので、「問題意識を共有するためのメモ」程度のものと思って下さい。人は忘れやすいものでもありますので、今のうちに新鮮なアイディアを共有して議論を促すことも重要だと思うのです。

 今回、自分や家族などの物理的に安全を守ったり、安心を確保したりするのに、ニュースメディアはどのくらい役に立ったと、みなさんは思っていらっしゃるでしょうか。そのような素朴な感覚を、ひとりひとりが経験に基づいてメディア側にフィードバックしていくことは、とても大事なことだと思います。

 私が何度か取り上げている『Elements of Journalism(ジャーナリズムの原則)』という本(最新は2014年の3版)で、2007年に改訂された際に9項目だった「原則」が10に増えました。追加されたのは、「市民の側も、ニュースをより良いものにしていくことについて、権利と責任がある(Citizens, too, have rights and responsibilities when it comes to the news. 訳は筆者による)」という一文です。インターネットやソーシャルメディアの時代に、ニュースの消費者もメディアに対し、何を伝えることを期待しているのか表明し、求めるものが伝えられているのか検証し、意見する責任もあるということです。

マクロな報道とローカル・ニーズのギャップ

 台風19号でニュースを頼りにしてテレビを見た人は、台風の進路予想や、気象庁が1都6県に大雨特別警報を発令し、「これまでに経験したことのないような大雨」に見舞われるシーンを目撃して、関東地方を中心に中部や東北地方の一部が含まれた地図で、降雨量や河川の増水などのグラフなどを見て、「大ぐくりに」災害の規模を知ります。

 さらに増水して黒い水が勢いよく流れる箱根からの中継や、河川敷のグラウンドなどが水没してしまった多摩川からの中継レポートなどを見て、深刻さをインパクトを持って認識します。

 しかし、最終的に知りたいのは、「我が家は大丈夫だろうか」「実家の祖父母は避難した方がいいのか」という、もっと切実な問題かもしれません。テレビで中継された場所がたまたま、自宅の近くだったりすれば、河川の増水の具合などを類推できるかも知れませんが、確率はあまり高くないでしょう。そもそも、避難の準備などを考えている人が、いつ放送されるかもわからない、その場所の中継を待っていることは考えにくいからです。

 以前に書いた原稿(『災害報道におけるメディアの「構造的弱点」』)でも議論しましたが、伝統的なメディアの災害報道では、危機が迫っているという全体的な警告を発することはできても、「今ここにいる私は、どうすればいいか」という判断の決め手となる情報まで供給できていないのです。

公的情報に「限界」も

 私が住んでいる東京都杉並区では、大きな被害は出ませんでしたが、大雨でしばしばあふれる善福寺川や妙正寺川の水位は多くの人が心配していました。NHKテレビでも時折、中継の映像とともに「善福寺川が警戒水位を超えて危険な状況」であることは断片的に伝えられましたが、それでは自宅周辺の状況を知るには充分ではありませんでした。

 住民は杉並区のホームページからリンクされた、日本気象協会が提供する河川情報のページなどを通じて、自宅の近くにあるポイントで測定された水位のデータや、5分おきに更新される定点カメラの画像などを参考にしたと見られます。

 水位が最も危険なレベルにまで達した2019年10月12日の午後5時前後を中心に、杉並区のホームページを含め、閲覧しにくい状況も起きていました。(この問題には総務省が推進してきた「自治体情報セキュリティクラウド」が原因とする指摘も出ています。公共の重要な情報に対するアクセス保証の問題なので、詳細な検証が待たれます。)メディアが、信頼のおける情報源を厳選し、最新情報を一覧できるような仕組みなどを作ることは、将来考えられないでしょうか。

「情報を取りに行く」作業が不可欠

 善福寺川は10月12日の午後5時前後をピークに、台風が最も接近する前に少しずつ水位が下がりました。環状7号線地下などの貯水池に取水が始まったためとも言われていますが、そのような情報はツイッターで断片的に伝えられた区議らの個人アカウントが発信源で、公の情報源では確認できませんでした。

 ツイッターでは、自分のスマホなどで撮影した映像や画像などもハッシュタグ「#善福寺川」などで共有されましたが、大半は河川情報のホームページのリンクや画像を貼り付けた二次情報や、「持ちこたえてほしい」などの「願望」やエール交換も多く見受けられた印象でした。杉並区に関しては、ツイッターはメディアが伝えない特別な情報を得るというよりも、心配を共有する人のコミュニティ的な、心理的な効果の方が大きかったのではないかというのが個人的な印象でした。

 家族で避難するかどうかの判断を迫られている人なら、自ら川の様子を見に行ったり、限定されたエリアの情報を早く把握できる河川情報のページにアクセスしたりする方法を選択するものと思われます。実際の行動を起こすために情報を得るには、パソコンやスマホで「情報を取りに行く」ことが必要になります。

 テレビや新聞のサイトの「マクロな情報」と、災害に直面した人のニーズには「大きなギャップ」が発生してしまうという問題を実感した人も多かったのではないかと思われます。

「テレビ中継」の意味を問い直す

 それでも、危機が切迫していたり、被害が深刻だったりする地域から中継レポートする「一定の」意味はあります。人は「自分は大丈夫」という、いわゆる正常化バイアスがかかりがちと言われていますので、「ちょっと待てよ」と警鐘を鳴らすというという心理的な効果は大きいはずです。災害の深刻さに気付いてもらい、ボランティアや募金などの協力を考えたり、将来の備えを進めようとする動機を与えることも重要です。

 しかし、生中継レポートが提供する情報の効果は、非常に「限定的」とも言えます。いささか印象論になりますが、大半の記者レポートは現場の「描写」にとどまっていました。災害で直接の被害の恐れがない人たちが「見せ物として消費するためだけの情報」にもなりかねません。

 例えば、レポーターのコメントからは「私はこの地点で朝から取材を続けていますが・・」というフレーズを何回も聞きました。その辺りや上流の雨の降り方、台風の進路との関係などを踏まえ、水位がどのくらいのペースで上がったかなどの、客観的なデータを提供するように努めることで、単なる情景描写のレポートでなく、周辺や他地域の人が参考にする、「役立つ」情報に変えることができるかもしれません。

 あるいは、下村健一さんがツイッターで指摘していたように、ヘリコプターの中継は、被害が最も深刻な場所だけに焦点を合わせがちです。しかし、せっかく俯瞰で見ているのだから、水の被害がどの方向に広がっているのか、いかなる速さで進んでいるのか、境界を見せて避難を促すような工夫も効果的かもしれません。

 不特定多数の視聴者に被害を伝える中にも、「これからどうなる?」という、特定の地域住民の心配に応えたり、似たような問題を抱える人にも参考になる要素を加えることは可能です。単に情景描写のしゃべりが上手いだけでは、優秀な災害レポートとは言い難い状況になってきました。求められる水準は非常に高くなるでしょう。レポーター個人ではなく、放送局や業界全体の体制づくりや、人材育成の問題として考えていかなければなりません。

ローカルなニーズに応えられているか?

 NHKと民放の差は、さらに拡大してしまったという印象です。

 災害報道で最も重要な要素のひとつは、「継続的に情報提供している」ことです。NHK総合では12日から13日にかけて、ともかく台風関連の特別番組を編成し、情報を提供し続けました。これに対し民放はローカル局やスポンサーとの調整に時間を要するため、特別番組の時間が限られてしまいました。

 民放では放送枠も最大2時間程度となると、「その時に最も心配される地点を重点的に伝える」だけでなく、「これまで起きた被害のまとめ」も伝えないと番組としてのバランスを欠くことになるため、災害に直面する人たちに役立つという意味では、中途半端な情報提供にとどまってしまいます。

「NHKニュース防災アプリ」の可能性

 NHKが提供していたニュース防災アプリは、これまで議論してきたような全体とローカルの情報供給のギャップを埋める可能性を感じさせるものでした。

 テレビのニュースが項目ごとに再編集され、特定の地域の被害状況や、交通機関のトラブルなどの情報として、ユーザーが欲しい情報だけにオンデマンドでアクセスすることが可能になっているという仕組みがありました。

 ユーザーの現在位置を登録して、その地域の自治体から発表される警報や災害関連の情報などが自動的に入るように設定することもできます。気象情報には「今後の推移」というボタンがあり、特に危険に直面した際に最大の関心事となる「これから数時間後、数日後にどうなるのか」という情報が見られる機能もあります。

 「東北、秋田新幹線 運転再開」とか「新潟県内 上空からの様子 ライブ配信中」のような、地上波放送と連動し、関連情報をプッシュ機能でユーザーに伝える機能もあります。ユーザーの位置情報とは必ずしも連動していないようで、この原稿を執筆している13日午後には、アップルウォッチは何度も振動するわ、ちょっとスマホから目を離すと通知がたくさんたまってしまうわで、改善の余地もありそうですが、「欲しい情報だけ欲しい」という切実な需要に応えコンテンツを提供する試みでもあるように見えます。

「プラスアルファ」の情報を加える(今後の課題 1)

 これから考えていかなければならないことを、何点かまとめておきます。

 アメリカで専門家と意見交換を重ねた結果を踏まえて考えた、スマホと通信のインフラがある程度充実した社会における災害報道のイメージを日本に当てはめてみると、台風の進路予想や各地の震度情報などのデータは、報道機関に頼るのではなく、むしろ気象庁などが自らウェブサイトや、政府や地方自治体がスマホのキャリア企業と協力して、プッシュ通知などを駆使して、もれなく伝えられるべきではないかと考えるようになりました。(災害報道における情報の質や伝える主体の問題は、筆者の『災害報道のパラダイム・シフト〜米西海岸の山火事報道を通して考える』も合わせて読んでみて下さい。)

 もちろん、台風の規模とか、発生した被害の集計など、全体を知らせることも大事です。しかし、今後テレビなどのニュースメディアは、気象予報士や災害担当の専門記者らが、過去や海外の事例やデータ、独自の分析を加え、ユーザーの個人的な判断を助けるような情報をいかに提供できるかも、問われていくと思います。

 そうすると、自然災害や、東日本大震災で大きな教訓となったはずの原子力災害などについて、専門的に解説したり、取材ポイントなどをアドバイスしたりできる専門記者が複数名必要になるのは論理的に当然と言えると思います。

 また、中継などで「描写以上」を伝えるためには、ある程度の土地勘があり、さらに、「下流何キロくらいに鉄道の橋や集落があるか」とか、「この河川の平時の流れはどの程度か」などを、レポーターがあらかじめ取材していなくてはなりません。組織的な体制作り、人材育成戦略なども必要になるでしょう。

情報の空白を埋められるか(今後の課題 2)

 私の住んでいる地域では、杉並区の一定の情報発信があり、アクセスもある程度確保されていたため、ツイッターでは、その引用や感想という二次情報がほとんどを占め、自分で川の状況を撮影した人などの一次情報の価値はあまり注目されていなかったようです。

 しかし、台風15号で大きな被害が発生した千葉県では、市町村の情報収集や整理、あるいはそれをウェブサイトやソーシャルメディアなどで発信する能力にかなりの格差が存在し、一時的にせよ、被害の情報が行き渡らなかったという「情報の空白」問題も発生しました。

 そのような場合には、個人で発信するツイッター情報などの効果も無視できません。台風19号を伝えるテレビのニュースで「視聴者撮影」のクレジットがついた映像を目にする機会も増えました。メディア以外の人が入手した情報を検証して、いかに効果的にニュースに取り入れて行くかも重要な課題です。

 すでに報道機関ではスペクティーのようなソーシャルメディアの情報をニュースに生かすサービスが取り入れられています。しかし、そのような情報の中には、ミスインフォメーションや悪意のディスインフォメーションも一定数混じっている危険性もあります。ファクトチェックやデバンキングという、情報をいち早く検証する能力をスピードアップさせる戦略が求められることになりそうです。

 さらに、それでも情報がない場所には、メディアが直接出向いて「空白を埋める」作業も必要です。単に人口が少ないなどの理由でなく、被害が大きくアクセスが難しいなど災害特有の原因もあり、専門的な知識だけでなく、時には警察官や自衛隊員並みの体力や訓練も必要になるでしょう。やみくもに危険を冒すことを推奨するものではありませんが、理想を言えば市町村がカバーし切れれず忘れられている地域や住民の存在を知らせ、さらに励ますような役割も果たして行くための投資も必要ではないでしょうか。

「権力の監視」を強化する(今後の課題 3)

 政府や地方公共団体が防災や減災、あるいはその後の救命や復旧などのリソースを適正に使い、公平にサービスを提供しているか、情報公開を誠実に行っているかを見極めることも、災害時にメディアにとって重要な役割です。

 福島第一原発事故のときのSPEEDIのデータの公開は、メディア側にもう少しこのようなミッションに関する自覚があれば、もう少し早まったかもしれません。被害が甚大で深刻なほど、「今そのような批判をしている場合か」とか、「復旧や救出に当たっている人に失礼ではないか」という批判が出たりしますが、感情論に惑わされず、判断の根拠や、使われるべきリソースが活用されていない事実の有無を問い質す毅然とした姿勢が求められていると思います。

 筆者は客観的な判断ができる根拠を持ち合わせていませんが、政府が13日の朝になって非常災害対策本部を設置したのは、遅すぎたのではないか、台風が関東地方付近に接近し通過する前から身構えないのは怠慢だったのではないか、という批判があります。

 過去の大規模な台風の際、歴代政権はどのような対応をしてきたのか記録をたどったり、あるいは、12日の午後から13日未明にかけて、首相官邸では、誰がどのような態勢を取っていたのかなどを検証した報道は、筆者にはまだ発見することができません。また、13日午前に開かれた菅官房長官の記者会見でも、国民の一定数が抱いているであろう、この「素朴な疑問」について質問する記者が誰もいなかったのも残念です。安倍内閣に批判的な人だけでなく、支持する人にとっても、この判断が適切といえるかどうか検証されるのは望ましいことだと思われます。

紙面を「捨てる」サービスも(今後の課題 4)

 東京新聞の1面に「新聞配達遅れ おわびします」という、12日夕刊と13日朝刊の配達遅れを詫びるお知らせがありました。朝日新聞(13日東京朝刊)にも、「台風で配達遅れ おわびします」とやはり書いてありました。(その横にはデジタル版の案内とQRコードも表示されています。) しかし、一部の宅配便業者も配達を休止し、台風の速度や進路によっては、この朝刊を配達する人を危険にさらしかねない状況でもあった中、一定の期間は完全にウェブで対応するなどの対応は考えられなかったのでしょうか。(他紙は検証できていません。)

 ある時点で情報をせき止め、進行中の大きな出来事を解説したり、検証のために記録を残したり、あるいは東日本大震災で避難所の人々が新聞を取り合うようにして読み、励まされたような、新聞の伝統的な価値を否定するものではありません。しかし、「今、避難すべきかどうか」という判断の助けになる情報を、たくさんのユーザーが切実に求めていた局面では、新聞の報道には不満が残りました。。

 新聞社には、民放局と違って科学部もあります。記者は20代の一定の期間、地方都市でトレーニングを受け、災害や犯罪などの「場数」をこなす経験を積んでおり、災害報道に大きなアドバンテージがあるはずです。高齢者を中心にしたデジタルデバイドや、スマホなどを持てない人たちへのサービス提供など克服すべき問題はあるにせよ、そのようなすぐれたリソースが災害報道の一番重要な局面で充分に活用されていないことは、ニュースの消費者、あるいは社会全体にとって、大きな損失に思えてならないのです。

これらの問題はまた、個別にも考えていきます。

武蔵大教授/ジャーナリスト

1964年生まれ。上智大院修了。テレビ朝日で「ニュースステーション」ディレクターなどを務める。2002〜3年フルブライト・ジャーナリストプログラムでジョンズホプキンス大研究員としてイラク戦争報道等を研究。05年より立命館大へ。08年ジョージワシントン大研究員、オバマ大統領を生んだ選挙報道取材。13年より現職。2019〜20年にフルブライトでジョージワシントン大研究員。専門はジャーナリズム。ゼミではビデオジャーナリズムを指導し「ニュースの卵」 newstamago.comも運営。民放連研究員、ファクトチェック・イニシアチブ(FIJ)理事としてデジタル映像表現やニュースの信頼向上に取り組んでいる。

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