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北陸・関東・四国の春一番のあとの冬型の気圧配置

饒村曜気象予報士
北陸と関東で春一番が吹いた時の地上天気図と衛星画像(2月15日12時)

北陸・関東・四国で「春一番」

 立春後にはじめて日本海で低気圧が発達し、強い南風が吹いて気温が上昇することを春一番といいます。

 春一番の基準は地方により異なりますが、立春(今年は2月4日)から春分(今年は3月20日)までの間に日本海で低気圧が発達し、南寄りの風が強く吹いて気温が上昇することが目安です(表)。

表 「春一番」を発表する目安となる定義
表 「春一番」を発表する目安となる定義

 令和6年(2024年)2月15日は、立春後にはじめて日本海で低気圧が発達し、強い南風が吹いて気温が上昇したことで、昼前に新潟地方気象台が北陸地方に、昼過ぎに気象庁本庁が関東地方に、夕方には高松地方気象台が四国地方に春一番を発表しました(タイトル画像)。

 当初は、低気圧が日本海の中央部ではなく、日本の陸地近くで発達することから、春一番が吹くかどうか微妙でしたが、予想より日本海の中央部で発達したため、北陸、関東、四国で強い風が吹き、春一番となりました。

 2月15日昼前に北陸地方で春一番が発表となりましたが北陸地方の定義は、北陸西部の福井、金沢、富山で最大風速が10メートル以上、北陸東部の新潟で6メートル以上と、北陸西部の基準が北陸東部より高くなっていますが、金沢で11時10分に10.4メートルを観測したことによる発表でした。

 東京都心でも気温が20度を超え、13時33分に風速が8.1メートルと8メートルを超えましたので、関東でも春一番の発表となりました(図1)。

図1 東京の風向・風速と気温の変化(2月15日)
図1 東京の風向・風速と気温の変化(2月15日)

 関東の春一番は、東京都心が基準となっており、羽田や横浜など、東京湾沿岸では午前中から南風が強くなって最大風速が8メートルを超えていました(図2)。

 図2 羽田と横浜の風向・風速の変化(2月15日)
図2 羽田と横浜の風向・風速の変化(2月15日)

 しかし、東京都心まで強い南風が入っていなかったことから、昼前の発表とはなりませんでした。

 また、高松地方気象台は、2月15日夕方に四国地方で春一番が吹いたと発表しましたが、これは、徳島市で8.3メートル、徳島県阿南市蒲生田で10.7メートルと強い風が吹き始めたのが15時頃であったからです(図3)。

図3 徳島県蒲生田と徳島の風向・風速の変化(2月15日)
図3 徳島県蒲生田と徳島の風向・風速の変化(2月15日)

 北陸・関東・四国で春一番が吹いたといっても、一部の地域で、しかも短い時間でした。

 春は日本付近で低気圧が急速に発達するため、嵐の季節と言われます。冬の特徴である北からの寒気が残っているところに、夏の特徴である暖気が入り始めることから、条件が重なると、強い寒気と強い暖気がぶつかって低気圧が急速に発達することがあるからです。

 気象庁が春一番の情報を発表するのは、これから春の嵐の季節が始まるという防災的な見地からです。

春一番とキャンディーズ

 春一番の語源については諸説ありますが、長崎県壱岐郡郷ノ浦町(現・壱岐市)で安政6年(1859年)2月13日に海難で53名が亡くなったことから呼びはじめたということが定説になっています。

 この春一番という言葉が、広く使われるようになったのは戦後になってから、それも関東地方(特に東京)についての春一番からです。

 東京にある気象庁予報課の天気相談所では、マスコミ等からの問い合わせに応じる形で、昭和30年代頃から関東地方の春一番の情報を発表していました。

 春一番という言葉を、気象関係者が使い始めたのがわかる資料は、昭和31年(1956年)2月7日の日本気象協会の天気図日記(毎日1枚の天気図に、その日の出来事等を簡潔にまとめたもの)です。

 マスコミにはじめて取り上げられたのは昭和37年2月11日の朝日新聞夕刊「…地方の漁師達は春一番という…」と、毎日新聞夕刊「…俗に春一番と呼び…」です。

 立春後の最初の強い南風を春一番と言い、有名となったのは人気アイドルグループ・キャンディーズが昭和50年のアルバム「年下の男の子」の中に収録され、翌51年に9枚目シングル曲として「も~すぐ春ですねえ…」と歌ってヒットした「春一番(作詞・作曲:穂口雄右)」からです。

 このため、「春一番」という気象用語がメジャーな言葉となっています。

 そして、気象庁に問い合わせが殺到し、本来業務ではない「春一番」に対応せざるをえなくなっています。

 キャンディーズのヒット曲「春一番」以降、春を告げる風物詩的に受け取る人がいるといっても、メジャーな言葉になったということは大きく、気象庁は春一番という言葉を使って、春の嵐に対する注意を呼び掛けるという本来業務を充実させています。

 つまり、気象台等がほぼ全国的に「春一番」の情報を発表するようになったのは、キャンディーズ以降です。それほど昔ではありません。

 なお、北陸地方の平成10年以前は、新潟を除く福井、石川、富山の各県ごとに発表していました。同じ北陸地方といっても、新潟県は春一番が吹きにくいからです。

 また、東北地方と北海道で、「春一番」のような暖かい強い風が吹くのは低気圧がこの季節としてはかなり北の樺太付近を通過するという希な現象ですが、そのときでも、まだまだ冬の気候が続くことから発表していません。

 さらに、沖縄県では、日本海で低気圧が発達しても強い風が吹かないために「春一番」の発表はありません。

 筆者は、昭和52年に函館海洋気象台(現在は函館地方気象台)から気象庁予報課の予報現業に転勤となりましたが、この年の11月28日に、次のような通達を受けています。

「木枯らし1号」「春一番」の発表は、現在、業務に規定化されていない。しかし、報道機関からはこれらについての発表を求められ、暫定措置として、東京地方については天気相談所がこれらの決定・発表する時には必ず予報現業と連絡して実施する。…。

春一番のあとは寒気が南下

 令和5年(2023年)12月22日(冬至)の頃に西日本を中心に南下してきた寒波(冬至寒波)では、福岡では最高気温が12月21日に3.7度、22日に4.3度と、平年の最低気温をも下回る厳しい寒さでした。

 12月22日に全国で最高気温が0度を下回った真冬日を観測したのは264地点(気温を観測している全国914地点の約29パーセント)、最低気温が0度を下回った冬日は774地点(約85パーセント)もありました(図4)。

図4 真冬日、冬日、夏日の観測地点数の推移(2023年12月1日~2024年2月18日、2月16日以降は予想)
図4 真冬日、冬日、夏日の観測地点数の推移(2023年12月1日~2024年2月18日、2月16日以降は予想)

 1月中旬や、1月下旬にも寒波が南下してきましたが、冬至寒波に比べるとが、冬日や真冬日のピークが小さく、冬至寒波が今冬一番の寒波ということができるでしょう。

 2月に入ると、真冬日を観測地点数が200地点を超える日があり、北日本は厳しい寒さが続いていますが、冬日を観測する地点は600地点を切っており、東日本から西日本の寒さが少し和らいできたことを示しています。

 また、沖縄地方を中心に、最高気温が25度以上の夏日が観測されるようになってきました。

 そして、2月15日は低気圧の通過で春一番が吹いた地方もあるなど、全国的に気温が上昇し、真冬日や冬日の観測地点数が大きく減っています。

 しかし、春一番をもたらした低気圧が通過すると、日本付近は西高東低の冬型の気圧配置となって寒気が南下します。

 このため、16日の真冬日は162地点(約18パーセント)、17日の冬日は628地点(約69パーセント)と再び冬に逆戻りですが一時的の見込みです。

タイトル画像の出典:ウェザーマップ提供。

図1、図2、図3の出典:気象庁ホームページをもとに筆者作成。

図4の出典:ウェザーマップ提供資料をもとに筆者作成。

表の出典:気象庁ホームページをもとに筆者作成。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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