冬の地震 能登半島の元日の地震と兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)
元日の地震
令和6年(2024年)元日、能登半島付近で最大震度7の地震が発生しました(図1)。
このため、石川県志賀町では震度7を観測し、石川県能登地方沿岸に大津波警報が発表となるなど、日本海沿岸では、広い範囲で津波警報が発表となりました。
震度7は、震度階級で最大のもので、この階級が作られたのは、昭和23年(1948年)6月28日の福井地震がきっかけです。
この福井地震では、福井市を中心に3769名が死亡し、非常に高い全壊率を記録するなど、地震被害が甚大であったため、それまでの最大震度6(烈震)では表現できないとして、新たに震度7(激震)が作られたのです。
そして、震度7を最初に観測したのが、平成7年(1995年)1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)です(図2)。
震度7は、福井地震の翌年に作られてから約50年も該当する地震が発生しなかったのですが、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)以後、広範囲ではありませんが、平均すると5年に1回は震度7の地震が発生しています。
つまり、平成16年(2004年)10月23日の新潟県中越地震のときの川口町、平成23年(2011年)3月11日の東日本東部地震(東日本大震災)のときの宮城県栗原市、平成28年(2016年)4月14日の熊本地震のときの熊本県益城町、2日後の16日の熊本地震のときの益城町と西原村、平成30年(2018年)9月6日の北海道胆振東部地震のときの厚真町、そして、令和6年(2024年)1月1日の石川県志賀町で震度7が観測されたのです。
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)を神戸で経験
震度7が最初に観測した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の発生時、筆者は神戸市中央区中山手通にあった神戸海洋気象台(現在は神戸地方気象台となり移転)に隣接する宿舎で寝ていました。
神戸海洋気象台の予報課長として神戸に赴任していたからです。
上下動の揺れで目がさめた後、身体が横に叩きつけられる感じの揺れを感じました。
気象台は、神戸市沿岸部に細長く東西に延びる「震度7」の領域が切れているところにあり、「震度6強」でした。
当時の神戸海洋気象台予報課長は、大災害発生時には神戸海洋気象台災害対策副本部長になると決められていましたので、すぐに駆けつける必要がありました。
地震と同時に停電となりましたが、隣接する気象台がすぐに予備電源に切り変わったので、その光が部屋に差し込んできました。
地震により多くのインフラが停止しましたが、気象台の予備発電機は最新型で、床にボルト付けしてあったため、大地震であってもすぐに機能しました。
気象台の光が部屋にきていたので、その光でただちに背広を着、ネクタイを掴み、ラジオを聞きながら気象台に駆けつけました。
津波の心配があるにしても、神戸ではこれほど大きな被害を受けるとは思わなかったため、私の職責として防災機関や報道機関等との対応が一日中あると考えたからです。
しかし、防災機関や報道機関等との対応はほとんどありませんでした。
それどころでない大災害が発生していたのです。
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)をきっかけとし、地震計の増設が始まりました。当時の地震計は気象官署だけ、兵庫県で言えば、神戸と洲本、姫路、豊岡の4か所しかありませんでした。
それが、県内の全市町村(神戸市では区ごと)に1台という20倍以上の設置が決まり、気象台職員が気象庁本庁や大阪管区気象台の支援を受け、手分けして作業を進めました。
自治体関係者の積極的な協力・支援や、住民の協力によって、おどろくほど短時間で地震計の設置ができたという印象があります。
その後、全国で多数の地震計が設置され、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では地震発生後に現地調査を行わないとわからなかった(地震後1週間以上あとでないとわからなかった)震度7の分布が、即座にわかるようになりました。
地震計が増えたことで、震度7の観測が増えたという側面があるのですが、それにしても増えすぎです。
地震発生後の天気
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)のとき、神戸海洋気象台では、観測も予報も一回も欠けることなく通常通りの業務を行っていましたが、1月22日に低気圧通過でまとまった雨の可能性がわかった20日からは「雨に関する情報(大雨情報ではありません)」などを発表して早めに警戒を呼びかけました。
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)から5日目でも、山や崖に亀裂が入り、堤防や防潮堤も損傷を受けたままで、排水溝は瓦礫で詰まり、排水ポンプも正常作動が確認できない状況で、大規模な二次災害が懸念されていました。人命救助がまっさきに行われており、多数の救援物資は野積みで、屋根が壊れている家に住んでいる人、たき火をしながら野宿している人が多数いましたので、普段では考えられないことが次々に起きる可能性がありました。
その時、気象庁本庁の指示により、兵庫県庁に大雨警報等に基準を下げたいと説明に行ったのですが、「県は忙しすぎて検討する時間がない。了承するので、気象台が全体的に見て良いと思っているとおりの基準でやってほしい」ということに近いことを言われました。
今は、予め基準を下げることについての十分な検討が行われていますので、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)のときのようなドタバタはなく、粛々と基準を下げています。
1月22日の雨は、ほぼ予想通りで、神戸市や西宮市などでは土砂崩れや道路の亀裂が相次ぎましたが、事前避難で人的被害はありませんでした。いろいろな防災関係者の努力の結果、大きな災害や不測の事態の発生を防ぎ、雨の翌日から本格的な復興が軌道に乗りました。
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)のときは、地震発生5日後の雨であり、ある程度の支援が進んだときの雨で、気温も冬とはいえ、平年より高めに経過していました。
しかし、今回の能登半島地震では、支援活動が本格化しないうちに雨が降り続くという予報になっています(図3)。
降水の有無の信頼度が、5段階で1番低いEや、2番目に低いDが混じっている予報ですが、傘マーク(雨)が週末まで続き、6日(土)には雷マークまでついています。
そして7日(日)は雪だるまマーク(雪)で最高気温は6度と寒さが襲ってくる予報です。
お日様マーク(晴れ)の時間帯があるのは8日(月)と11日(木)だけで、ほとんどの日で雪だるまマークか傘マークがついています。
同じ冬の地震といっても、土砂崩れなどの二次災害の危険性や、救援活動の困難さ・危険性は、今回の地震のほうが兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)より高いと思われます。
最新の情報を入手し、十分に警戒してください。
図1の出典:気象庁ホームページ。
図2の出典:饒村曜(平成8年(1996年))、防災担当者の見た阪神・淡路大震災、日本気象協会。
図3の出典:ウェザーマップ提供。