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NHK朝ドラ「カムカムエヴリバデイ」は映画「ラストサムライ」とハリケーン「カトリーナ」の直前の話しに

饒村曜気象予報士
古地図 アメリカ南部(写真:イメージマート)

NHK朝ドラ

 NHK朝ドラ「カムカムエヴリバデイ」は、朝ドラ史上初となる3人のヒロインで紡ぐ、三世代100年の家族の物語です。

 日本でラジオ放送が始まった大正14年(1925年)3月22日に岡山市にある和菓子屋「たちばな」で生まれた「安子(キャスト:上白石萌音)」と、娘の「るい(深津絵里)」、孫の「ひなた(川栄李奈)」の三世代です。

 現在は、孫の「ひなた」が主人公です。

 物語の主軸としてジャズの都であるルイジアナ州のニューオリンズで生まれ育ったルイ・アームストロングが歌唱するジャズのスタンダードナンバー「明るい表通りで(オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート: On On the Sunny Side of the Street)」が使われています。

 また、「るい」という名前はルイ・アームストロングからとったという設定ですし、「ひなた」という名前も「明るい表通りで」の歌詞である「ひなたの道を歩けば、きっと人生は輝く」からきているという設定です。

 また「ひなた」の初恋の相手の「ビリー」という外国人は女性ジャズ・シンガーのビリー・ホリデイからきているのではないかと思います。

 「るい」も「ビリー」も、男女共に使える名前です。

 ナレーションの城田優さんがビリーの成長した姿なのではというネット上の意見もありますが、この可能性もあります。

 いずれにしても、この朝ドラは、ジャズと深く関わっています。

 3月14日の週は、クリスマスに主人公の叔祖父・算太(濱田岳)が現われ、物語は大きく前進しました。

 これまでに発表となっている予告によると、「るい」と夫の「錠一郎(オダギリジョー)」、「ひなた」と「ひなた」の弟「桃太郎(青木柚)」が、岡山の雉真家を平成6年(1994年)8月に訪ねたことで、自分のルーツに興味をもった「ひなた」が、ラジオの英会話講座で英会話をマスターします。

 そして、平成13年(2001年)にはハリウッドの映画製作チームを職場の条映太秦映画村を案内するほど英会話は上達します。

 NHKは予告をしていませんが、3月28日の週は、平成14年(2002年)以降の話となります。

 平成15年(2003年)11月には、トム・クルーズと渡辺謙が主演の米映画「ラストサムライ」が公開され大ヒットしています。

 この映画は、日本でもロケが行われ、60年以上にわたって時代劇における“斬られ役”として活躍した福本清三さんも出演しています。

 また、平成17年(2005年)8月下旬、ニューオリンズをハリケーン「カトリーナ」が襲い、大きな被害が発生しています。

 8月末からの最後の2週間は、アメリカ映画「ラストサムライ」とハリケーン「カトリーナ」がドラマで重要な役割をしてくるのではないかと思います。

ハリケーン「カトリーナ」

 平成17年(2005年)8月23日にフロリダ半島の南東海上で発生した発達した熱帯低気圧は「カトリーナ」と名付けられ、25日にフロリダ半島に上陸し、その後、メキシコ湾に抜けています(図1)。

図1 ハリケーン「カトリーナ」の経路図とミシシッピ川
図1 ハリケーン「カトリーナ」の経路図とミシシッピ川

 そして、メキシコ湾でハリケーンの強さを表すシンプソン・スケールで一番大きな「カテゴリー5」のハリケーンにまで発達しています。

 このため、8月28日にはブッシュ大統領はルイジアナ州に非常事態宣言し、ニューオーリンズ市は48万人の市民に避難命令を発令しています。

 ハリケーン「カトリーナ」は、その後勢力を弱め、「カテゴリー3」の状態で8月29日にルイジアナ州のニューオリンズに再上陸しましたが、この時、米国立ハリケーンセンター(NHC)は、「カテゴリー4」としていますので、強めに警戒を呼びかけていたことになります。

 にもかかわらず、堤防決壊等で記録的な大災害が発生しました。

 しかし、「カトリーナ」による被害の全貌は、すぐには分かりませんでした。

 新聞記事を基に、アメリカ政府が発表した死者数を見ると、「カトリーナ」による死者数は、「カトリーナ」がニューオリンズに再上陸する前にフロリダ半島に上陸したことで9名が亡くなっています。

 そして、ニューオリンズに再上陸後1週間で300人くらいでした(図2)。

図2 報道されたカトリーナによる死者数
図2 報道されたカトリーナによる死者数

 平成13年(2001年)9月11日のアメリカ同時多発テロ事件による追悼式典が終わるまでは、このテロ事件で亡くなった3234人を上回る報道をさせないようとしたとか、テロ事件をきっかけに始まったイラク戦争の死者数(当時は累計で約2000人)を超えさせないようにした等、色々な憶測を生むほど全容解明は遅れました。

 のちになって、「カトリーナ」の死者数が1836名と発表されましたが、「カトリーナ」がニューオリンズ上陸後一週間の9月5日では、この数値の約13%の276人でした。

東日本大震災との比較

 平成23年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災の死者数も、地震発生後1週間で5000人を超える程度で、後に明らかになる死者数の4分の1程度(図3)。

図3 報道された東日本大震災の死者数の推移
図3 報道された東日本大震災の死者数の推移

 東日本大震災では全容解明が大幅に遅れていますが、「カトリーナ」の場合は、これよりも全容解明が遅れていたことになります

 また、一時、死者数と行方不明者数の合計が3万人を超えていましたが、避難していて無事ということが分かった人もおり、死者数と行方不明者数の合計は2万人弱という被害の全貌が分かったのは半年くらいたってからでした。

 警察庁が令和4年(2022年)3月11日現在でまとめた東日本大震災の人的被害は、余震による被害も含め、死者1万5900人、行方不明者2523人、関連死3786人となっています。

 しかし、「カトリーナ」の場合は、アメリカ政府の集計が打ち切りになっていますので、今でも被害の全貌がよくわかっていません。

 日本と違って、不法滞在の人だけでなく、暖かいフロリダで過ごすため、誰にも言わずに車で訪れた人も多く、行政機関が被災前の住民をほぼ正確に把握していないことから、被災後に何人なくなったかがわからないのです。

 また、避難途中の交通事故で死亡した人がいたり、堤防決壊によって重傷者を助けられないとの判断で安楽死させた病院があったりするなど、大混乱がおきていました。

 つまり、「カトリーナ」の死者数は、公表された数字より多いということしかいえません。

 また、「カトリーナ」のニューオリンズ再上陸時の勢力は、当初発表された「カテゴリー4」(多くの人は被害の大きさから最盛期のカテゴリー5で再上陸と思っていた)よりも弱く、「カテゴリー3」でした。

カトリーナ再上陸時は「カテゴリー3」NHCが修正

フロリダ州マイアミ(CNN)

 米国立ハリケーンセンター(NHC)は20 日、米国東南部を今年8月未に襲った大型ハリケーン「カトリーナ」の最終朝告を発表、甚大な被害を受けたルイジアナ州への再上陸時の規模は、これまで考えられていた「カテゴリー4」ではなく、「カテゴリー3」だったと下方修正した。…

 8月25 日に「カテゴリー1」の規模でフロリダ半島に上陸し、メキシコ湾岸へ抜けた後、風の強さが時速156マイル(風速70メートル)以上の「カテゴリー5」に成長した。その後、勢力を時速131 一155マイル(風速59 一69 メートル)の「カテゴリー4」に落とし、この勢力でルイジアナ州ニューオーリンズ近郊に再上陸したと見られていた。

 しかし、NHCはカトリーナが再上陸する前に、規模を時速111 一130マイル(風速50 一58 メートル) の「カテゴリー3」に落としたと、最終報告書でまとめた。 

 これまで正確なハリケーンの規模がはっきりしなかった理由については、カトリーナの直撃前にニューオーリンズ地域が停電となり、観測機器が機能しなかったためと説明している。

出典:CNN(平成17 年(2005年)12 月22 日)

ミシシッピ川の堤防

 ミシシッピ川は、アメリカ北部のカナダに近い所から、ミズーリ川やイリノイ川などと合流して南下し、ニューオリンズ付近でカリブ海に達する大河です。

 このため、ミシシッピ川で大きな洪水被害が発生するのは春先(5~6月)で、上流に降った大雨に雪解け水が加わることで発生します。

 夏のハリケーンによるものではありません。

 このため、ミシシッピ川の堤防等も雪解け洪水対策のものでした。

 そして、ミシシッピ川の堤防補修は歴史的に陸軍が行ってきました。

 当時、ルイジアナ州の陸軍は、多くの重機をもってイラクに出動していましたので、このことが被害を拡大させたともいわれました。

 (財)自治体国際化協会が平成20年(2008年)に発行した「ハリケーン・カトリーナおける事後の非常自体対応に関する報告書」では、ニューオリンズで甚大な被害が起きた背景として、次の6点をあげています。

1 市内の80パーセント以上がゼロメートル地帯であったこと

2 そのゼロメートル地域を守るのが、カテゴリー3までしか耐えられない堤防であったこと

3 以前から今回のような災害が指摘されていたにも関わらず根本的な対応を怠ってきたこと

4 市民も行政も今回のような堤防が決壊し洪水が起きるという認識がほとんどなかったこと

5 災害全体は非常に広範囲に及ぶ災害で、災害対応に従事する人々も被災者であったこと

6 市、州、連邦の災害対応がそれぞれに大きな問題を抱えていたこと

 「カトリーナ」は大災害をもたらすほどの記録的な強さであったということが良く言われます。

 しかし、実態は、記録的な強さによってというより、様々な背景が被害をますますを大きくしたといえそうで、日本の防災対応についての教訓を数多く含んでいます。

「カムカムエヴリバデイ」の最終盤

 今回の朝ドラは、サンタクロースを連想させる算太という名前も含めて、クリスマスの頃に大きな進展があるドラマです。

 平成6年(1994年)に叔祖父・算太(濱田岳)が現われたときのクリスマスのシーンで、バックに流れた曲は、山下達郎の「クリスマス・イブ」です。JR東海の昭和53年(1988年)のCMで使われた曲で、当時15歳だった深津絵里さんが出演して話題となりました。

 ロバート(村雨辰剛)と一緒にアメリカへ旅立ち、生きていれば80歳になる祖母・安子が、ドラマに重要なジャズと関係のあるニューオリンズに住んでいる(いた)ことは、十分考えられます。

「カトリーナ」がニューオリンズ再上陸したときの主人公の年齢

安子:大正14年(1925年)3月22日生まれの80歳

るい:昭和19年(1944年)9月14日生まれの61歳

ひなた:昭和40年(1965年)4月4日生まれの40歳

 「カムカムエヴリバデイ」のタイトルは、昭和21年(1946年)から26年(1951年)まで放送され、「安子」と「るい」が聞いて育ったNHKのラジオ番組『英語会話』(別名カムカム英語)からきています。

 この番組を担当した平川結一(さだまさし)は、岡山県津川村(現在の高梁市)に生まれ育ち、平成5年(1993年)8月25日に亡くなっています(享年91歳)。

 3月18日の放送では、平川唯一の新盆である、平成6年(1994年)8月15日に、終戦記念日でもあるこの日の黙祷時間に、「ひなた」が平川唯一の亡霊に、「るい」が父である雉真稔の亡霊にあって、ともにその後の行動を大きく変えています。

 オリジナルドラマですが、細かいところまで実際に起きた出来事を忠実に踏まえてのストーリー展開です。

 クライマックスに向けて、クリスマスやアメリカ映画「ラストサムライ」、ハリケーン「カトリーナ」とのからみがどうなるかなど、ドラマ展開に目が離せません。

(追記:3月20日11時)

3月18日の放送で、平成6年(1994年)8月15日のお盆の日(終戦記念日)の黙祷時間に、「ひなた」が平川唯一の亡霊に、「るい」が父である貴島稔の亡霊にあって、ともに生き方が大きく変わっていることから、一部内容を追加しました。

図1の出典:NHC(アメリカ・ハリケーンセンター)の資料を元に筆者作成。

図2の出典:新聞記事をもとに筆者作成。

図3の出典:饒村曜(平成24年(2012年))、東日本大震災・日本を襲う地震と津波の真相、近代消防社

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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