令和3年(2021年)の台風

 令和3年(2021年)の台風接近数と上陸数は、ほぼ平年並みでしたが、台風発生数は、8月と9月に少なかったことから、平年より若干少なくなっています(表1)。

表1 平年と令和3年(2021年)11月14日までの台風発生数・接近数・上陸数(四捨五入の関係で月別平年値の合計は年平年値とは一致しない)
表1 平年と令和3年(2021年)11月14日までの台風発生数・接近数・上陸数(四捨五入の関係で月別平年値の合計は年平年値とは一致しない)

 現在、熱帯域には雲の列がみられます(タイトル画像参照)。

 この中から熱帯低気圧が発生し、台風に発達する可能性はありますが、台風になるにしても時間がかかりそうです。

 また、筆者が昔調査した過去の台風統計では、11月の台風は西進することが多く、ごくまれに北上するものがあっても、北緯30度位までしか北上しません(図1)。

図1 11月の台風の平均経路
図1 11月の台風の平均経路

11月に上陸する台風

 台風の中心が北海道、本州、四国、九州の海岸線に達した場合を「台風の上陸」といいます。

 令和3年(2021年)は、これまで、台風8号が7月に宮城県石巻市付近に、台風9号が8月に鹿児島県枕崎市付近に、台風14号が9月に福岡県福津市付近に上陸しています。

 台風の統計が作られている昭和26年(1951年)から昨年、令和2年(2020年)まででいうと、206個の台風が上陸しています。

 台風の月別の上陸数をみると、8月が73個と一番多く、次いで9月の66個になります(図2)。

図2 台風の月別上陸数(昭和26年(1951年)~令和2年(2020年)及び令和3年(2021年))
図2 台風の月別上陸数(昭和26年(1951年)~令和2年(2020年)及び令和3年(2021年))

 ただ、21世紀入ると、9月から10月に上陸する台風の割合が増えており、台風上陸の季節が遅くなる傾向にあります。

 11月に上陸した台風は1個、つまり、一番遅く上陸した台風になりますが、平成2年(1990年)11月30日14時頃に和歌山県白浜町の南に上陸した台風28号です。

 このとき、筆者は気象庁予報課で予報官をしていましたが、台風当番の班長として台風28号の上陸情報をつくりました。

 和歌山県への台風上陸は、この年4回目で、偶然ですが、当番の関係で4回とも筆者が台風上陸情報をつくりました。

 後に、和歌山地方気象台長として和歌山に赴任する因縁があったのかもしれません。

 12月に上陸した台風はありませんが、平成2年(1990年)の台風28号の上陸があと10時間遅ければ、12月の上陸台風になるところでした。

昭和25年(1950年)以前に11月以降に上陸した台風

 昭和25年(1950年)以前にも、11月以降に上陸した台風があったかどうかというのは難しい問題です。

 気象庁では、台風の定義として北西太平洋(東経180度以西で南シナ海を含む)の熱帯低気圧のうち、最大風速が17.2メートル以上のものとしています。

 そして、このような基準が適用された昭和26年(1951年)以降について、台風統計を行っています

 昭和25年(1950年)以前については、このような定義がなく、「この頃がこの台風の最盛期で、最大風速は10メートルであった」というように、今でいうと熱帯低気圧であるものまで台風と呼んでいました。

 また、熱帯低気圧と温帯低気圧の区別がはっきりしておらず、天気図に前線を引くこともありませんでした。

 このため、台風が温帯低気圧に変わるということは考えておらず、台風で発生したら、最後まで台風でした。

 従って、当時、上陸として扱っている台風でも、現在の基準からみれば、上陸時にはすでに「熱帯低気圧」に衰えていたり、温帯低気圧に変っていたりするものが含まれています。

 また、逆に当時の乏しい観測貸料では、上陸した台風を見逃している場合も十分に考えられます。

 以上のことを承知で古い資料、例えば昭和19年(1944年)に中央気象台が作った「日本颱風資料」や、昭和15年(1940年)から毎年、中央気象台(現在の気象庁)で作られている「台風経路図」などで調べると、4個の台風が11月と12月に上陸したことになっています。

明治25年 (1892年)11月24日に東海地方に上陸した台風。

明治27年(1894年)12月10日に九州南部か11日に関東地方に上陸した台風。

昭和7年(1932年)11月15日に房総半島に上陸した台風。

昭和23年(1948年)11月19日に紀伊半島に上陸した台風。

 このうち、最大の被害が発生したのは、今から89前、昭和7年(1932年)の台風です。

「七五三台風」

昭和7年(1932年)11月7日にフィリピンの東海上で発生した(確認された)台風は、ルソン島をかすめて北上した後、向きを北東に変え、発達しながら15日0時に千葉県房総半島に上陸しています(図3)。

図3 「七五三台風」の経路(図中の白丸は6時の位置)と昭和7年11月14日18時の天気図
図3 「七五三台風」の経路(図中の白丸は6時の位置)と昭和7年11月14日18時の天気図

 この台風は、子供の成長を祝う七五三の日である11月15日に上陸したことから、通称、「七五三台風」と呼ばれています。

 「七五三台風」により、最大風速は、横浜で毎秒36.3メートルを観測するなど、東海地方から関東地方の沿岸で30メートルを超えています。

 また、伊豆半島や関東南部~福島県の太平洋側では、ところにより総雨量が200ミリを超える豪雨となって、死者・行方不明者257名という大きな被害が発生しています

 中央気象台が毎月発行していた「気象要覧」によると、「中心から延びる不連続線」など、現在の基準ら見れば、上陸時には前線を伴っていた(温帯低気圧に変わっていた)と思えるような記述もあります。

 ただ、当時は前線の概念は一般化しておらず、日本の天気図には前線が記入されていません。

 「七五三台風」が、台風のまま上陸したのか、温帯低気圧に変わってから上陸したのかは、いまとなっては判別できませんが、大きな被害が発生したことだけは事実です。

 昭和7年(1932年)という年は、1月に上海事変、3月に満州国建国宣言があり、その後日中戦争の激化などがあり、戦時体制が強化されていった年です。

 そのせいか、昭和7年(1932年)11月15日の朝日新聞夕刊では、「七五三台風」を「空の非常時を演出した」と記しています(図4)。

図4  七五三台風のときの新聞記事(昭和7年(1932年)11月15日の朝日新聞夕刊)
図4  七五三台風のときの新聞記事(昭和7年(1932年)11月15日の朝日新聞夕刊)

 そして、「お天気博士あきれる 先例や経験だけでは駄目になって来たよ」という、中央気象台予報課長の藤原咲平博士の談話を載せています。

 ちなみに、この藤原咲平博士は、自身の名がついた「藤原の効果(台風が複数ある時の相互作用)」を解明した人で、後に中央気象台長に就任します。

 最近の気象は、地球温暖化の影響で極端な現象が観測されるようになり、荒っぽくなってきたと言われています。

 「どうも先例や経験で推せなくなって来た」という藤原博士の嘆きは、現在もあてはまりそうです。

タイトル画像の出典:ウェザーマップ提供。

図1の出典:饒村曜・宮澤清治(昭和55年(1980年)、台風に関する諸統計 月別発生数・存在分布・平均経路、研究時報、気象庁。

図2の出典:気象庁資料をもとに筆者作成。

図3、図4の出典:饒村曜(平成5年(1993年)、続・台風物語、日本気象協会。