顕著な大雨に関する情報

 線状降水帯は、次々と発生する発達した複数の積乱雲が一列に並ぶことで形成されますが、線状降水帯という言葉が頻繁に用いられるようになったのは、平成26年(2014年)8月豪雨による広島市の土砂災害以降です。

 線状降水帯が近年増えてきたというより、観測が充実したことから日本で起きた集中豪雨のうち、台風によるものを除いて、約3分の2が線状降水帯によるものが分かってきたのです。

 気象庁では、毎年のように発生している大雨災害を防ぐため、令和12年(2030年)までの10年計画で、早め早めの防災対応に直結する予測として「線状降水帯を含む集中豪雨の予測精度向上」に取り組んでいます。

 線状降水帯を含めた集中豪雨の予測精度向上は、10年計画で取り組むほどの難題ですが、研究成果の一部を取り入れた線状降水帯の発生の可能性だけでも発表し、少しでも災害を減らそうという試みの第一弾が、今年、令和3年(2021年)6月17日13時より始まる「顕著な大雨に関する情報」です。

 線状の降水帯により非常に激しい雨が同じ場所で降り続いている状況を、「線状降水帯」というキーワードを使って解説する情報です(図1)。

図1 顕著な大雨に関する情報のイメージ(図の楕円は大雨災害発生の危険度が急激に高まっている線状降水帯の雨域)
図1 顕著な大雨に関する情報のイメージ(図の楕円は大雨災害発生の危険度が急激に高まっている線状降水帯の雨域)

 「顕著な大雨に関する情報」は、「線状降水帯の予測情報」ではなく、「発表基準以上の線状降水帯が発生したことを確認する情報」です(表)。

表 顕著な大雨に関する情報の発表基準
表 顕著な大雨に関する情報の発表基準

 この情報には、科学技術研究所、日本気象協会及び気象庁気象研究所が開発した「線状降水帯」を自動検出する技術が使われています。

 当初考えられていた「線状降水帯注意情報」とは違い、表題に線状降水帯が入っていません。

 個人的には、この情報が予測を含んでいると利用者に誤解を与えないためではないかと思っていますが、変更となった詳細は不詳です。

 いずれにしても、現時点では、名前が似ている「顕著な大雪に関する情報」より、記録的な強雨の発生を素早く伝えることでより一層の警戒をよびかける「記録的短時間大雨情報」に似ています。

 線状降水帯による記録的に降る雨の予想は、かなり難しい予報ですが、「顕著な大雨に関する情報」が発表されたら、警戒レベル4相当(自治体が避難指示を発令する目安)以上の状況を示していますので、直ちに命を守るための行動が必要です。

 また、「顕著な大雨に関する情報」が発表されていなくても、大災害の可能性がありますので、「顕著な大雨に関する情報が出てないから大した雨ではなさそうだ」と思うことも間違いです。

線状降水帯の予報に向けて観測

 気象庁では、今年度から始まる「顕著な大雨に関する情報」に続いて、来年度、令和4年度(2022年度)からは、「線状降水帯を半日前に予報する情報」の提供開始を目指しています。

 さらには、その先に「線状降水帯を含む集中豪雨の予測精度向上」がありますが、これらの計画には、詳細な気象観測が不可欠です。

 このため、令和2年(2020年)3月の東京レーダーを皮切りに、全国の気象レーダーを二重偏波気象レーダーという、より正確に雨量を観測できるものへ順次更新しています。

 また、大気中の水蒸気分布を観測するため、全国のアメダス観測所に湿度計の設置計画を進めています。

 さらに、令和3年(2021年)から気象庁の持つ凌風丸と啓風丸の2隻の気象観測船を梅雨の時期に東シナ海で航海させ、線状降水帯の予測に欠かせない東シナ海や太平洋から日本列島に流れ込む水蒸気の量や動きを観測しています

 最初の観測は、5月31日に東京湾を出航した凌風丸によって行われていますが、当初は6月2日の予定でした。

 しかし、西日本の梅雨入りが記録的に早くなり、6月初めには九州で雨が予想されたことから、出港を急遽早めたものです。

 水蒸気量の観測には、GNSSと呼ばれる人工衛星と連携した最新の観測システムが使われます。

 タイトル写真は、凌風丸が長崎港に寄港したときのもので、この写真中の丸印がGNSS受信機で、写真1はこの部分を拡大したものです。

写真1 凌風丸に取り付けられたGNSSの受信機(一番右側の装置)
写真1 凌風丸に取り付けられたGNSSの受信機(一番右側の装置)

 凌風丸は、東シナ海で7月11日まで観測を行い、それ以降は入れ替わりで啓風丸が観測する予定となっています。

未知に挑む由緒ある船名

 東シナ海で線状降水帯の観測を行っている凌風丸という船名は、未知に挑む由緒ある船の名前で、現在の船は三世です。

 初代の凌風丸は、昭和9年(1934年)9月21日に猛烈に発達したまま京阪神を襲い、3000人以上がなくなるという室戸台風の教訓から誕生しています(図2)。

図2 室戸台風の経路(白丸は6時の位置)と昭和9年(1934年)9月20日18時の地上天気図
図2 室戸台風の経路(白丸は6時の位置)と昭和9年(1934年)9月20日18時の地上天気図

 室戸台風の教訓から南方海上の気象観測網が手薄であったことが明らかになり、硫黄島測候所、ラサ島測候所、南大東島測候所の設立と観測船の建造が行われます。

 この観測船が凌風丸(長さ77メートル、幅11メートル、1179トン)です(写真2)。

写真2 初代の凌風丸(気象庁提供)
写真2 初代の凌風丸(気象庁提供)

 船には嵐が大敵ですので、「風」のついた名前をつけない傾向にありますので、あえて「風」の字が入っているのは、軍艦など勇ましいことが必要な船とか、何か特別の意味がある場合です。

 当時、中央気象台長だった岡田武松は、江戸末期の文士で和算家である本多利明が幕命によって享和元年(1801年)に蝦夷地や樺太を探検したときに用いた船の名前から凌風丸と名付けたと記録に残しています。 

 岡田武松は、未知に挑む由緒ある船名としてこの名前を選んだものと思います。

 凌風丸(一世)は、小笠原諸島と南西諸島の間の広大な海洋を観測したり、観測の合間をぬって離島の測候所の建設資材や補給物資の運搬を行っています。

 太平洋戦争が始まると海軍に徴用され、非武装のままアリューシャン列島からシンガポールまでの気象観測や水路観測を行っています。

 その間、潜水艦の魚雷攻撃や航空機による爆撃を受けるなど、多くの僚船が沈む中でも生き残り、幸運の船と呼ばれました。

 なお、慶応元年(1865年)に佐賀藩が作った日本初の蒸気船の名前も凌風丸です。

 命名の理由は不詳ですが、個人的には、気象庁の凌風丸と同じく、未知に挑んだ本多利明の船の名前にちなんだのではないかと思っています。

 ちなみに、この佐賀藩の凌風丸は、有明海での要人輸送などに使用されていましたが、明治3年(1870年)に有明海で座礁し、活躍の時期は短いものでした。

 しかし、いち早く西洋の技術を取り入れて蒸気船を作った佐賀藩は、明治新政府の進める殖産興業に大きな貢献をしています。

タイトル写真と写真1の出典:平地真菜撮影(6月14日)・提供

写真2、図2の出典:饒村曜(平成14年(2002年))、台風と闘った観測船、成山堂書店。

図1、表の出典:気象庁ホームページ。