今から88年前は「七五三台風」が大暴れ

南シナ海西部の台風22号の雲と、雲がないフィリピンの東海上(11月14日15時)

台風の上陸数0?

 令和2年(2020年)の台風シーズン前半は発生数が少なかったのですが、後半は一転して発生数が多くなり、現在までに22個発生しています(表1)。

表1 令和2年(2020年)の台風発生数と上陸数および台風の平年値
表1 令和2年(2020年)の台風発生数と上陸数および台風の平年値

 そして、台風の上陸数は未だに0です。

 気象庁で用いている「台風の上陸」の定義は、「本州、四国、九州及び北海道の海岸線に台風の中心 (気圧の一番低い所)が達したもの」です。

 沖縄本島など島の上を通過した場合は上陸とは数えていませんので、沖縄には定義上、台風は上陸しません。

 気象庁ホームページに、上陸が遅い台風の一覧表があります。

 これによると、一番遅く上陸した台風は、平成2年(1990年)11月30日に和歌山県白浜町の南に上陸した台風28号で、11月に上陸したのは、この台風だけです(表2)。

表2 上陸日時が早い台風と遅い台風
表2 上陸日時が早い台風と遅い台風

 12月の上陸台風はありません。

 現在、台風22号が南シナ海を西進しており、まもなくベトナムに上陸する見込です(タイトル画像参照)。

 しかし、日本に接近してくる台風が多い、フィリピンの東海上には、台風の卵である熱帯低気圧はおろか、熱帯低気圧になる可能性がある雲の塊もありません。

 このまま、令和2年(2020年)の台風上陸数0が確定しそうです。

昭和25年(1950年)以前に11月以降に上陸した台風

 11月以降に台風が上陸したのは、平成2年(1990年)の台風28号のみというのは、台風の統計をとり始めた昭和26年(1951年)以降の話です。

 昭和25年(1950年)以前にも、11月以降に上陸した台風があったかどうかというのは難しい問題です。

 気象庁では、台風の定義として北西太平洋(東経180度以西で南シナ海を含む)の熱帯低気圧のうち、最大風速が17.2メートル以上のものとしています。

 そして、このような基準が適用された昭和26年(1951年)以降について、台風統計を行っています

 昭和25年(1950年)以前については、このような定義がなく、「この頃がこの台風の最盛期で、最大風速は10メートルであった」というように、今でいうと熱帯低気圧であるものまで台風と呼んでいました。

 また、熱帯低気圧と温帯低気圧の区別がはっきりしておらず、天気図に前線を引くこともありませんでした。

 このため、台風が温帯低気圧に変わるということは考えておらず、台風で発生したら、最後まで台風でした。

 従って、当時、上陸として扱っている台風でも、現在の基準からみれば、上陸時にはすでに「熱帯低気圧」に衰えていたり、温帯低気圧に変わっていたりするものが含まれています。

 また、逆に当時の乏しい観測貸料では、上陸した台風を見逃している場合も十分に考えられます。

 以上のことを承知で古い資料、例えば昭和19年(1944年)に中央気象台が作った「日本颱風資料」や、昭和15年(1940年)から毎年、中央気象台(現在の気象庁)で作られている「台風経路図」などで調べると、4個の台風が11月、12月に上陸したことになっています。

明治25年(1892年)11月24日に東海地方に上陸した台風。

明治27年(1894年)12月10日に九州南部か、11日に関東地方に上陸した台風。

昭和7年(1932年)11月15日に房総半島に上陸した台風。

昭和23年(1948年)11月19日に紀伊半島に上陸した台風。

 このうち、最大の被害が発生したのは、今から88年前の、昭和7年(1932年)の台風です(図1)。

図1 地上天気図(昭和7年(1932年)11月14日18時)
図1 地上天気図(昭和7年(1932年)11月14日18時)

「七五三台風」

 昭和7年(1932年)11月7日にフィリピンの東海上で発生した台風は、ルソン島をかすめて北上した後、向きを北東に変え、発達しながら15日0時に千葉県房総半島に上陸しています(図2)。

図2 「七五三台風」の経路(図中の白丸は6時の位置)と昭和7年11月14日18時の天気図
図2 「七五三台風」の経路(図中の白丸は6時の位置)と昭和7年11月14日18時の天気図

 子供の成長を祝う七五三の日である11月15日に上陸したことから、通称、「七五三台風」と呼ばれています。

 「七五三台風」により、最大風速は、横浜で毎秒36.3メートルを観測するなど、東海地方から関東地方の沿岸で30メートルを超えています。

 また、伊豆半島や関東南部~福島県の太平洋側では、ところにより総雨量が200ミリを超える豪雨となって、死者・行方不明者257名という大きな被害が発生しています(表3)。

表3 「七五三台風」の被害
表3 「七五三台風」の被害

 中央気象台が毎月発行していた「気象要覧」によると、「中心から延びる不連続線」など、現在の基準から見れば、上陸時には前線を伴っていた(温帯低気圧に変わっていた)と思えるような記述もあります。

 ただ、当時は前線の概念は一般化しておらず、日本の天気図には前線が記入されていません。

 「七五三台風」が、台風のまま上陸したのか、温帯低気圧に変わってから上陸したのかは、いまとなっては判別できませんが、大きな被害が発生したことだけは事実です。

 昭和7年(1932年)という年は1月に上海事変、3月に満州国建国宣言があり、その後日中戦争の激化などがあり、戦時体制が強化されていった年です。

 そのせいか、昭和7年(1932年)11月15日の朝日新聞夕刊では、「七五三台風」を「空の非常時を演出した」と記しています(図3)。

図3  七五三台風のときの新聞記事(昭和7年(1932年)11月15日の朝日新聞夕刊)
図3  七五三台風のときの新聞記事(昭和7年(1932年)11月15日の朝日新聞夕刊)

 そして、「お天気博士あきれる 先例や経験だけでは駄目になって来たよ」という、藤原咲平博士の談話を載せています。

 ちなみに、この藤原咲平博士は、自身の名がついた「藤原の効果(台風が複数ある時の相互作用)」を解明した人で、後に中央気象台長に就任します。

 最近の気象は、極端な現象が観測されるようになり、荒っぽくなってきたと言われています。

 「どうも先例や経験で推せなくなって来た」という藤原博士の嘆きは、現在もあてはまりそうです。

タイトル画像の出典:ウェザーマップ提供。

図1の出典:デジタル台風(国立情報学研究所ホームページ)より

図2、図3の出典:饒村曜(平成5年(1993年))、続・台風物語、日本気象協会。

表1、表2の出典:気象庁ホームページ。

表3の出典:気象庁資料。