聖火到着式の強風と86年前の函館大火の強風

函館山からの夜景(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

北日本大荒れの春分の日と聖火

 令和2年(2020年)3月20日の春分の日は、日本海北部の発達した低気圧によって北日本を中心に強い風が吹きました(図1、図2)。

図1 地上天気図(令和2年(2020年)3月20日9時)
図1 地上天気図(令和2年(2020年)3月20日9時)
図2 風と雨の分布(令和2年(2020年)3月20日9時)
図2 風と雨の分布(令和2年(2020年)3月20日9時)

 最大瞬間風速は、青森県・八戸で43.4メートル、北海道・函館で30.9メートルなど、全国で風の観測を行っている924地点のうち、55地点(6パーセント)で25メートル以上の強い風が吹いています(表)。

表 令和2年(2020年)3月20日の最大瞬間風速ランキング
表 令和2年(2020年)3月20日の最大瞬間風速ランキング

 また、506地点(55パーセント)で15メートル以上の強い風が吹いています。

 宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地で、3月20日に行われた聖火到着式は、この強い風に翻弄されています。

 低気圧縁辺部にあたる東北地方上空には強い南西の風が吹いていたため、聖火特別輸送機(TOKYO 2020号)の到着が9時36分と、1時間半ほど早く到着し、式典開始を待っています。

 また、輸送機から聖火のランタンを下ろして聖火皿に火を移す作業は強風によって何回もやり直しになり、航空自衛隊のブルーインパルスが描いた5色のカラースモークも強い風で流されています。

 新型コロナウィルスで無観客となるなど、大きな変更がありましたが、なんとかギリシャで灯された聖火は日本に到着しました。

 そして、強い風が吹き荒れましたが、聖火は無事に聖火皿に移されました。

 今後、聖火は東北3県で巡回展示する「復興の火」のイベントや聖火リレーなどをへて、東京の新国立競技場に運ばれます。

86年前の春の嵐

 今から86年前の昭和9年(1934年)、3月21日の朝に能登半島沖にあった低気圧は、12時間で20ヘクトパスカル以上も気圧が下がるという急発達をし、旭川では現在も一位の記録である961.0ヘクトパスカルを観測しました(図3)。

図3 昭和9年3月21日18時の地上天気図(中央気象台作成に加筆)
図3 昭和9年3月21日18時の地上天気図(中央気象台作成に加筆)

 令和2年(2020年)の低気圧に比べて、より南の海域で、より発達をしています。

 このため、函館では20メートル以上の強い南南西の風が吹き、最大風速は24.2メートル(現在も3月として歴代3位)でした。

 当時は、最大瞬間風速を観測していませんでしたが、令和2年(2020年)の低気圧の最大瞬間風速は、最大風速14.7メートルの約2倍ですので、最大瞬間風速は50メートル位であったと推定できます。

 この強風のなか、18時40分に函館市の南側に位置する函館山の麓から出火(火元は強風で壊れた家の囲炉裏の火)し約12時間にわたって燃え広がっています。

 函館の街は、函館山から細長く北に広がり、東側も西側も海に面していますので、人々は北側に逃げざるを得ませんが、街の南側からの出火でした。

 強い南風による飛び火によって、その逃げる先々で新たに火災が発生し、市街地の3分の1(1万1000棟)が焼け、北海道最大の都市であった函館の約半分の10万人が被災し、2166名が亡くなっています。

 多数の焼死者に加え、火災から海岸部へ逃れた人に高波が襲うなどで917名もの溺死者を出しています。

 さらに、着の身着のままで難を逃れた被災者にとって、雪が降り続いて気温が氷点下となった函館の夜は過酷で、217名の凍死者を出ました。

 函館大火の数年後、函館市の人口は横這いだったのに対し、人口が増え続けていた札幌市が北海道一の都市となっていますので、北海道の主役が切り替わったきっかけになった大火ともいえます。

寺田寅彦の提唱した「科学的国防軍」

 伝説の警告「天災は忘れた頃にやって来る」を言い出したといわれる物理学者で随筆家の寺田寅彦は、函館大火の翌々月の中央公論に「函館の大火について」という文章を書いていますが、この中で、火災に対する科学的な考え方の重要性を述べています。

 現代日本人の科学に対する態度ほど不可思議なものはない。

 一方において科学の効果がむしろ滑稽なる程度にまで買いかぶられているかと思うと、一方ではまた了解できないほどに科学の能力が見くびられているのである。

 火災防止のごときは実に後者の適例の一つである。

 きのうあった事はきょうあり、きょうあった事はまたあすもありうるであろう。函館にあったことがまたいつ東京大阪にないとも限らぬ。

 考え得らるべき最悪の条件の組み合わせがあすにも突発しないとは限らないからである。

 同じ根本原因のある所に同じ結果がいつ発生しないと保証はできないのである。

 それで全国民は函館罹災民の焦眉急を救うために応分の力を添えることを忘れないと同時に各自自身が同じ災禍にかからぬように覚悟をきめることがいっそう大切であろう。

 そうしてこのような災害を避けるためのあらゆる方法施設は火事というものの科学的研究にその基礎をおかなければならないという根本の第一義を忘却しないようにすることがいちばん肝要であろうと思われるのである。

出典:寺田寅彦(昭和9年(1934年))、函館の大火について、中央公論(昭和9年4月号)

 函館大火のあった昭和9年(1934年)は、災害が相次いだ年で、7月には北陸洪水、9月には室戸台風が発生しています。

 このため、寺田寅彦は、同年11月に「天災と国防」を書き、次のように主張しています。

 「日本のような特殊な天災の敵を四面に控えた国では、陸軍、海軍のほかにもう一つ、科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然である」。

 この寺田寅彦の考え方は、現在の消防庁や防衛省の役割に引き継がれています。

 春は、春一番からメイストームまで強い風が吹くことが多く、大火になりやすい季節です。

 函館大火など、過去の大火経験を風化させない努力が必要です。

図1の出典:気象庁ホームページ。

図2、表の出典:ウェザーマップ提供。

図3の出典:気象庁資料に著者加筆。