稚内と根室で流氷初日 海氷の要警戒は宗谷と国後の2つの海峡
今冬最後と思える寒気南下
北海道の東海上で低気圧が発達し、西高東低の冬型の気圧配置となって全国的に強い寒気が南下しました(図1)。
北日本では、3月15日頃にもう一回強い寒気が南下してきますが、東~西日本では今冬最後となりそうな寒気です。
この冬型の気圧配置により、オホーツク海の海氷がより南下しています(タイトル画像参照)。
流氷の観測
オホーツク海で冬の最初に凍るのは、北緯55度線上の西の端にあるシャンタル諸島周辺の海岸沿いで、11月には結氷します。
12月初めには拡大してサハリン島の北東海岸に及び、海岸線に沿って南下し、1月初めには、サハリン島の南端に達します。
北海道沿岸への流氷の襲来は、ほぼ1月の中旬です。
2月の初めには流氷は千島列島の南端に達して、その一部は太平洋に流出を始めます。
流氷域が最大となって、オホーツク海の80パーセントを覆ってしまうのが、3月の初めか中旬です。
気象庁のホームページにある海氷用語の説明によると、海に浮かぶ氷の総称が「海氷」です。
このうち、海を流れ漂い、海岸に定着していないものが「流氷」です。
そして、「流氷初日」は、視界外の海域から漂流してきた流氷が視界内の海面で初めて見られた日、「流氷接岸初日」は、流氷が接岸して船舶が航行できなくなった最初の日のことです。
気象庁では、オホーツク海沿岸にあった測候所を無人化とし、「流氷初日」の観測や「流氷接岸初日」の観測など、海氷についての観測を廃止していますので、現在、海氷についての観測を行っているのは、稚内・網走・釧路の3地方気象台だけです。
今冬の海氷観測年度、令和元年12月~令和2年5月(2019年12月~2020年5月)では、これまで、網走地方気象台で、2月9日に「流氷初日」を、2月11日に「流氷接岸初日」を観測していました。
しかし、測候所の観測を引き継いでいる自治体等によると、オホーツク海沿岸では2月上旬から、広い範囲にわたって流氷が接岸していました(表)。
そして、今冬最後となりそうな寒気が南下してきた3月6日、稚内地方気象台は流氷初日を観測しました。
稚内の沖合、約10キロのところに流氷が広がっているのを確認したからです。
稚内で流氷が観測されるのは、2年ぶりで、平年より21日遅くなっています。
また、根室市と根室市観光協会は、市役所の展望台からの観測で、3月6日に流氷初日を観測したと発表しました。
西高東低の冬型の気圧配置により強い北寄りの風で、海氷は北海道オホーツク海側の沿岸と国後島の広い範囲で接岸し、一部は根室海峡に流入しています(図2)。
海氷の一部は宗谷海峡から日本海に流出し、また、国後水道(国後海峡)から太平洋に流出しています。
西高東低の冬型の気圧が緩みますので、今後1週間は、南または西の風の吹く日が多く、オホーツク海南部の海氷は北海道オホーツク海側の海岸から離れるところが多くなる見込みです(図3)。
国後水道から太平洋への海氷の流出は続く見込みで、宗谷海峡への海氷の流入は続きますが、日本海への流出は次第に収まる見込みとなっています。
流氷が宗谷海峡から日本海にどれだけ流出するか、あるいは、国後水道等から太平洋へどれだけ流出するかは、過去の災害例から、防災上重要なチェックポイントとなっています。
日本海北部の流氷は貨物船や漁船への影響が大きい
日本が樺太(現在のサハリン)南部を統治していた時代は、稚内と大泊(現在のコルサコフ)を結ぶ稚泊(チハク)連絡船などがあり、宗谷海峡から日本海北部は、今よりも船舶の航行が盛んでした。
このため、流氷による欠航や遅れ、海難などに悩まされてきました。
宗谷海峡への流氷の進入や稚内沿岸への接岸は、宗谷海峡東口付近までオホーツク海の海氷が迫っているときに、低気圧で東よりの強風が吹いたときに急激におきます。
日本海は対馬暖流が北上しており、分散融解作用があって長期間停滞することは少ないのですが、オホーツク海の流氷が宗谷海峡を通って日本海へ流出直後は大きな影響がでます。
昭和48年(1973年)3月24日には、モネロン島(日本統治時代は海馬島(トドトウ))の北300キロメートルで、たら刺し網漁船の第3妙福丸(49トン)が流氷と衝突・沈没し、乗員9名全員が行方不明となっています。
モネロン島より北方のサハリン西岸沖では、タラやニシンの底網漁や刺し網漁が行われ、第3妙福丸はタラを満載し、基地としていた利尻島に帰港途中でした。
当時、低気圧が積丹半島付近で停滞しながら発達し、日本海北部では東よりの風が毎秒20メートル以上という大時化となり、前日の23日に宗谷海峡の東口にあった流氷群がモネロン島付近まで一挙に張り出してきたと考えられています。
この場合の平均漂流速度は時速6キロメートルと、流氷の移動速度としてはかなり早いものでした。
太平洋への流氷流出
オホーツク海の流氷は、ほとんどが千島列島で遮られますので、太平洋に流出することは多くはありません。
ただ、北海道の東海上の太平洋は、北アメリカと日本を結ぶ大圏コースに近いため多くの船舶が行き来しています。
また、漁船も漁をしています。
これらの船舶が流氷に衝突したら大惨事になります。
オホーツク海沿岸では、流氷に備えて休漁となり、流氷観光船以外は航行しないというのとは対照的です。
加えて、地震津波の問題があります。
オホーツク海は、北アメリカプレートの上にあり、あまり大きな地震は発生しませんが、千島から北海道の東海上では数10~100年程度の間隔で巨大地震が繰り返し発生し、津波による被害がでています。
この津波に、流氷などの固形物が混じっている場合には破壊力が増し、被害が拡大しますが、その実例があります。
昭和27年(1952年)3月4日の十勝沖地震です。
十勝沖を震源地とする十勝沖地震では、北海道池田町などで震度6を記録し、北海道東部から東北北部に死者・行方不明者33名などの大きな被害が発生しました。
北海道で3メートル前後、三陸沿岸で1~2メートルの津波が発生しましたが、津波の被害が大きかったのは震源地に近い十勝や日高の沿岸ではなく、少し離れた北海道浜中村(現在の浜中町)霧多布です。
太平洋に流れ出た流氷が、1週間くらい前に霧多布付近にあり、地震によって発生した津波とともに村を襲い、霧多布の民家の60パーセントを海に押し流しています。
大地震の発生場所や流氷の位置によって様相は大きく異なりますが、いずれにしても流氷の海での津波は、流氷のない普通の海での津波に比べて、けた違いに大きな被害となることに警戒する必要があります。
流氷は負の面だけではありません。
北海道の流氷は、世界で唯一、「交通の便が良く、都会から近いところで見ることができる海が凍る現象」という、大きな観光資源です。
タイトル画像の出典:ウェザーマップ提供。
図1、図2、図3の出典:気象庁ホームページ。
表の出典:気象庁資料、根室市ホームページ、紋別市ホームページをもとに著者作成。