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気象庁では25年前の阪神・淡路大震災から自治体へ職員派遣

饒村曜気象予報士
復旧作業 阪神・淡路大震災(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

JETT(ジェット)

 気象庁は、大規模な災害時に「気象庁防災対応支援チーム」として、都道府県や市町村の災害対策本部等へ気象庁職員を派遣しています。

 「気象庁防災対応支援チーム」の略称はJETT(ジェット)、英語表記(JMA Emergency Task Team)の頭文字を並べたもので、創設は、平成30年(2018年)5月1日です。

 派遣された職員は、現場のニーズや各機関の活動状況を踏まえ、気象等のきめ細かな解説を行うことにより、地方公共団体や各関係機関の防災対応を支援しています。

 令和元年(2019年)には、台風の接近に伴うものだけで、11回派遣されています(表)。

表 令和元年(2019年)の台風接近によるJETTの派遣
表 令和元年(2019年)の台風接近によるJETTの派遣

 JETTの前身ともいうべき活動が最初に行われたのは、今から25年前の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震で発生した大震災)の時です。

阪神・淡路大震災

 平成7年(1995年)1月17日5時46分に兵庫南部地震(阪神・淡路大震災)が発生しましたが、当時、私は神戸海洋気象台(現在の神戸地方気象台)の予報課長をしていました(図1)。

図1 神戸海洋気象台の電磁式強震計記録
図1 神戸海洋気象台の電磁式強震計記録

 寝ていた時の地震でしたが、地球の重力と同じくらいの大きな力での揺れでしたので、一瞬無重力状態になったり、床に押し付けられたりと、揺れている間は何もできないという体験をしました。

 神戸海洋気象台にはただちに非常対策本部が設置され、あらかじめ決められているとおり、予報課長が副本部長につき、気象や地震などに対するマスコミ対応を行いました。

 神戸海洋気象台は、兵庫県南部地震で建物の一部に被害が出たものの、気象や地震の観測や天気予報、注警報の発表などの業務を、全て通常通りに行うことができました。

 そのとき、気象庁から兵庫県へ専門家派遣という話があり、サポート業務を行いました。

専門官2人を派遣 余震対策などで非常災害対策本部

 政府の非常災害対策本部(本部長・小里貞利震災担当相)は23日、第3回会議を国土庁で開き阪神大震災で現地に余震対策と都市復興計画の専門官を常駐させることを決めた。

 地震予知を含めた余震対策の専門官を気象庁から1人、知事や市長らと一緒になり都市の街並みづくりに参加する専門官1人を建設省から派遣する。

 2人は24日に現地入りし、知事公舎に常駐する。

出典:中日新聞(平成7年(1995年)1月24日朝刊)

 この記事にある震災担当相は、地震発生4日目の1月20日に新たに作られたポストで、小里貞利北海道・沖縄開発庁長官が就任しています。

 そして、21日の夕方の会議では、非常対策本部の「現地対策本部」を神戸市に置くことを決めています。

 これは、被災地方公共団体との連絡・調整を取りつつ可能な限り現地で迅速・的確に処置するためです。

 さらに、地方公共団体の行っている地震対策について、最大限の支援・協力を行うとともに復旧・復興への的確・適切な助言を行うためです。

 政府の現地対策本部は、久野統一郎国土庁政務次官を本部長に、国土庁の内仲康夫官房審議官を副本部長、政府の出先機関等の幹部職員を本部員として構成されました。

 そして、4月4日の廃止決定までの2か月半、兵庫県公館3階の会議室を使って活動を行いました(写真)。

写真 政府の現地対策本部が置かれた兵庫県公館(平成7年(1995年)3月に著者撮影)
写真 政府の現地対策本部が置かれた兵庫県公館(平成7年(1995年)3月に著者撮影)

 気象庁から派遣の専門家は、地震や火山に詳しい気象研究所地震火山研究部の小宮学室長で、旧知の人でした。

 そのとき、専門的知識もさることながら、大混乱の中でも落ち着いて行動ができる人柄で選ばれたのではないかと思いました。

 これらの人々は、神戸市内で宿泊等ができないため、救援活動等のため各地から集められ、神戸沖に停泊している海上保安庁の巡視船で寝泊まりしました(図2)。

図2 神戸市街図
図2 神戸市街図

 といっても、宿泊する巡視船は、救援活動の都合でしょっちゅう変更となっています。

 例えば、気象研究所の小宮学室長は、「せっつ」、「えちご」、「やしま」等に転泊していますが、「せっつ」は第五管区海上保安本部(神戸)、「えちご」は第九管区海上保安本部(新潟)、「やしま」は第三管区海上保安本部(横浜)に配属されているヘリコプター搭載艦です。

兵庫県公館

 兵庫県公館は、明治35年(1902年)に兵庫県本庁舎として建設された建物で、昭和60年(1985年)に、迎賓館と県政資料館を併せ持つ施設として整備されました。

 重厚な作りで、兵庫県南部地震でも無傷の建物でした。

 そこで、ここに白羽の矢が立ったのです。

 気象庁では、災害応急対策を円滑に進めるため、現地対策本部に対して、地震に関する情報は大阪管区気象台から、気象に関する情報は神戸海洋気象台から提供することとしました。

 1月23日から現地対策本部の臨時ファックスに情報を送り始めました。

 24日の昼すぎには、通信メーカーの2人と気象台の通信担当の神内弘技術専門官、そして私の4人で現地対策本部にゆき、大阪管区気象台より急遽送付されてきたファックスを用いて、気象台の同報ファックス装置への繋ぎ込み工事を行いました。

 この時は、現地対策本部が設置されたばかりで、通信機器も全くなく、机の配置等も確定していませんでした。

 そして、多くの人が出入りしてごった返していました。

 そこで、模様替えしてもよいように、コードを長めにとり、持参したファックスを設置しました。

 これ以後、現地対策本部へは、気象台からホットライン(専用回線)での情報提供となりました。

 図3は現地対策本部の配置図です。

 図の丸6が気象庁ファックスが置かれていた場所で、図の丸7が最初にファックスを置いた場所です。 

図3 現地対策本部の室内配置図
図3 現地対策本部の室内配置図

 気象台から送られたファックス情報は、すぐにコピーがとられ、各部署に配布されました。

 復興が始まった時、一番重要だった情報は週間天気予報でした。

 普段であれば、天気に大きく左右されない行動や、直前になってから計画してもよい行動までも、天気を早めに知って物資移動や人員派遣の計画を立てておかないと仕事にならないという現状があったからです。

 なお、兵庫県公館は、平成27年(2015年)の大ヒット映画「HERO(木村拓哉、松たか子出演)」で、とある国の大使館として使われるなど、数多くの作品で使われている建物ですので、知らず知らずのうちに多くの人が見ていると思います。

図1、図2、図3の出典:饒村曜(平成8年(1996年))、防災担当者の見た阪神・淡路大震災、日本気象協会。

表の出典:気象庁資料をもとに著者作成。

写真の出典:著者撮影。

この記事にある小里貞利震災担当相は、地震発生4日目の1月20日に急遽任命された大臣で、地震復興の中心的な役割をしています。

 気象庁から派遣の専門家は、地震や火山に詳しい気象研究所の小宮学さんで、旧知の人でした。

 そのとき、大混乱の中でも落ち着いて行動ができる人柄で選ばれたのではないかと思いました。

 ただ、通常通りの業務を行うことで手いっぱいの神戸海洋気象台からのサポートはあまりできず、小宮学さんは神戸港に停泊中の巡視船「摂津」で宿泊し、そこから、兵庫県の災害対策本部がある兵庫県公館に通っていました。

兵庫県公館

 兵庫県公館は、明治35年(1902年)に兵庫県本庁舎として建設された建物で、昭和60年(1985年)に、迎賓館と県政資料館を併せ持つ兵庫県公館として整備されました。

 重厚な作りで、兵庫県南部地震でも無傷の建物でした。

 なお、兵庫県公館は、平成27年(2015年)の映画「HERO(木村拓哉、松たか子主演)」で、とある国の大使館として使われるなど、数多くの作品で使われている建物ですので、知らず知らずのうちに多くの人が見ています。

表の出典:気象庁資料をもとに著者作成。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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