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伊勢湾台風60年 令和の台風15号との違い

饒村曜気象予報士
日本のはるか南海上の熱帯域に発生した台風の卵(9月25日15時)

せめて3桁に

 戦後の日本は、台風による大災害が多発しています。

 昔、気象庁予報課で予報当番に従事していましたが、その時に、ベテランの予報官から、「昔は大きな台風がくると1000人以上が亡くなり、どんなに強い台風でも死者が3桁にならないか、と思って作業をしていた」という話を聞いています。

 今からみたら、考えられない話ですが、それだけ、戦後の日本は台風によって苦しめられてきたのです。

 死者が3桁という台風は、昭和54年(1979年)の台風20号が最後ですが、死者が4桁という台風は、今から60年前、昭和34年(1959年)の台風15号が最後です。

 と同時に、伊勢湾台風と名付けられたこの台風15号は、近代史上最悪の被害が発生した台風でもあります。

 伊勢湾台風は、9月21日に発生したあと、中心気圧が895ヘクトパスカルまで発達したあと、あまり衰えることなく北上しました。

 そして、26日18時過ぎに和歌山県潮岬に上陸したときでも、中心気圧925ヘクトパスカル、最大風速が毎秒50メートルもありました。

 このため、伊勢湾で高潮が発生するなどして全国で5000名以上が死亡しています。

 名古屋港では、これまで一番大きかった大正10年(1921年)9月の高潮でも大丈夫なような海岸堤防がつくられていましたが、その高さをはるかに越える高潮でした(図1)。

図1 名古屋港における高潮
図1 名古屋港における高潮

 そして、伊勢湾周辺では広い範囲で浸水しています(図2)。

図2 伊勢湾の浸水状況
図2 伊勢湾の浸水状況

逃げることができる高潮の高さ

 建築学会が組織した「伊勢湾台風災害調査特別委員会」の報告書には、平均風速約20メートル前後の暴風雨時に、浸水地域内で危険を冒して逃げ切った人々から、当時の浸水の高さを調査した結果が載せてあります(図3)。

図3 逃げることができた水かさ(推定)と人数(人)
図3 逃げることができた水かさ(推定)と人数(人)

 これによれば、大人の男性で約70センチ以下、女性で50センチ以下です。

 子供(小学校5~6年生)では30センチ以下です。

 このことを逆にいえば、これ以上の水かさがあった場所では、避難して助かることができなかったことを示しています。

 つまり、夜間の暴風雨の中の避難は、わずか30センチの浸水でも非常に困難であり、子供にとっては非常に危険な行動であることを示しています。

 子供の手を放した場合は、ほとんどの人が子供を見失っています。

当時としては正確だった台風の進路予報

 昭和57年6月の台風5号から、台風の進路予報に予報円が用いられていますが、それ以前は、24時間後までの進路の幅をなんとか絞ろうとする扇型表示でした。

 伊勢湾台風時も、この扇型表示でしたが、当時としては正確な予報でした(図4)。

図4 伊勢湾台風の進路予報(数字は日付けで、いずれも9時の予報)
図4 伊勢湾台風の進路予報(数字は日付けで、いずれも9時の予報)

 日本の南海上にあった9月23日から台風はほぼ扇型の真ん中を進んでいますし、24時間後の位置を示す扇の先のあたりに24時間後の台風がきています。

 進行方向も進行速度も、24時間先まででしたがほぼ正確でした。

 伊勢湾台風のような大型で勢力の強い台風は、動きが単純であることもありますが、アメリカ軍が飛行機を用いた台風観測を積極的に行い、逐次、日本にその情報を提供してくれたことも大きな理由です。

 例えば、図5は伊勢湾台風に対する9回目の飛行機観測ですが、グアム島を発信した気象観測機は、26日5時46分に台風の中心に飛び込んで正確な位置を観測したあと、周辺部の観測を行い、5時間15分後の11時00分に再度台風の中心に飛び込み、正確な位置を観測しています。

図5 伊勢湾台風に対する9回目の飛行機観測(二重丸は台風の中心貫通観測)
図5 伊勢湾台風に対する9回目の飛行機観測(二重丸は台風の中心貫通観測)

 観測終了後は、燃料がたりなくなったせいか、基地のあるグアムではなく、沖縄へ飛んでいます。

伊勢湾台風の特徴

 伊勢湾台風の進路予報をもとに、予報円と暴風警戒を書き入れたものが図6です。

図6 伊勢湾台風の経路と当時の予報(9月25日9時の発表)をもとに作成した予報円と暴風警戒域
図6 伊勢湾台風の経路と当時の予報(9月25日9時の発表)をもとに作成した予報円と暴風警戒域

 予報円は、現在の24時間後の予報円に比べれば、かなり大きくなりますが、それ以上に目立つのは暴風域の大きさです。

 大きな暴風域ということは、広い範囲で長時間にわたって危険な状態が続くことを意味しています。

 伊勢湾台風の教訓から、昭和36年(1961年)に災害対策基本法がつくられています。

 この法律は、防災対策の責任の所在を明確にするとともに、防災計画の作成、災害予報、災害の応急対策、災害復旧及び災害に対する財政金融措置など、必要な災害対策をまとめたものです。

 災害対策基本法により、日本の災害対策が飛躍的に進歩しました。

 また、台風予報が正確で詳しくなりましたが、時代と共に災害が変化し、被害がなかなか0になりません。

令和元年(2019年)の台風15号

 伊勢湾台風から60年、台風予報は飛躍的に進歩しました。

 令和からは、台風の進路予報を5日先までおこなってきたことに加え、強度予報も5日先まで行っています。

 そして、その予報もかなり正確です。

 令和元年(2019年)9月5日15時に台風15号が発生した時の予報が図7です。

図7 令和元年(2019年)の台風15号の進路予報(9月5日15時)
図7 令和元年(2019年)の台風15号の進路予報(9月5日15時)

 発生したときから、台風15号は8日夜から9日にかけて東京湾に向かっていること、次第に発達して暴風域を持つようになることなどが予想されています。

 それでも、千葉県を中心に大きな被害が発生しました。

 伊勢湾台風と同じ15号といっても、令和の15号は、暴風域の大きさがまるで違います。

 暴風の範囲は狭く、昔で言えば豆台風ですが、直撃した地域では大きな被害がでます。

 しかし、暴風の範囲が狭いということは、すぐ近くにくるまでは、風と雨が強くならず、油断しがちな台風でもあります。

 台風15号の接近前、気象庁は異例の記者会見をして警戒を呼び掛けていますが、それだけ危険な台風であったのです。

 関東の南海上の海面水温が平年より高いことから、台風は衰えずに北上し、過去最大級の最大瞬間風速、毎秒60メートルの風が吹くと予想されていました。

 台風の暴風域の範囲が狭いため、台風が接近してきても風や雨が強まらず、半信半疑だった防災関係者の緊張感が一気に高まったのは、神津島で9月8日21時10分に最大瞬間風速58.1メートルを観測した時です。

 このとき、千葉市の最大瞬間風速は9.9メートルなど、首都圏では強い風が吹いていませんでしたが、予報通りの60メートルという記録的な風が吹くことが実感できたからです。

 ただ、多くの人は、危機感を持たずに休まれたと思います。

 関東の鉄道各社は、9日の始発から計画運休を決めていましたので、多くの人は、普段よりゆっくりした通勤・通学と考えていたのではないかと思います。

 千葉市で最大瞬間風速が20メートルを超えたのは、神津島の観測から4時間後の9日1時10分、そこから4時30分に57.5メートルまで、一気に風が強まっています。

 

次につながらない「もっと情報を」

 大災害が発生すると、「もっと情報があれば対応できた」とか、「今後は連携して情報を提供する」などの話が、必ずといっていいほど出てきます。

 しかし、この種の話のほとんどは次に繋がりません。

 大災害が発生した時は、情報が少ないのが当たり前です。

 災害時には、情報が少ないなかでの判断となります。

 その時の判断基準は、「普段ならどうする」だと思います。

 ということは、普段の生活がいかに大事かの裏返しです。

 災害時に特別なことはできません。

 9日の計画運休では、線路への飛来物や倒木の影響も当初予定していた時刻よりも、普及が遅れ、数少ない動いている電車に人々が殺到したため、多くの人が通勤・通学に苦労しています。

 そんな中、テレビで在宅勤務に切り替えて対応した企業が紹介されていましたが、普段から一部で取り入れていた在宅勤務を、一斉に行ったようです。

 普段からやっていないなら、10倍の努力をしても0×10で0ですが、普段1のことをやっていれば、10倍努力すれば1×10で10になるということではないかと思いました。

 

分からないから用心深く

 伊勢湾台風当時、伊勢湾台風を除いて、台風の進路予報はあまり当たりませんでした。

 また、堤防などの防災インフラも不十分でした。

 このため、台風が接近すると、台風予報があたらないかもしれないので、より安全係数をかけて避難するということが行われてきました。

 台風予報が当たらなくても、台風がどこにいるかの実況は確実にわかりますので、頻繁に台風情報をチェックすることで、防災に使えました。

 今は、台風予報が正確となり、防災インフラも整備が進んでいます。

 情報化社会となり、便利な情報がどんどんできますが、それは平常時の話です。

 災害時には、情報が減ります。

 情報を発表する側が、正確な情報をすばやく集めることに苦労するからです。

 かといって、「なぜ情報がでないのか」「早く出して」というプレッシャーによって不確実な情報がでたとすると、それが一気に確実な情報として広がる怖さがあります。

 インスタ映えの写真が撮れるからといって、海や川などにいって事故に遭う人など、最近は、わざわざ災害にあいにゆく人が少なくありません。

 昔のように、「分からないから用心深く」ということも大切ではないかと思います。

 

次の台風

 日本のはるか南海上の熱帯域で、9月25日15時に台風の卵、熱帯低気圧が発生しました(図8、タイトル画像参照)。

図8 地上天気図(9月25日15時)
図8 地上天気図(9月25日15時)

 9月25日の朝までは、雲の塊もそれほどなかったのですが、半日の間に発達した積乱雲が急に増えました。

 台風に発達するかどうか、発達した場合の進路については、まだはっきりしていませんが、過去、日本に大きな災害をもたらした台風の発生海域での熱帯低気圧です。

 10月も台風シーズンが続きます

 最新の台風情報に注意してください。

タイトル画像、図7の出典:ウェザーマップ提供。

図8の出典:気象庁ホームページ。

図1、図2、図3、図4、図5、図6の出典:饒村曜(平成5年(1993年))、続・台風物語、日本気象協会。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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