新5000円札の図柄「ノダフジ」 地元・大阪で4月17日に開花
新5000円札の藤の花
令和6年(2024年)の上半期をめどに、新紙幣が発行となります。
平成31年4月9日に麻生太郎財務大臣が発表したデザイン案は次のようになっています。
新1万円札の表面は、日本の資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一の肖像、裏面は東京駅の丸の内駅舎です。
新5000円札の表面は、日本初の女子留学生で津田塾大学創設者の津田梅子の肖像、裏面は藤の花です。
新1000円札の表面は、ペスト菌を発見した医師の北里柴三郎の肖像、裏面は葛飾北斎・富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」です。
このうち、新5000円札裏面の藤の花のデザインは、花房が長い藤ですので、ノダフジと思われます。
ノダフジと牧野富太郎
明治39年(1906年)、日本の植物分類学の創始者である牧野富太郎は、日本固有の藤は、花房が長い右巻きの「ノダフジ(フジ)」と花房が短い(ずんぐりしている)左巻きの「ヤマフジ(ノフジ)」の2種類に分けられるとしています。
牧野富太郎が調査した大阪市福島区の春日神社境内には、「野田の藤跡」の碑があります。
この春日神社のある野田・玉川一帯は、室町時代には藤の名所で、二代将軍・足利義詮や太政大臣・豊臣秀吉が観賞しています。
江戸時代は、「吉野の桜」「高尾の紅葉」「野田の藤」が三大名所でした。
大阪のノダフジの開花
生物の状態の変化から季節の変化を知ることができるということは、温度計で気温を測るなど、測器を用いた観測が始まる前から行われ、多くの記録が残されています。
測器による観測が始まっても、生物の状態変化の記録が続けられ、両者の比較から、過去の日本の気候について、重要な情報が得られるようになってきました。
例えば、花見をしたという記録を多数集めれば、花見ができるようになった日付の遅れ進みから、平安時代は暖かかったが、鎌倉時代は寒かったなどの情報が得られます。
内務省地理局測器課(ここにある気象係が中央気象台・気象庁の前身)が、明治13年(1880年)に作成した「気象観測法」では、「定期顕象ノ記」として、生物を観測することが記されています。
明治13年(1880年)に和歌山県が管内の各郡役所へ、気温観測の訓令を発したという記録がありますので、この頃から気象の観測と動植物の報告を集めるようになったと考えられます。
生物季節観測の始まりです。
その後、観測種目や観測方法が統一され、昭和3年(1928年)5月から中央気象台(現在の気象庁)が発行している「気象要覧」に「生物気象」という項目が載るようになります。
現在使われている生物季節観測指針が最初に作られたのは、戦後の占領政策が終わった、昭和28年(1953年)1月からです。
平成最後の年のノダフジの開花
気象庁では、さくらの開花の観測と同様、ノダフジの開花の観測も行っています。ただ、ノダフジの満開の観測は行っていません。
平成最後の年、平成31年(2019年)のノダフジの開花状況は、次のようになっています。
日付、地点名、平年差(昨年差)
3月19日、名瀬、-13(+5)
4月6日、静岡、-7(+2)
4月7日、宮崎、-1(+4)
4月7日、熊本、-4(+3)
4月9日、高知、-2(+5)
4月9日、鹿児島、0(+7)
4月10日、長崎、-7(+4)
4月10日、佐賀、-5(+6)
4月11日、岐阜、-6(+8)
4月12日、和歌山、-5(+7)
4月15日、広島、-3(+10)
各地とも平年より早い開花となっていますが、昨年より遅くなっており、さくらの開花状況と同じ傾向を示しています。
これは、暖冬気味で平年よりは早かったものの、昨年のように、極端な寒さの後に暖かさがくる休眠打破という開花加速がなかったため極端に早かった昨年よりは遅れたからと思われます。
大阪のノダフジの平年の開花日が4月17日(最早は4月5日、最遅は4月25日)ですので、今日かあすには大阪から「ノダフジ開花」のたよりが届くかもしれません(図)。
また、東京のノダフジの平年の開花日が4月21日ですので、まもなく東京からも「ノダフジ開花」のたよりが届きます。
追記(4月17日18時)
大阪管区気象台は大阪城公園でノダフジの観測を行っており、4月17日に開花を観測しました。平年の開花日と同じ日の開花で、前年より12日遅い開花でした。
図の出典:気象庁資料より著者作成。