桃の節句の南岸低気圧 「桜田門外の変」は桃の節句で雪の日
南岸低気圧と大雪
日本海側の大雪は西高東低の冬型の気圧配置の時に降りますが、関東地方の大雪は本州の南岸を低気圧が通過する南岸低気圧で降ります。
真冬には南岸低気圧が発生しませんので、南岸低気圧が現れるときは、冬の終わりから春のはじめです。
したがって、南岸低気圧による雪は、春を呼ぶ雪と呼ばれることがあります。
ただ、平成最後の年の桃の節句(3月3日)は、南岸低気圧が通過しますが、いわゆる南岸低気圧とは少し違います(図1)。
今回の南岸低気圧は、本州の南海上を少し離れて通りますが、その北側に小さな低気圧が出来るというタイプです。
南岸低気圧本体は、少し離れて通りますので、降水量は多くならないのですが、その北側に出来る小さな低気圧は予報が難しく、気温が低い場合は予想外の雪となる可能性があります。
ただ、3月初旬にしては気温が高いときの南岸低気圧です。
東京では最高気温は9度までしかあがらないため肌寒い日ですが、東日本から西日本では10度以上、沖縄では25℃以上となって、雨が降るという桃の節句の日(3月3日)の天気予報です(図2)。
安政7年の桃の節句
安政7年3月3日(1860年3月24日)の桃の節句は、前夜から続く大雪でした。
このときの大雪は、南岸を通る低気圧によるものと考えられています。
この日、登城途中であった大老の井伊直弼(46歳)は、桜田門外で日米条約に反対する水戸・薩摩藩士17名によって暗殺されました。
「桜田門外の変」です。
桃の節句の賀詞言上のため、必ず登城するという日を狙った犯行でした。
大老警護の彦根藩士たちは、大雪のため、柄袋で刀を覆っており、このため抜刀が遅れたことが暗殺を許した原因と言われています(図3)。
江戸城で桃の節句が行われた3月3日といっても太陰暦です。
太陽暦に直したら3月24日と3月下旬になります。
南岸低気圧が通過するとしても雪にはなりにくい、例年なら桜が咲く季節です。
大老が白昼暗殺されたことで、幕府の衰退が公然となり、倒幕への動きが急になったこの事件が、もし、普通の年で雪が降っていなかったら、日本の運命は変わっていたかもしれません。
なお、警視庁の隠語が「桜田門」というのは、警視庁が「桜田門外の変」が起こった皇居の桜田門の近くにあるからです(タイトル画像参照)。
図1の出典:気象庁ホームページをもとに作成。
図2の出典:ウェザーマップ提供。
図3の出典:饒村曜(平成10年(1998年))、イラストでわかる天気のしくみ、新星出版社。