台風24号による塩風害(塩害)、台風25号も?
塩害と称しているのは塩風害
塩害には、高潮や異常潮位などによって、干拓地などで塩分が増加してい起こる塩水害と、台風などの強い風によって風によって塩分が内陸部に運ばれることによって生じる塩風害の2種類があります。
ただ、一般的には、塩風害のことを塩害と称することが多いようです。
10月5日の関東地方は、朝から複数の鉄道で送電線から火花が出るなどし、列車の運休や遅れが相次ぎました。
京成電鉄では朝から全線運休となり、東京都心と成田空港を結ぶ「スカイライナー」では、一部区間で運転が再開されたのは、全線運休が始まってから約10時間後でした。
これは、9月30日夜に和歌山県に上陸した台風24号は、各地に記録的な暴風によって大きな被害がでましたが、関東地方でも、沿岸部を中心に、暴風で吹き付けられた海水の塩分が電線を電柱に固定して支えるための絶縁体「碍子(がいし)」に多量に付着したからです。
台風24号などで強い雨が降れば、碍子に付着した塩分が洗いながされて塩害は発生しませんが、台風24号のとき、関東地方では強い雨は降りませんでした。
その後も強い雨が降らず、台風24号襲来の4~5日後に、弱い雨が降ったことで、付着していた塩分が水分を吸収し、電気をショートさせて電気系統のトラブルである塩風害が発生しました。
降水による洗浄効果は塩分粒子が大きいほど、降水強度が強いほど、降水時間が長いほど大きくなります。例えば,塩分粒子の直径が7マイクロメートルの場合、1 時間に1ミリの雨が30分降った場合は40%、1時間なら65%が洗浄されるという調査もあります。
塩風害に対する対策としては、早目に水で洗浄するといった方法などがありますが、防風林を植えたり、塩分が付看しても大丈夫なように、あるいは付着しそうな場所を避けて電気設備などを設置するといった日頃の防災対策が重要です。
海岸べりのには多くの電気設備があり、普段から塩害の危険性が高いのですが、日頃の防災対策がとられているため、塩風害が発生するのは、台風などの強い風で、日頃の防災対策がとられていない内陸まで塩分が運ばれたときです。
塩風害の認識は大正時代から
日本で台風による塩風害のことが最初に取り上げられた古文書は、瑠璃山年録残篇であるといわれています。ここには、正平11年8月14日(1356年9月17日)に 「塩風吹」とだけ記載されているだけで、どのような被害が出たのかはわかりません。ただ、同じ日に近畿・東海道話国で大風雨が起こっているという他の文献から、かなりの暴風域を待った台風が通過し、その結果として瑠璃山付近で塩風害があったものと思われます。瑠璃山の場所についてははっきりしていませんが、静岡県磐田郡で、海岸から約20キロのところではないかと言われています。
しかし、 塩風害について本格的にメスが入れられたのは大正時代になってからです。というのも、それまでは塩風害は他の被害に比べて大きな社会問題にはならなかったからです。
近年になって作られ始めた 数多くの電力施設が塩風害の著しい増加をもたらし、大きな社会問題 となってきたからです。
大正時代の調査で、日本で最初の塩風害が発生したときの天気図は、明治30年(1897年)9月7~9日の台風のときのものです(図1)。
明治30年9月8~9日の台風は、九州の南海上から速い速度で北東進して静岡県に上陸しています。横浜地方は、風が最も強くなったのが9日の6時頃であるのに対し、雨はこの頃に止んだようです。雨は主として暴風の吹く前に降っていました。
そして、暴風の終息した後、樹木も風に面した側の葉は緑がうすれて次第に赤くなり、蔬菜は葉がしぼんで枯れたといわれています。
昭和に入り、塩風害に対する調査・研究およびその対策がかなり進んできましたが、これが飛躍的に進んだきっかけは、昭和36年9月の第2室戸台風によって引き起こされた関東地方の塩風害です(図2)。
第2室戸台風は関西地方を中心に大きな被害が発生した台風ですが、雨の少なかった九州・東海道・関東地方南部等で、電気施設の塩風害事故が広範囲におこりました。台風通過後、何日かおいて、霧や弱い雨のときに事故が起こった所もありました。
台風25号で塩風害の可能性も
現在、台風25号が対馬海峡を通って、日本海を北上する見込みですが、これから関東地方などは、風が強まっても、雨はあまり降らないと考えられます(図3)。
台風24号のときのように、強い風が吹いて雨が少ない地方では、台風25号が過ぎ去ってからも、しばらくは、塩風害に注意が必要です。
図1、図2の出典:饒村曜(平成5年(1993年))、続・台風物語、日本気象協会。
図3の出典:ウェザーマップ提供。