大気境界層の観測は、気象研究所の鉄塔から東京スカイツリーへ
大気境界層
大気境界層と呼ばれる高さが1~2キロメートル以下の大気は、地表面の摩擦の作用や熱的な作用によって乱流が発生し、気温や風速は激しく変動しています。
大気境界層より上空の大気は、流体力学などで表現できるため、コンピュータを用いた数値予報という手法で予測できるので、大気境界層のふるまいがわかると、私たちの生活に関係する地表付近を正確に予測できます。
ふうせんをあげて行う高層観測は、連続観測をできないことから大気境界層についての観測には不向きです。そこで、開けた土地に高い自立鉄塔を建て、高さが違う場所に気象測器を設置し、常時監視することで大気境界層を観測するのですが、この方法は、鉄塔の建設やメンテナンスなどで意外と経費がかかる観測方法です。
昭和45年(1970年)頃から、ソビエト連邦(現在のロシア)やアメリカを中心に鉄塔を使った観測が始まり、大気境界層の研究が進んでいます。
気象研究所の鉄塔
大気境界層の研究者にとって、高い気象鉄塔を持つことが夢でしたが、これができたのは、東京都杉並区にあった気象庁・気象研究所がつくば学園都市に移転することが決まったことがきっかけです。
つくば学園都市ができている場所は、もともとは原野で、大正9年(1920年)8月に広々とした敷地を使って高層気象台が作られています。つまり、高層気象台は、つくば学園都市の最初の国の機関ということになります。
この高層気象台の敷地内に気象研究所が移転したのは昭和55年(1980年)6月のことですが、それに先立ち、昭和48年(1973年)から鉄塔の建設が始まり、昭和50年(1975年)12月に213メートルの鉄塔が完成しています(図)。
気象研究所の鉄塔は、つくば学園都市のどこからでも見え、つくば学園都市のランドマークとなっていました。
鉄塔の本体に約7億円、測定器・処理装置に約2億円が投じられました。
気象研究所の鉄塔には、途中10メートル、25メートル、50メートル、100メートル、150メートル、200メートルにステージがあり、ここから3方向にアームが6メートル突き出ていました。
突き出ていたアームの先端には風速計や温度計、湿度計などの気象センサーが取り付けられていました。3方向にアームが出ているのは、風の観測時に鉄塔の影響がない測定位置を確保するためです。
気象研究所だけでなく、つくば学園都市に移転した研究所も鉄塔の観測データを用いて数多くの研究成果を生んできましたが、建設して30年ほどたつと、すべて鉄材で作られている鉄塔や気象センサーの老朽化が顕著になってきました。
この頃、気象庁企画課で勤務していたのですが、気象研究所は毎年のペンキ塗り換えなどの費用捻出に苦労していたという印象があります。老朽化して鉄塔が倒れた場合、倒れる方向によっては、気象研究所の敷地外にまで被害が及ぶという議論もありました。
大気境界層の研究に鉄塔を用いた観測が昔ほど重要視されなくなってきたという事情もあり、平成20年(2008年)末に気象観測の運用を終了しました。
そして、平成23年(2011年)6月に鉄塔が解体され、完全に役目が終わっています。
東京スカイツリーでの気象観測
気象研究の鉄塔が解体された翌年、平成24年(2012年)5月に634メートルの高さの東京スカイツリーが誕生しています。
東京スカイツリーは、電波塔・観光施設として利用されていますが、各所に気象観測装置が設置されています。
例えば、雷の観測があります。東京スカイツリーは、高さが世界一高いタワーということだけでなく、雷電流測定のできる塔としても世界最高だということです(電力技術研究所による)。雷観測を行っている塔では、東京スカイツリーが634メートルで第1位、2位がカナダ・トロントのCNタワーが553メートル、3位がロシア・オスタンキノTVタワーで540メートルとなっています。
東京スカイツリーでの雷観測は、高層建築物への耐雷対策など、防災面で大きな効果が期待されます。
また、雲の定点観測は、山頂などでは行われていても、東京スカイツリーのように都市上空での観測は世界でもあまり例がありません。この観測も、都市部の局地的大雨(ゲリラ豪雨)に対しての新たな知見が得られるのではないかと期待されます。
東京スカイツリーは、電波塔・観光施設という貢献をしてくれるだけでなく、各種の気象観測によって様々な知見を与えてくれるという貢献もしてくれる存在です。
図の出典:気象庁ホームページ。