競馬のダービーは晴れる可能性の高い5月最終週に開催 過去にあった雨の日の悲劇
東京優駿日本ダービー
競馬で人気のあるレースは東京競馬場で開催される「東京優駿日本ダービー」、略して「ダービー」と呼ばれる3才馬(雄雌)による芝の2400メートル競争ということができます。
競馬には、ダービーのほか、皐月賞、菊花賞という大きなレースがあり、これをともに制した馬が三冠馬です。
早い馬が勝つと言われる皐月賞、強い馬が勝つと言われる菊花賞に対し、運の強い馬が勝つと言われているのがダービーです。
晴れて馬が走りやすい「良馬場(りょうばば)」では、スポーツカーのように早い馬が有利であっても、雨で馬場がぬかるみ「重馬場(おもばば)」となりますと、ダンプカーのように力強い馬が有利になります。
馬の能力に加えて、その日の天気を考え、馬場状態を考える必要があります。それだけ推理は難しく、面白いともいえます。
5月26日に九州南部を梅雨入りさせた梅雨前線が南下し、移動性高気圧に広く覆われますので、東京・府中で開催されるダービーは、雨の心配がないダービーになりそうです(図)。
東京の天気予報は、「北の風 後 南東の風 くもり 時々 晴れ、12時から15時の降水確率10%、日中の最高気温25度」です。
ダービーは梅雨入り前に
ダービーが始まったのは、昭和7年(1932年)4月24日で、目黒競馬場での開催でした。第1回ダービーの覇者はワカタカでした。
第3回ダービーが開催された昭和9年(1934年)4月22日以降、東京・府中の東京競馬場で開始となり、太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)と戦後の混乱期の昭和21年(1946年)の2年を除いて、東京・府中の東京競馬場で開催されています。
ダービーの開催日は、4月から6月と一定していませんでしたが、特別な理由がないかぎり、梅雨前で比較的雨が少ない5月末に行うことになったきっかけがあります。
それが、昭和31年(1956年)6月3日の雨の日に行われた第23回ダービーです。
もちろん、5月末に行うことになっても、年によっては雨のダービーとなりますが、できるだけ気象条件のよい時にダービーが行えるようにと考えたわけです。
昭和31年の悲劇のダービー
昭和31年(1956年)6月3日のダービーは雨の中で行われました。
梅雨入りを思わせるかのように日本の南岸に前線が停滞し、前日から雨が降り続いていたこの日、馬場はぬかるんで最悪のコンデションでした。
午後4時に27頭が一斉にスタートしましたが、最初のコーナーで馬群が密集し、エンメイとトサタケヒロが落馬、このエンメイと騎乗していた阿部正太郎騎手がともに重傷をおい、エンメイは治る見込みがないとして薬殺処分となっています。
エンメイの馬主は文豪の吉川英治氏であり、同氏は愛馬の死のショックで馬主をやめ、以後競馬場に姿を現すことはなかったと言われています。
一時的に6月初めに開催
平成8年(1996年)に競馬の重要なレース(G1レース)がこれまでの年間16回から19回に増やされたときに、ダービーは6月の始めの開催に変わります。
関東地方の梅雨入りの平年は6月9日ですので、平均的にはダービーは梅雨入り前ということになりますが、6月のはじめでは、年によっては梅雨に入ってしまうという批判がありました。
そこで、平成12年(2000年)にG1レースの大改革で、天候不安が大きかったダービーは、「できるだけ気象条件のよい時に行う」ということから、確実に梅雨入り前である5月の最終週に戻っています。
19万人が生で見たダービー
ダービーでは、馬は時速約60kmで走ります。距離が2400メートルのレースなら、2分半で走りきります。
平成2年(1990年)5月27日の第57回ダービーではアイネスフージンが2分25秒3のレコード記録で優勝しました。この時の入場者も記録で、私も含めて19万6517人と、これも新記録でした。競馬人気と晴天が重なっての記録でした。
レコード記録の方は、東京競馬場の馬場が改修されたこともあり、14年後に破られています(現在の記録は平成27年(2015年)のドゥラメンテの2分23秒2)。
しかし、競馬場の許容量を超えての入場者であったことから、平成3年(1991年)以後は入場券が前売りとなるなど、入場制限が行われていますので、これからも破られることがない記録です。
19万人以上の人達と一緒に見たダービー、勝利騎手をたたえる初めてのコール(中野栄治をたたえる中野コール)を聞いたダービーという貴重な体験をしました。
今年のダービーは、雨の心配がないことから、運の強い早い馬が勝つことになりますが、それがどの馬なのか?興味はつきません。
図の出典:気象庁ホームページ。