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継続は力なり 50年以上の海洋定線観測がとてつもない価値を生んでいる

饒村曜気象予報士
国際連携による海洋の観測網と日本の担当海域(太枠内)

 気象庁は、平成30年(2018年)4月から、東経137 度に沿った観測データをとりまとめ、海洋の長期解析値の提供を開始しました。海洋の長期変動の把握や地球温暖化予測の精度向上に貢献することが期待されています。

東経137度線の観測は50年以上継続

 気象庁では、昭和42 年(1967 年)から50 年以上にわたって専門の観測船を用い、東経137 度に沿って、海面だけでなく海洋内部を含む海洋観測を行っています。このように長期間継続的に実施している海洋観測は世界的にも例がありません(図1)。

図1 東経137度線の海洋観測
図1 東経137度線の海洋観測

 この東経137度線の観測は、「できるだけ大規模な現象の一般的変動を調べるため、島や海山などの局所的影響が少なく、北太平洋を代表する黒潮や北赤道海流等の海流系を具合良く横断する測線」として、後年、気象庁長官や日本海洋学会会長を務められた増澤譲太郎博士が推進しました。10年くらいの継続では大きな成果がでない東経137度線の観測を継続するために、予算当局を分かりやすい言葉で説得し続けるという苦労は、想像にあまりあります。

 だからこそ、世界各国での観測は、特別のイベントの年だけ行うことにとどまり、継続した観測が行われていなかったのです。

 20世紀の終わり頃から、人類存亡にかかわる地球温暖化が問題となってきました。人為的に大気に放出される二酸化炭素などの地球温暖化ガスの増加は、海によって吸収されたりされなくなったりします。また、海は熱を蓄え、世界中を循環しています。

 このため、地球温暖化を研究するときには、海の役割を抜きにしてはできません。

 しかし、日本以外の国は、地球温暖化が問題となる以前の海の観測は、断片的なものしか残されていません。これから観測を強化・継続したとしても、地球温暖化が問題になる以前の状態がわかりませんので、このままでは比較のしようがありません。

 

最初の東経137度線の観測

 気象庁では、タイトル画像や図2で示すように、国際連携による海洋の観測網の一部として、日本近海でいくつもの定線を決め、定線に沿った観測を行っています。

図2 日本の定線観測(東経137度線を含む)
図2 日本の定線観測(東経137度線を含む)

 この定線に沿った観測の中で、最も代表的なものが東経137度に沿った定線観測で、気象庁の海洋観測船「凌風丸2世(写真)」就航した翌年、昭和42年(1967年)です(現在は凌風丸3世と啓風丸2世の2隻体制)。

写真  凌風丸2世(1966~1995)
写真  凌風丸2世(1966~1995)

 冬季に、ユネスコ政府間海洋学委員会(UNESCO-IOC:Intergovernmental Oceanographic Commission)の公式計画として、日本が中核となって計画した「黒潮およびその隣接海域の共同調査(CSK:Cooperative Study of the Kuroshio and Adjacent Regions)」への参加として開始されました。

 太平洋赤道域の海面水温の偏差が東部で高く、西部で低い現象がエルニーニョ現象で、逆に、東部で低く、西部で高い現象がラニーニャ現象です。ともに、世界の異常気象と関係がある現象ですが、太平洋赤道域の海面水温だけではわからない現象です。

 現在は、昨年夏からラニーニャ現象が続いていますが、海の中の様子は過去のラニーニャ現象のときとは違っています。昭和50年(1975年)夏季のラニーニャ現象の時に比べ、平成29年(2017年)夏季のラニーニャ現象の時は、黒潮大蛇行が発生しているため、黒潮の流軸が北緯31度くらいまで南下しています。そして、その北側の水温は平年より低くなっています(図3)。 

図3 昭和50年(1975年)夏季と平成29年(2017年)夏季の水温解析値(等値線)と平年からの偏差(カラー)
図3 昭和50年(1975年)夏季と平成29年(2017年)夏季の水温解析値(等値線)と平年からの偏差(カラー)

 なお、「東経137度線の海洋観測」は、観測開始から50年後の平成28年(2016年)11月、北太平洋海洋科学機関(PICES)から、北太平洋の海洋科学の進歩に貢献したとして「POMA(PICES Ocean Monitoring Service Award)賞」が贈られています。

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)

 長期間にわたる東経137 度に沿った海洋観測結果は、黒潮の長期変動に実態を解明するだけでなく、予報地球温暖化の予測結果を検証するための貴重なデータとして注目されはじめました。

 東経137度線の観測データは、北西太平洋の海洋構造やエルニーニョ現象・ラニーニャ現象などの気候変動・物質循環変動に関する海洋物理・生物地球化学の長期変動に関する100編以上の論文によって多くの知見をもたらし、平成25年(2013年)の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第5 次評価報告書」にも引用されています。

 気象庁が、平成30年(2018年)4月から、気象庁ホームページの「海洋の健康診断表」で提供したのは、統計的手法を用いて観測点の緯度間隔や深さ方向のデータ間隔を均一にした長期解析値です。これは、国内外の研究機関での地球温暖化の予測に利用されやすい形のデータで、地球温暖化適応策の策定に貢献することが期待されています。 

長年続けることでとてつもない価値

 湖沼や川などの研究者の集まりである日本陸水学会には、若手研究者の業績を表彰して研究活動を促進することを目的に吉村賞があります。

 これは、若くして多大な功績を残している吉村信吉博士からきています。

 吉村博士は凍った諏訪湖上での調査中に氷がわれ、湖水中に落下して亡くなったわけですが、とともに湖水中に落下し、九死に一生を得たのが増澤譲太郎博士です。

 増澤譲太郎博士は、就職したての頃、目標としていた恩師を目の前で失っています。

日本陸水会創立五十周年を祝う

 日本陸水学会創立五十周年おめでとうございます。…もしご存命ならば、この佳き日を誰よりも喜ばれるであろう吉村信吉先生を偲んで、少しお話をさせていただくことにします。

 このたび日本陸水学会が創立五十周年を迎えるとお聞きしたとき、私の胸中に二つの感慨がありました。その一つは、もうそんなになるのか、私が会員になってから三十数年、それはまた、吉村先生が諏訪湖で非業の最後を遂げられてから、それだけ経ったということでもあります。

 あれは敗戦直後の一九四七(昭和22)年一月のことであります。当時先生は、気象庁の前身中央気象台の海洋課に在籍され、陸水の観測調査の責任者でございました。先生は戦争が終わると、その日を待っておられたように逸速く各地の野外調査に乗り出されました。

 観測器材はもとより、食糧や交通も思うに任せぬ困難な社会事情にもかかわらず、喜々として仕事を始められたのでした。

出典:増澤譲太郎(1993年)、腰越の記 気象庁定年退職後の10年、東海大学出版会。

 増澤譲太郎博士は、気象庁では海洋部門が中心で、私が駆け出しの頃には気象庁予報部長で、その後、気象庁長官となられました。仕事ではビシッと筋を通した仕事をし、私のような駆け出しにも優しく、そして自分自身には厳しい人でした。あのような上司になりたいと思った上司でした。長年続けることでとてつもない価値を生み出した東経137度線の観測を指導できたのは、博士の人柄ではなかったかと思います。

 当時の私は、東経137度線の観測の本当の意味がよくわかりませんでした。年月を経て、長期再解析の重大な意味がわかるようになり、地球温暖化の問題を考える上で世界に類を見ない観測データが得られていることがわかると、増澤譲太郎博士の先見性や構想力には改めて感じさせられました。

タイトル画像、図1、図2、図3、写真の出典:気象庁ホームページ。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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