新燃岳の平成29年噴火

 平成29年(2017年)10月11日 の朝、鹿児島と宮崎の県境にある霧島連山の新燃岳で、平成23年(2011年)以来となる噴火が発生しました。

 このため、気象庁では、噴火警戒レベルを、レベル3の「火口周辺警報」に引き上げ、火口からおおむね2キロメートルの範囲で大きな噴石や火砕流に警戒するよう呼びかけました。

 その後、気象庁は「噴火活動は10月13日16日頃には止まったと見られる」と発表しましたが、新燃岳の火山性微動が続いているほか、火山ガスの放出量も増えていることなどから、依然として火山活動は活発な状態が続いているとして、噴火警戒レベルは、レベル3の「火口周辺警報」を継続しています。

 また、新燃岳が噴火した場合に備え、噴火したときの降灰の広がる範囲や小さな噴石が落下する範囲を予測した情報等を発表しています。

 例えば、気象庁が10月13日20時に発表した「霧島山(新燃岳)降灰予報」では、10月13日21時から14日15時までの間に噴火が発生し、噴煙が火口縁上3000メートルまで上がった場合は、上空の風の予想などから、火口の北東方向に降灰が予想されるというものです(図)。

図 霧島山(新燃岳)降灰予報(平成29年10月13日20時発表)の一部
図 霧島山(新燃岳)降灰予報(平成29年10月13日20時発表)の一部

10月14日10時追記:

霧島の新燃岳は、10月14日8時23分に再噴火し、噴煙は火口縁上2300メートルまで上昇しました。最悪を考えた昨夜の情報(図)が生きたのですが、火山は生き物です。常に最新の情報で警戒する必要があります。

霧島・新燃岳の6年前の噴火

 鹿児島と宮崎の県境にある霧島の有史以降の噴火活動は、「御鉢」と「新燃岳」に集中し、交互に噴火を繰り返してきました。

 「御鉢」の最新の噴火は、大正12年(1923年)7月11日の噴火で、噴煙のため登山者1名が死亡しています。

 昭和以降の噴火は、「新燃岳」の噴火だけです。

 新燃岳では、昭和34年(1959年)2月13日に小規模な水蒸気噴火があり、2月17日から数日間にわたって噴火を繰り返しました。火山灰は西風にのって宮崎市や小林市にまで及び、火山灰によって小麦や大麦などに大きな被害が発生しました。雨によって作物に火山灰が付着したことが被害を大きくしました。

 昭和34年(1959年)噴火の52年後の噴火が、6年前の新燃岳の噴火です(タイトル画像)。

 2011年(平成23年)1月19日 の小規模なマグマ水蒸気噴火から始まった噴火は、1月26日からは本格的な噴火となり、火口から3000メートル上空まで噴煙が上がりました。

 1月19日以降の噴火により、火山灰は新燃岳の東側にあたる都城盆地、宮崎平野南部などに広がり、鉄道の運休、高速道路通行止、空港閉鎖などの影響がでました。

 1月30日には、火口内の溶岩ドームが直径500メートルにまで成長し、中心部の高さは火口縁付近に達したことから、宮崎県高原町では30日の深夜に「火山が非常に危険な状態にある」として内の512世帯約1,150人に避難勧告を出しています。

 また、2月1日7の爆発的噴火では、空振がおき、100枚以上のガラスが割れています。2月14日には通算11回目の爆発的噴火が起きています。

 新燃岳の噴火活動やこれによる被害を踏まえ、住民の避難計画の作成など早急に講じるべき対策について地方公共団体の取組を支援するため、専門家を中心とした政府支援チームを派遣しています。

記者発表資料 

平成23 年2 月4 日 内閣府( 防災担当)

霧島山(新燃岳)噴火に関する政府支援チームの派遣について

霧島山(新燃岳)の噴火状況を踏まえ、住民の避難計画の作成など早急に講じるべき対策について地方公共団体の取組をサポートするため、以下のとおり支援チームを派遣します。

1.派遣日

 平成23年2月7日(月)

2.執務場所(当面)

 宮崎県庁内

3.支援内容

 宮崎県、鹿児島県両県の噴火活動が活発化した場合の避難計画の策定支援

 降灰による土石流を想定した避難計画の策定支援 等

4.構成員

 チームリーダー:内閣府政策統括官(防災担当)付参事官(地震・火山・大規模水害対策担当)

 メ ン バ ―:内閣府、消防庁、農林水産省、国土交通省、気象庁の職員

政府支援チームの帰京と東北地方太平洋沖地震

 政府支援チームは3 月11 日に一連の業務を終え、関係自体(宮崎県、曽於市、霧島市)への成果報告・挨拶を行っています。

 その最中、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生したため、鹿児島県への成果報告・挨拶を中止し、鹿児島空港へ移動して鹿児島航空測候所で待機しています。

 東北地方太平洋沖地震後の羽田空港は、上空の飛行機を安全に着陸させるのが精一杯でした。緊急点検の結果、羽田空港は地震による機能喪失がないことがわかったのですが、出発できない飛行機がたまり、新たに飛行機を受け入れることができなくなって、ほぼ閉鎖となっています。

 鹿児島空港からは最終の日本航空便(JAL便)のみが羽田に飛行しましたので、政府支援チームはそれで羽田空港に移動しました。しかし、羽田空港は陸の孤島で、そこで足止めとなっています。

 当時、羽田にある東京航空地方気象台の台長をしていたのですが、偶然羽田空港にいた山本孝二・元気象庁長官から政府支援チームの実情を聞き、急遽、気象台の予備回線などのインフラや、食料などの防災備蓄品などを提供し、会議室を政府支援チームの作業室にしました。また、仮眠がとれるような準備もしました。

 新燃岳の火山調査のとりまとめに加え、それよりもはるかに大きい地震・津波・原子力の防災業務が始まったため、一刻の猶予もなくなった政府支援チームは、一心に作業を継続していました。

 ただ、仮眠の準備は不要でした。政府支援チームは、3月12日の3時頃、警視庁の協力を得て、パトカー先導で羽田空港から都心へ移動したからです。

 霧島・新燃岳の噴火のニュースを聞くと、個人的には、「6年前の噴火時の2ヶ月後が東日本大震災であった」ということを思い出しますが、過去に、霧島が噴火したときに大地震がおきたという事例は、6年前の噴火以外では見つかりません。