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野中到 富士山の芙蓉の花びらの上に観測所を

饒村曜気象予報士
蓮の花(ペイレスイメージズ/アフロ)

 芙蓉は、アオイ科の低木(木芙蓉)のことですが、蓮の美称(水芙蓉 )でもあります。

 富士山は火口の周りを高い峰が囲んでいることから、芙蓉の花に例えられます。

==剣ヶ峰に観測所を== 

 富士山の火口を囲む峰で一番高い峰、つまり日本で一番高い峰である剣ヶ峰に、観測所を自費で作ろうとしたのが野中到夫妻で、明治28年(1895年)8月30日のことです。

 野中到(ペンネーム野中至)は気象の解明のためには、富士山という高所で通年観測が必要と中央気象台に働きかけ、過酷な気象状態となる冬でも観測が可能であることを示そうと、剣ヶ峰に約6坪の観測用の小屋を作ったのです。

 10月1日より妻の千代子と観測を開始しますが、当時の不十分な装備では越冬できず、高山病と栄養失調で歩行不能となり、中央気象台の和田雄治技師らの救援で12月22日に下山をよぎなくされます。

 しかし、野中夫妻の決死の冒険は評判を呼び、小説や劇になっています。

 野中到の富士山頂での観測への理解と本格的な観測所を作るための資金援助の働きかけは大きな反響を呼び、毎年夏には一ヶ月以上にわたる富士山頂での観測が行われるようになります。

 野中到も冨士山が展望できる御殿場市中畑(通称野中山)に別荘を建て、ここを拠点に富士山の観測を行いました。のちに、御殿場市では野中到の別荘地の場所に「野中至・千代子顕彰碑」を建てています。

 また、富士山観測を支えた人々を排出した小山町には、「強力伝」や「芙蓉の人」など、富士山観測を描いた新田次郎の新田次郎の文学碑があります。強力伝は、富士山頂に物資を担ぎ上げた強力と呼ばれた人達の物語、芙蓉の人は、野中夫妻の物語で、「富士山頂の妻」という副題がついています。

初めての無線電話

 昭和7年(1932年)から世界各国が協力して行った国際極年観測において、中央気象台では富士山頂安河原に富士山臨時測候所を解説し、通年観測を行います。

 富士山頂観測所の通信設備として、山頂観測所と中央気象台の間は短波無線電信、山頂と静岡県三島支台の間は超短波(VHF)無線電信電話が設置されます。当時、VHFはまだまだ実験段階で実用化していませんでした。このため、気象無線担当の気象台職員は、VHFの研究を行っている試験所を訪ねたり、文献を調べるなどして送受信機を2台自作し、山頂と三島に設置されました。通信開始の昭和7年8月31日は、無線電話が実用化した日でもあります。

図 剣ケ峰に移設工事中の富士山頂気象観測所
図 剣ケ峰に移設工事中の富士山頂気象観測所

三井報恩会の資金援助

 国際極年観測終了後、観測者から、せっかく設備ができたので、わずかな予算で次年度以降も富士山頂で観測できるという要望が出ます。

 国の予算はつきませんでしたが、三井報恩金が資金援助をし、観測が継続されます。

 その成果から、昭和11年に安河原から日本最高峰の剣ケ峰に測候所を移転し、常設の測候所ができます(図)。

 これは当時世界最高所の常設気象観測所で、高山気象観測を目的に気象観測を行いました。これによって、日本上空を流れる偏西風についての詳細な観測データが得られれています。

 富士山頂での気象観測には、国の機関でる気象台だけでなく、個人や民間の多大な貢献が積み重なっていました。

 観測の拠点は静岡県御殿場に置かれ、職員の通勤や物姿搬送は主に御殿場口登山道が使われました。

富士山レーダーと無人化

 昭和39年(1964)には富士山測候所に気象レーダーが設置されます。気象レーダーは、800キロメートル先の台風の雨雲を捉えることができ、気象衛星による観測が軌道に乗るまで、関東から東海地方を襲う台風についての監視の主役でした。

 富士山のレーダー観測は平成11年(1999年)11月に廃止となり、レーダードームは、山梨県富士吉田市の富士山レーダードーム館(道の駅富士吉田に隣接)に展示されています。

 また、富士山測候所は、平成16年10月1日に無人化され、平成20年10月1日からは富士山特別地域気象観測所になっています。

 なお、旧測候所の建物は、研究者の組織である「富士山高所科学研究会」が中心となって設立したNPO法人「富士山測候所を活用する会」が、夏季期間に借用し、大気中の二酸化炭素濃度や、中国などから偏西風に乗って飛来する水銀等の大気汚染物質等の観測を行っています。

図の出典:饒村曜(2010)、静岡の地震と気象のうんちく、静岡新聞社。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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