日航ジャンボ機墜落 航空機事故の第一被疑者は気象

日航ジャンボ機墜落事故(1985年8月13日)(写真:防衛庁/アフロ)

日航ジャンボ機墜落事故

 航空機は、いったん事故を起こすと、乗客乗員のほとんどが死亡するという大惨事につながります。

 昭和60年(1985年)8月12日のタ方、羽田から大阪に向かった日本航空のボーイング747機(日航ジャンボ機)の垂直屋翼が相模湾上空で吹っ飛び、ダッチロールをしながら群馬県上野村の通称「御巣鷹の尾根」に激突しています(図1)。

図1 日航ジャンボ機の飛行経路
図1 日航ジャンボ機の飛行経路

 人里はなれた深山に急行した救助隊により4人の女性が奇跡的に救助されました(タイトル画像)が、残りの乗員・乗客520名が死亡しました。

この年は、6月23日にアイルランド沖でインド航空機が爆弾テロによって墜落し、乗員・乗客329名が死亡したこともあり、大量輸送時代の進展で大量遭難時代に入った年とも言われました。

気象が第一被疑者

 昭和49年から運輸省内に航空事故調査委員会 (現在は国土交通省の運輸安全委員会に改組)が作られており、航空機事故が発生した場合、この委員会がただちに調査を開始しました。

 まず事実調査を行い、関係貸料を収集し、ときには事故原因を救命するための試験研究を行ったりして、事故発生に至った過程や原因を解析しました。そして、委員会の報告書は公表され、運輸大臣に事故防止の施策の勧告などを行っています。

 ただ、航空事故調査委員会の目的は、事故の再発防止や、安全性の向上であることから、関係者の責任を問うことはしていません。これは、責任を追求することによって、関係者の協力が得られなかったり、事実が隠されたりして再び同様の事故が発生することを恐れるからです。

航空機事故の原因は、すべてが気象のせいというわけではありませんが、気象が大きく関係している可能性が高いため、航空機事故が起きると、まず気象が調べられます。

 このため、事故発生の第一報が入ると、ただちに気象関係の資料の保存が行われます。ちょっとしたメモまで保存対象となり、データ等の新たな上書きは禁止されます。

 日航ジャンボ機の墜落事故のときも同じです。

 この時の天気は、大気が不安定であったものの、太平洋高気圧に覆われ、乱気流やダウンバースト、視程不良などの航空機事故を起こすような天気ではないことがわかって嫌疑は晴れましたが、原因として最初に疑われたのは気象でした(図2)。

図2 気象庁の印刷天気図(昭和60年8月12日21時)
図2 気象庁の印刷天気図(昭和60年8月12日21時)

図1の出展:饒村曜(2000)、入門ビジュアルサイエンス 気象のしくみ、日本実業出版社。