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最初の暴風警報を出すために 天気図でいち早く使われた「メートル法」

饒村曜気象予報士
(ペイレスイメージズ/アフロ)

天気図の作製

明治15年(1882年)1月1日、東京気象台(現在の気象庁)に、暴風警報業務を実施するために雇われたエルヴィン・クニッピングが雇われます。

暴風警報業務の方法は、気象観測の結果を電報で集め、連続した天気図を作って低気圧等の移動を解析し、暴風になる可能性のある地方に警報を発表するというもので、まず、気象観測をする測候所が必要でした。

このため、クニッピングは、暴風警報を実施するために必要な測候所の配置を再検討し、8 つの測候所を増設しています。

しかし、暴風警報業務のためには、測候所を増やすだけでは十分ではありません。

解決すべき問題は4つありました。

1 観測単位の統一

2 観測時間の統一

3 観測方法の統一

4 観測結果の素早い集信

天気図ではとりあえずメートルの採用

観測単位の統一ということは、各測候所から集めた資料を記入した一枚の天気図を解析するときに絶対必要なことです。

統一がされていないと、単位の換算という誤りやすい、めんどうな仕事が加わるからです。

そこで、各国とも採用しつつあったメートルを観測単位として採用すべきであるとして 「英仏度目採排建言」を行っています。

しかし、このことは、度量衡制度という国の根本をなす重要な制度と関係しています。

そこで、そこで関係各省代表で委員会をつくり、とりあえず、気象に関しては、明治15年7月1日よりメートルが採用されています。これによって、たとえば、気圧の単位はそれまでの水銀柱の高さをインチで表現していたものが、ミリメートルで表現したものに変わっています。

図1は、最初に作られた天気図ですが、右下の方に3種類ある距離尺のうち、真中のものはキロメートルの距離尺です。天気図で解析されているという「765」数字も、気圧計で水銀柱が765ミリメートル(1020ヘクトパスカル)という意味です。

なお、図1の左下にあるI.ARAIは、気象業務の責任者であった荒井郁之助、後の初代中央気象台長のことです。

図1 明治16年3月1日6時の天気図のメートル法の記載
図1 明治16年3月1日6時の天気図のメートル法の記載

日本がメートル条約に加盟したのは気象で使われてから3年後の明治18年、国内公布は明治19年です。度量衡法でそれまで使われてきた尺貫法と併用される形で導入されたのは、明治24年になってからです。

そして、併用ではなく、メートルに一本化されたのが大正10年4月11日に公布された改正「度量衡法」です。

このため、4月11日がメートル法公布記念日となっています。

しかし、根強い反対で施行は無期延期となり、一般生活に普及したのは、昭和26年(1951年)6月7日の計量法(法律第207号)で尺貫法の使用を法的に禁じてからです。

このように、メートルの導入には長い年月がかかっていますが、アメリカではいまだに普及していません。

現在、メートルが普及していないのはアメリカだけといっていいくらい、長さの単位としてメートルが使われていますが、アメリカは、メートルを決めた明治8年のメートル会議に参加した17カ国の一つです。そして、メートル条約に加盟しています。

しかし、メートルの使用は国民の選択に任すべきとして国としての対応はとっていないため、自然科学分野以外では長さはヤード、重さはポンド、気温は華氏を用いていますので、アメリカへ旅行するときなどは注意が必要です。

観測時間の統一

観測時間の統一も天気図を作るうえで必要なことですが、クニッピングは、京都の時間(京都時)に統一して観測を行わせ、この時間で天気図を作っています(図2)。

このことは、明治21年1月1日から実施された、兵庫県明石を通る東経135度の子午線を基準とする日本標準時の先べんとなっています。

図2 明治16年3月1日6時の天気図の京都時の記載
図2 明治16年3月1日6時の天気図の京都時の記載

観測方法の統一

観測方法の統一のためにクニッピングは、総観気象学の立場から「観測要略」を作っています。

また、観測法の指導や気象器械の点検のため全国の測候所を巡回しています。

しかし、最後の、観測結果の素早い集信は難題でした。

観測結果の集信での問題は料金

明治14年6月から、発達した低気圧や台風が接近したときは非常電報を打電したこともあり、観測結果を電報で集めることは技術的な問題はありませんでした。

暴風警報制度がスタートした時点で電報が打てなかったのは、24測候所のうち電信線のない根室と留萌だけです。

問題はその料金でした。そこで考えられたのが「気象電報の別途要求(無税取り扱い要求)」です。つまり、タダにして欲しいという要求です。

この問題はもめにもめた結果、ようやく念願の無税扱いが認可され、気象電報の素早い定時集信のめどがたったのは、明治16年1月17日のことです。

しかし、交渉過程で、1日1回30字だけということになり、3回分の観測をまとめ、午前6時の観測後に打つことになっています。

暴風警報業務の開始

明治16年3月1 日に、8 番目の宮古測候所が開設されるのと同時に、東京気象台は正式に天気図の作成を開始しています。3月は、1日に1 回、午前6 時の天気図作製でしたが、翌4月からは、午後2 時と午後10時が追加され、1日に3回(8時間毎)の天気図作製です。

図3 最初に暴風警報を発表した明治16年8月の台風と暴風警報がスタートした時点の測候所
図3 最初に暴風警報を発表した明治16年8月の台風と暴風警報がスタートした時点の測候所

最初の暴風警報は、明治16年5月26日の発達した低気圧による西日本に対してであり、最初に台風による暴風警報の発表は、明治16年8月中旬に東シナ海を北上した台風に対してです(図3)。図3で白丸は台風の6時の位置です。また、図中の星印は、暴風警報業務がスタートした時点の24の測候所ですが、このうち白星印がクニッピングが増設した8 つの測候所です。

気象電報の無税扱いは、暴風警報の効果が認知されることによって拡大し、その拡大によって、暴風警報のさらなる精度向上と利便性の向上につながっています。

天気図を作製して暴風警報を発表するという、当時の最新の学問は、メートル法や標準時といった、一見無関係に見える身近なことにまで波及しています。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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