雪害が始まったのは明治時代、深刻になったのは車社会になってから
気象災害とは、大気の様々な現象によって、あるいは、その現象が引き起こすことによって人が亡くなったり、家財や構造物が喪失したり、人間活動が普段通りにできない現象です。
人間生活の変化と災害の変化
気象災害は大気現象が悪いのではなく、人間との関わりかたに課題があります。
従って、災害は時代とともに様相が変化しています。
雪は昔から降っており、「大雪は豊作の兆し」と言われたように、春先の農作業で必要な水を供給してくれる恵みと考えられていました。
晩秋に食糧を蓄え、冬の間はじっと春を待つ生活では、雪を災害とは特に意識していませんでした。
逆に、道なき山や川が雪で覆われることで進むことができ、そりで重たい山奥の材木の運搬ができるなどからメリットも感じていました。
しかし、交通機関が発達し、冬の間でも人や物が行き来するようになると、雪が災害として意識されるようになります。
明治時代となり、鉄道網や電力網が整備されると雪が災害として意識されます。
鉄道網や電力網の一部でも雪によって切断されると、影響が広範囲に及ぶことから、雪害が出てきたのです。
また、冬でも大勢の人が集まる機会が増えれば、いったん災害が発生すれば大惨事に結びつく可能性がでてきました。
昭和13年(1938年)1月1日、新潟県十日町市の映画館が積雪の重みで倒壊し、死者69名、重軽傷者92名という大きな被害がでています。
映画館には正月映画を楽しむため観客700名が入場していましたが、中央部の屋根が2メートルの積雪の重さに耐えきれずに落下したからです。
また、昭和36年の正月は、日本海側の豪雪により100本の列車が立ち往生しましたので、15万人が車内で年越しをしています。
車社会の到来と雪害の拡大
昭和38年の「三八豪雪」以降は、車社会が発達したため雪害が変わりました。
道路除雪をすぐにしないと生活が成り立たなくなったため、雪害が大きな災害となってきました。
雪の多い日本海側の地方では、昔は、屋根の雪下ろし中に落下しても、そこに雪があったので、ケガをしませんでした。
しかし、今は、家の周囲にゆとりの場所がなく、道路上に落とされた雪は直ちに雪捨場に運ばれています。
このため、屋根の雪下ろし中に落下は、むき出しの地面の上に落下となります。
昔の経験が役立たない、死亡事故に直結する危険な作業に雪下ろしが変わっています。
近年、人や物があらかじめ決めた時間に、あらかじめ決めた場所に向かうことが求められるようになってきました。
雪が降る、降らないに関わらずです。
このことも、雪害を拡大しています。
雪のメリット
日本は気象災害の多い国と言われていますが、日本は豊かな恵みをもたらす気象現象の国でもあります。
雪にしても、少なければスキーなどのレジャー産業に打撃を与え、春先の農業用水が心配になります。
また、雪があると地中の温度が極端に低くなることがないので、雪によって動植物が守られているとも言えます。
私たちの日常生活は、その微妙なバランスの上に成り立っています。