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台風の中心気圧の記録更新はもう無理 飛行機観測は870ヘクトパスカル、船観測は898ヘクトパスカル

饒村曜気象予報士
台風の衛星写真(写真:アフロ)

今から37年前の昭和54年10月12日12時55分、台風20号の観測を行った米軍機は、日本の南海上の北緯16度43分、東経137度46分で最低中心気圧870hPaを観測しています。

これは、北西太平洋だけでなく、世界の熱帯低気圧の最も低い中心気圧の記録です。

図1 最低中心気圧870ヘクトパスカルを観測した昭和54年の台風20号の経路
図1 最低中心気圧870ヘクトパスカルを観測した昭和54年の台風20号の経路

飛行機による観測から気象衛星から見た目の観測へ

台風の飛行機観測は、ドロップゾンデと呼ばれる観測機器を台風の眼の中に落下させ、その機器が飛行高度の高さから海面に達するまで送り続けてくる観測記録を受信することで行います。海に没して観測が途絶える直前の観測が海面上の観測ということになります。

飛行機による定常的な台風観測は、昭和62年の台風11号(西進してフィリピンのルソン島に上陸)が最後となり、現在は、台風の強さは気象衛星からの見た目で決めています

実際に観測するのではなく、過去の統計を使った平均的な値が中心気圧となっていますので、870ヘクトパスカルを下回る極値はでてきません。

870ヘクトパスカルを下回る記録がでるとすれば、猛烈に発達している台風に対して、臨時の飛行機観測が行われるか、気象観測が行われている島や気象測器を積んだ船舶の真上を偶然通過したときです。

猛烈な台風が存在するのは日本の南海上

900ヘクトパスカル以下の猛烈な台風が存在する海域は日本の南海上、つまり、マリアナ諸島とフィリピンの間の海域です。ここには島が存在しませんので、記録更新をするような猛烈に発達している台風が気象観測が行われている島の上を通過する可能性はほとんどありません。

また、飛行機で台風の中心付近を観測するということは非常に危険な行為ですので、無人で観測ができるならともかく、今は危険を冒しての観測は行いません。米軍が危険を冒してでも飛行機による観測を行っていたのは、東西冷戦という、いわば戦時体制であったからです。

船舶は台風が接近してくると、安全のために中心から逃げようと操船します。このため、天気図上に船舶からの観測データを記入すると、台風の中心付近には記入がなく、船舶がいないことを示しています。そのかわり、台風の周辺に船舶からの観測データが記入されています。昔は、台風の解析や予報の精度が悪かったため、ときおり、台風の中心付近に船舶からの観測データが記入されることがありました。

急ぐために台風の前を突っ切ろうとしたのか、台風の解析や予報の精度が悪いために巻き込まれたのか、その時点ではわかりませんが、早く台風から離れてくれという思いで作業をした記憶があります。現在は、台風の解析や予報の精度がよくなり、偶然巻き込まれた船舶から観測データが入ってくるということは、私が現役で予報作業をしていた20年位前でも、ほとんどなくなっていましたので、現在では、この可能性もほとんどないと思われます。

つまり、猛烈に発達している台風に対して、臨時の飛行機観測や船舶による観測を行う可能性がほとんどなく、気象観測が行われている島の上を通過したり、はからずも台風に巻き込まれてしまった船舶からの観測もないとなると、 事実上、870ヘクトパスカルという記録の更新はもう無理です。

「第4海洋」の観測

気象庁に残されている資料によると、昭和15年から25年まで、台風の中心気圧が900ヘクトパスカル以下の台風ありません。

毎年、1~2個発生している900ヘクトパスカル以下の台風が、この期間に存在しなかったからではなく、飛行機による台風の中心気圧観測が、組織的に行われなかったことなど、観測網にかからなかったためであると推定されています。

気象庁の台風統計は、昭和26年以降の台風について行っている理由の一つです

当時、台風が900ヘクトパスカル以下になることがあるということは、なかなか信用されず、極く稀に観測された900ヘクトパスカル以下の値は、観測間違いとして省かれていました。しかし、省かれた値の中には,正しい観測値も混じっていたと思われますが、現在となってはそれを確認することができません。

その中で、船舶が台風に巻き込まれてしまい、はからずも記録的な値を観測したという例に、昭和19年の海軍水路部(現在の海上保安庁海洋情報部)の「第4海洋」の観測があります。

図2 昭和19年10月6日18時の天気図と観測船「第4海洋」の航跡
図2 昭和19年10月6日18時の天気図と観測船「第4海洋」の航跡

この台風は,図2のようにサイパン島の西方海上で発生し 北西進しながら発達し、10月5日の昼ころ北へ向きを変え、6日22時30分に、海軍水路局所属の200トンの小型海洋観測船「第4 海洋(船長・佐藤孫七)」が、北緯24度50分、東経135度19分で最低気圧898ヘクトパスカる、最大風速毎秒65メートルを観測しています。

図3 昭和19年10月6~7日における観測船「第4海洋」の観測記録
図3 昭和19年10月6~7日における観測船「第4海洋」の観測記録

「第4海洋」は、南方哨戒と気象観測の要務をおび、10月1日に横須賀港を出港していましたが、この台風で船体の一部が破損・流失し、無線通信機の使用不能など幾多の困難をこえ、貴重な資料を持ち帰っています(図3)。

台風は、速度を速めながら7日23時に名古屋付近へ上陸し、この台風の前面の前線を活発化させたことで、東海~関東地方は暴風雨となり、死者・行方不明103人など大きな被害を出しています。特に船舶の被害は、流失・沈没3000隻という甚大なものでした。

猛烈に発達する台風のシーズンは10月まで続く

図4 月別の最低中心気圧が900ヘクトパスカル以下となった台風
図4 月別の最低中心気圧が900ヘクトパスカル以下となった台風

最低中心気圧が900ヘクトパスカル以下となるほど猛烈に発達した台風を月別にみると、9月が一番多いのですが、10月も8月並に多いといえます。つまり、猛烈に発達する台風のシーズンは8~10月ということになります(図4)。

870ヘクトパスカルの記録を出した昭和54年の台風20号も、全国的に暴風雨が吹き荒れて、北海道東部では漁船の遭難が相次ぎ、死者・行方不明者115名、浸水家屋5万6000棟などの大きな被害が発生していますが、これも10月の台風です。

秋本番の10月になっても、台風に対しての警戒を緩めることができないのです。

図の出典:饒村曜(1986)、台風物語、日本気象協会。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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