Yahoo!ニュース

沖縄の本土復帰でサラ、コラ、デラが宮古島台風に

饒村曜気象予報士
サトウキビ畑の道(写真:アフロ)

昭和27年(1952年)4月1日に琉球政府が発足すると、琉球気象台は、琉球政府郵政局琉球気象台となり、昭和28年には機構改革で工務交通局の付属機関となり、昭和40年には機構改革で通称産業局の外局「琉球気象庁」に昇格しています。

沖縄気象台の誕生

昭和47年5月15日に沖縄が本土復帰となり、沖縄県が誕生すると、琉球気象庁は気象庁の地方組織・沖縄気象台となっています。沖縄地方気象台でも、沖縄管区気象台でもありません。

沖縄県はその広がりが非常に大きいため、法律の規定で、当面の間、管区気象台と同等の地位とされていることから、「地方」も「管区」もつかないのです。

沖縄の本土復帰5年前の昭和42年から琉球気象庁の長が、気象庁の部長会議に出席するなど技術的な交流が進んでいましたが、沖縄気象台の誕生後は、沖縄の人が東京へ、東京の人が沖縄へ転勤といった人事交流が盛んに行われ、組織としての一体化が進められています。

台風の女性名

中央気象台(現在の気象庁)では、昭和22年から昭和27年の日本独立までの6年間は、台風情報はアメリカ軍の発表する女性名をそのままカタカナ表記で使い、その後、台風番号で呼んでいます。

本土復帰の昭和47年5月までの沖縄の台風情報は、琉球気象庁(琉球気象台)がアメリカ軍の発表する台風の女性名をそのままカタカナ表記で使っていました。沖縄では本土復帰後に台風番号が使われていますので、26年の長きにわたって女性名が使われ、生活に根付いていました。

このため、沖縄の本土復帰からしばらくの間、沖縄県民から「大きな災害をもたらした台風については、名前で覚えているので、台風番号がピンとこない」とか、「台風情報が大きく変わったが、昔の台風情報のほうがわかりやすい」などの意見を聞きました。

サラ、コラ、デラ

沖縄本島から南西約300キロメートルにある宮古島は、大きな被害を出した台風が3つあります。いずれも、沖縄の本土復帰前の台風で、宮古島台風という名前よりも、「サラ、コラ、デラ」という名前のほうがわかりやすかったと言われています。沖縄で台風の女性名が使われなくなってからしばらくたつと、「サラ、コラ、デラ」という名前より、宮古島台風のほうが記憶されるようになります。

「サラ」は、昭和34年9月15日の「(第一)宮古島台風」で、最低気圧の記録である908.1ヘクトパスカルを観測し、大きな被害が発生したことから琉球気象台が命名しました(昭和52年の沖永良部台風により沖永良部で907.3ヘクトパスカルを観測していますので、現在は2位)。

「コラ」は、昭和41年9月5日の「第二宮古島台風」で、平地での最大瞬間風速1位を観測したことから、琉球気象庁の要請で気象庁が命名しました。このとき、気象庁では、遡って「サラ」を「宮古島台風」と命名しました。

「デラ」は、昭和43年9月22日の「第三宮古島台風」で、第二宮古島台風に準ずる最大瞬間風速を観測したことなどから気象庁が命名しました。

サラ、Sarah

宮古島台風は、昭和34年の台風14号のことで、宮古島では最低気圧908.4ヘクトパスカルを観測しました。暴風域が半径300キロメートルと広いため、宮古島では長時間にわたり暴風となり、最大瞬間風速は毎秒64.8メートルを観測しました。宮古島の全壊家屋は4000戸、半壊家屋6000戸と、ほとんどの家に被害がでています。

図1 宮古島台風(Sarah)の宮古島襲来時の地上天気図(気象庁HPより))
図1 宮古島台風(Sarah)の宮古島襲来時の地上天気図(気象庁HPより))

(注)5月19日に図1を追記

九州に上陸はしなかったものの、長崎県を中心に、熊本、鹿児島、佐賀、山口の各県では強風と大雨となりました。

全国の宮古島台風の被害は死者・行方不明名99名、住家被害1万7000棟、浸水家屋1万4000棟などでした。しかし、この一週間後に伊勢湾台風により東海地方を中心に死者が5000名を超える大惨事が発生したため、沖縄を除くと、多くの国民は、この台風への記憶が薄れています。

図2 宮古島台風の経路(気象庁HPより)
図2 宮古島台風の経路(気象庁HPより)

コラ、Cora

第2宮古島台風は、昭和41年の台風18号のことで、宮古島での最大瞬間風速は毎秒85.3メートルと、平地で観測された数値としては日本最大の猛烈な風でした。

台風の速度が時速10キロメートルと遅かったため、宮古島では32時間にわたって,暴風雨が吹き荒れ、ほとんどの家が被害を受けています。宮古島の主力作物のサトウキビは、空前の豊作が予想されていましたが、70%以上が収穫不能という壊滅的被害がでました。第2宮古島台風の被害は,宮古島と石垣島を中心に,住家被害8000棟などでした。

図3 第2宮古島の経路(気象庁HPより)
図3 第2宮古島の経路(気象庁HPより)

デラ、Della

第3宮古島台風は、昭和63年の台風16号のことで、台風は鹿児島県串木野市付近に上陸しました。台風の北上に伴って西日本の南海上にあった前線の活動が活発となり、九州東部から紀伊半島南部では大雨となっています。宮古島の最大瞬間風速は毎秒79.8メートル、鹿児島県枕崎の最大瞬間風速は毎秒50.1メートルと、台風の中心付近では暴風が吹き荒れました。被害は近畿以西で死者11名,住家被害6000棟,浸水家屋1万5000棟などの被害が発生しました。宮古島では暴風により住家や農作物被害が、鹿児島県では塩風や高潮による被害が,西日本の太平洋側では大雨による浸水害が顕著でした。

図4 第3宮古島の経路(気象庁HPより)
図4 第3宮古島の経路(気象庁HPより)

台風の経路が似ていない3つの宮古島台風

一般的に、昭和9年の「室戸台風」と昭和36年の「第二室戸台風」のように、よく似ている場合には同じ名前を使います。しかし、「宮古島台風」「第二宮古島台風」「第三宮古島台風」は、経路などが似ていません。

共通しているのは、宮古島に大きな台風被害をもたらしたという点です。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

饒村曜の最近の記事