「タイタニック号」の海難で711名を助けた無線通信

「タイタニック号」の無線通信室

「タイタニック号」の処女航海

明治45年(1912年)4月10日、ホワイト・スター・ライン社(イギリス)の豪華客船「タイタニック号」がイギリスのサウサンプトンからアメリカのニューヨークに向けて処女航海に出港しました(図1)。

全長268メートル、全幅28メートル、総重量4万6000トンの「タイタニック号」は、当時の最先端技術で作られ、画期的な二重構造の船体と、16の防水区画によって不沈船と考えられていました。

さらに、当時の規定では総重量から計算した962名人分の救命ボートで十分なのに、1176名分の救命ボートを積んでいました。さらに、ラウンジやプールなどの豪華設備に加えて、無線通信機などの最新の施設が備えられていました。

最上階には、無線通信機を発明したググリエルモ・マルコーニが作ったマルコーニ社の社員が2人勤務していました。

図1 タイタニック号の航跡
図1 タイタニック号の航跡

北大西洋の氷山

4月頃の北大西洋航路では氷山の流出は珍しくありませんが、この年は例年より寒くて氷山が発達していたといわれています。

「タイタニック号」は、他の船から氷山に関する情報を入手していましたが、進路を大きく南に変えることはせず、ひたすらニューヨークに向かっていました。

しかし、海難事故の半日前の地上天気図(図2、グリニッジ時間で4月14日13時)を見ると、カナダにあった大きな高気圧が東南東へ時速40キロメートル位で移勤しています。「タイタニック号」の沈没海域付近では、高気圧の東側にあるため北西風が続き、氷山がより南下しやすい状態でした。また、寒冷前線が南下中で、その後寒気が入ってきました。

4月14日13時40分、「タイタニック号」の見張り番は、450メートル先に巨大な氷山を発見、舵を左いっぱいにきって氷山を避けようとします。

しかし、発見の37秒後に氷山は「タイタニック号」の右舷をこすってしまいます。このため、船体のあちこちに亀裂が入り、5つの防水区画に浸水しています。

4つの防水区画までなら浮いていられたと言われていますので、ほんの僅かな差が大きな海難に結びついています。

図2 タイタニック号が沈没する約半日前の地上天気図
図2 タイタニック号が沈没する約半日前の地上天気図

SOSを最初に発信した遭難船

「タイタニック号」の浸水を受け、エドワード・スミス船長は救命ボートのカバーをはずさせるなどの指示を次々に出しています。

そして、マルコーニ・ルームと呼ばれた無線室にゆき、無線通信士に使われ出したばかりのSOSという新しい遭難信号を発信させています。

明治29年(1896年)にイタリアのググリエルモ・マルコーニが無線通信機を発明すると、モールス符号を使って海上の船舶でも陸上や他の船と連絡が取れるようになります。そして、明治39年にベルリンで開催された第一回国際無線電信会議で、船舶などが重大な危機を伝える信号としてSOSが決められています。

モールス符号は、短音(ト)と長音(ツー)の組合せで文字を表現するものです。簡単ではっきり分かるということから、短音3つのSと、長音3つのOを組み合わせたSOS(トトト ツーツーツー トトト)が採用されたのです。

記録に残るものとしては、SOSを最初に発信した遭難船は「タイタニック号」です。

タイタニック号が発信した遭難信号は、次のようなものです。ここで、CQDは「危険なので急いで来てくれ」というCome Quick Dangerの頭文字、MBYはタイタニック号の識別符号です。

SOS SOS CQD CQD MBY WE ARE SINKING FAST PASSENGERS BING PUT INTO BOATS MBY

(SOS SOS 緊急通信 緊急通信 タイタニック 我々は急速に沈んでいる。乗客は救命ボートに乗り移っている。タイタニック)

711名を救った無線通信機

15日2時10分、スミス船長は無線通信士の任務を解除し、乗組員達に「みんな自分のために行動せよ」と告げてブリッジに戻っています。

その10分後、「タイタニック号」は二つに割れて沈没しています。氷山に衝突してから3時間たらずの出来事でした。

「タイタニック号」から約2時間にわたって打たれたSOSなどの無線通信は、無駄になっていませんでした。

無線通信機を積んでいない船が多く、積んでいても使われずに近くを通過した船があったとはいえ、100キロメートル先からマウント・テンプル号、カルパチア号、150キロメートル先からパーマ号、300キロメートル先からフランクフルト号などが駆けつけ、救助にあたっています。

タイタニック号は、乗船者の68%にあたる1490名が死亡するという非常に大きな海難です。

悲劇の海難と言われますが、陸から800キロメートル以上離れた氷の浮かぶ冷たい海での海難です。

救助が少しでも遅れれば、乗船者全員が死亡です。

それが、無線通信機によって多くの船が素早く集まり、711名を助けたのです。

このことにより、普及に時間がかかっていた無線通信機を多くの船に積むようになり、SOSも広く一般に認知されるようになります。

ソーラス条約

絶対に沈まないと考えられていた「タイタニック号」の沈没は、各方面に衝撃を与え、色々な対策がとられてゆきます。翌年には、「海上における人命の安全に関する国際会議」がロンドンで開催され、ソーラス(SOLAS)条約(海上における人名の安全のための国際条約、Safty Of Life At Sea)としてまとめられています。しかし、大正3年(1914年)に始まった第一次世界大戦により各国の批准が中断され、いったん白紙に戻っています。

「第2回 海上における人命の安全に関する国際会議」がロンドンで開催されたのは、第一次世界大戦の戦後処理が済んだ昭和4年(1929年)のことで、ここでソーラス条約が全会一致で採択され、昭和8年1月1日から実施となっています。

ソーラス条約により、船体構造の強化や救命・消火・無線通信施設の充実、SOSの24時間聴取の義務付けがなされています。

それに加えて、海上の悪天候や流氷などの船の航行に危険な状況の監視とその情報の提供といった、いわゆる海上気象情報の船舶等への伝達が国際的に始まっています。

このSOLAS条約は、技術革新とともに幾多の改訂が行われています。

最近では、アメリカの同時多発テロを契機として平成14年に改正が行われ、テロ対策として港湾関連施設の保安対策強化が義務付けられています。

ちなみに、通信機器の飛躍的な進歩によってモールス符号による遭難信号SOSの取り扱いは、平成11年(1999年)で廃止となっています。

「タイタニック号」の海難で711名の命を救ったSOSは、その後、多くの人を海難などから救っていますが、20世紀の終りともに、その役目が終わっています。

ちなみに、「タイタニック号」の海難から25年後の昭和2年4月23日、無線通信のマルコーニが63歳の生涯を閉じていますが、この4月23日は、「国際マルコーニーデー」です。

図とタイトル画像の出典:饒村曜(2002)、台風と闘った観測船、成山堂書店。