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東日本大震災で空の大惨事を防いだ普段の行動

饒村曜気象予報士
旅客機(写真:アフロ)

平成23年3月11日14時46分に三陸沖を震源とした地震が発生し、東日本大震災が発生しました。

想定外と言われた東日本大震災発生時に、日本上空に多くの飛行機が飛んでおり、仙台空港が津波に飲み込まれただけでなく、羽田空港や成田空港という大空港が使えなくなるなど、空の大惨事が多発する危険な状態に陥っています。

日本上空には着陸できない多数の飛行機

東北地方太平洋沖地震が発生したとき、日本上空には多くの飛行機が飛んでいました。飛行機には安全のため余分の燃料が積んでありますので、地震が発生して滑走路点検などで空港が一時的に閉鎖となっても、上空で空港再開まで待機するか、代替空港へ着陸するために向かうことで、通常は大きな問題とはなりません。

しかし、東北地方太平洋沖地震が発生した時は、事情が全く違い、着陸できる空港が無くなり、多くの飛行機の燃料が無くなって大惨事が起きる恐れがありました。仙台空港では、中国国際航空便が地震6分前の14時40分に中国の大連に向かって飛び立ち、地震1分前の14時45分に到着予定の日本航空便は天候不良で到着が遅れていたため、津波襲来時には滑走路上の旅客機がいないという幸運がありました。

そして、仙台空港を地震による津波が襲ったのは、地震の約1時間後の15時56分で、ターミナルビルは3メートルの高さまで冠水し、4月13日までの長期間にわたり、民間機の使用が出来なくなっています。

巨大地震の発生や、それに伴う津波に呑まれて仙台空港が使えなくなることは想定外でも、空港が急に使用不能となることを想定しての普段の準備があり、空の大惨事が起きる事態を免れています。

成田空港と羽田空港が使えない国際便

仙台空港だけの被害でしたら、仙台空港への国内線は出発空港に戻るという選択肢がありますし、国際線は日に8便の離発着空港ですので、他の空港への代替着陸もそれほど困難ではなかったと思います。

しかし、成田空港の管制塔が倒壊の恐れがあるとして、管制官等の着陸に絶対必要な人々が待避しています。このため、成田空港は一時的な閉鎖ではなく、無期限の閉鎖を宣言せざるをえなくなっています。

国際線の飛行機は大型機が多いために長い滑走路を必要とし、代替着陸ができる空港が限られていますし、出発空港に戻る燃料は残っていません。

このため、多くの機が代替空港として羽田空港を目指しました。

しかし、1時間に60機以上が離発着する羽田空港では、地震による点検のため一時的な閉鎖があっただけで、上空に沢山の飛行機が待機しています。この飛行機を下ろすだけで精一杯で、成田空港に向かっていた国際線の飛行機は6機を受け入れただけで満杯となり、羽田空港もほどなく閉鎖となります。

成田空港と羽田空港に向かっていた国際線の86機が、燃料が少なくなった状況で日本上空をさまよったのです。

直前に行われた訓練がいきた緊急着陸

日本上空をさまよった国際線の飛行機は、関西空港に21機、中部空港に17機、新千歳空港に14機、そして、普段は使わない横田基地に11機など、各地の空港になんとか着陸をし、最悪の事態を乗り切っています。

機長「燃料が最小限で待機不可能」、管制官「満杯で許可できない」、機長「非常事態を宣言する、燃料残量小」などのやりとりがあったといわれていますが、綱渡りは綱渡りでも、綱を無事に渡りきっています。。

このようにうまく航空管制ができた理由の一つに、地震前日の3月10日に東京航空管制部で羽田空港の滑走路閉鎖を想定した訓練を行い、上空の飛行機をいかに安全に降ろすかという訓練が行われていたことがあげられています。

訓練が直前に行われていたことは偶然ではありません。航空管制だけでなく、航空に関するすべての業務は、安全運行のため、毎年のように、いろいろなことを想定した訓練が行われているからです。航空業務は、いつ想定外の事態が起きても、そのときに備えての訓練を受けたばかりの人が業務を行っているということができます。

私が台長としていた東京航空地方気象台でも、1週間前に、仙台航空測候所が全ての業務を行うことができなかったと想定しての代行訓練を行っています。

羽田にある東京航空地方気象台の様子

東北地方太平洋沖地震発生時には、東京航空地方気象台総務課の事務室にいました。

新潟地震を新潟で、兵庫県南部地震を神戸で経験をしていますが、今回の地震は、これらと比べて、揺れが長く続いているという印象を持ちました。官執時間内の地震で、管理職が全員職場にいたこともあり、あらかじめ定められているとおり、仙台航空測候所の代行業務や職員家族の安否確認作業などがただちに行われました。

仙台空港が津波にのまれはじめた16時までには、予報課では仙台空港測候所が行っていた東北地方の4空港(仙台、青森、秋田、福島)の予報業務を代行していました(図)。仙台空港はすぐに使えるかどうかはわかりませんが、少なくとも、青森、秋田、福島の3空港が継続して使えるからです。

帰宅困難になる職員がどれくらい発生するかは不明でしたが、水や食料の備蓄があり、夜間の暖房確保もできていましたので、帰宅困難者が多くなってもなんとかなりそうであると感じていました。

写真 東北地方の航空予報を代行する羽田にある東京航空地方気象台の様子
写真 東北地方の航空予報を代行する羽田にある東京航空地方気象台の様子

普段の業務が活きた

大きな災害が発生したとき、普段の業務の適否が問われると思っていましたが、東京航空地方気象台は、普段の業務がしっかりしていたと思います。

なかでも、半年前に現業室の模様換えを行い、複雑に増えていた通信機器をラックにきちんと収納し、一角に集めたことは大きかったと思います。これによって現業室に代行業務と新人訓練を行うためのスペースが生まれました。模様換えを行わなかったら、通信機器が地震によって散乱し、大惨事に結びつく通信障害となった可能性がかなり高かったと思います。

また、代行業務用の専用スペースは、羽田空港の通常業務に全く影響を与えずに作業でき、長期間にわたる代行期間中にミスを生じさせる可能性を低くしていたと思います。

自然現象は想定外でも、その後に起きることは想定できる

大規模な自然現象は想定外でも、その現象によって引きおこされることは、想定内のことで対応できることが多いと思います。航空業務は、その典型と思います。

予測ができないので防災は何もできなかったではなく、予測ができなくても、普段の業務をきちんと継続していることが、想定外の現象にも減災につながると思います。

図1の出典:饒村曜(2012)、東日本大震災 日本を襲う地震と津波の真相、近代消防社。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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