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「灯台記念日」は「文化の日」の前という俗説 明治初期の気象業務は灯台が大きな役割

饒村曜気象予報士
観音崎灯台(明治元年9月17日に建設に着手、西暦に直した11月1日が灯台記念日)(写真:アフロ)

近代日本の灯台の歴史は、徳川幕府が開国に伴って,慶応2年(1866年)にアメリカ、イギリス、フランス、オランダの4か国と結んだ「江戸条約」によって8つの灯台(観音崎、神子元島(みこもとじま)、樫野埼、剣埼、野島埼、潮岬、伊王島、佐多岬)の建設を約束したことに始まっています。その後、兵庫開港に備えて5つの灯台建設をイギリスと約束した「大阪条約」などがありましたが、これらの約束は、徳川幕府を倒した明治新政府に引き継がれています。

日本初の洋式灯台(観音崎灯台)

明治元年(1868年)6月、明治新政府は横須賀製鉄所に観音崎灯台の建設を命じ、同時にイギリスからR.H.ブラントン等を灯台建設のために招いています。

日本初の洋式灯台である神奈川県三浦半島の初代・観音崎灯台は、横須賀製鉄所に雇われていたフランス人技師、F.ウエルニーによって明治元年9月11日に建設に着手、翌2年1月1日に点灯となっています。レンガ造りの洋館の上に灯塔をつくり、そこで落花生の油を燃やした光を、フランス製レンズで光を強めていました。

続々と灯台が建設

観音崎灯台に続いて、後に日本の灯台の父と呼ばれるブラントンによって、明治3年6月10日に石造りの樫野埼灯台台の点灯と木造の潮岬灯台の仮点灯,同年6月16日に鉄造りの伊王島灯台、同年11月11日に石造りの神子元島灯台が点灯になるなど、続々と灯台が作られてゆきます。

ブラントンは、明治2年8月に燈台寮雇技師長となり、各地で精力的に行われている灯台の建設と運営の指導を行い、各灯台で天気、気圧、風向・風速などを記録した「天候日誌(天候広報、天気広報)」を月ごとに集めています(図1)。

図1 明治10年1月の神子元島灯台の天候広報
図1 明治10年1月の神子元島灯台の天候広報

気象庁に残されている灯台での観測記録

このうち、気象庁には、明治10年1月以降の灯台の観測記録が残されています。明治10年1月では、図2のように24灯台・2灯船がありますが、東京湾、大阪湾、関門海峡付近に集中しており、ここが明治初期の日本にとって重要地域ということがわかります。

図2 観測記録が残されている明治10年の灯台と灯船の位置
図2 観測記録が残されている明治10年の灯台と灯船の位置
表 図2の名称
表 図2の名称

明治初期の日本の気象業務は灯台が中心

明治初期においては,表のように気象台や測候所の数も少なかったため、気象を調査しようとすると、燈台の観測データが不可欠でした。明治初期の日本の気象業務揺籃期には、灯台は気象台の前にあったのです。

また、明治14年に内務省駅逓局管船課を任期満了となったE.クニッピングが、「日本も暴風警報の発表業務を行うべき」との建白を行ったときには、船舶の航海日誌と灯台の天候日誌を使って行った明治11年から13年の5つの台風についての調査が添付されていました。

翌15年1月、クニッピングは、暴風警報実施のため、地理局にあった東京気象台(気象庁の前身)に雇われています。ここに、組織的に気象観測を電報で集め、暴風雨を予知して防災活動を行うという、日本の警報業務が始まったのです。

表 明治初期の気象台等の報告数と灯台の報告数
表 明治初期の気象台等の報告数と灯台の報告数

灯台記念日は観音崎灯台の工事着手日

初代・観音崎灯台は、大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊していますが、昭和24年に灯台記念日を決めたときには、観音崎燈台の建設に着手した明治元年9月11日を新暦に直した11月1日としています。

記念日の多くは完成した日であり、着手した日とするものが珍しいためか、「灯台記念日は文化の日(11月3日で制定は昭和23年)の前にもってきた」という俗説を生んでいます。

文化の前に灯りがあるということでしょうが、日本の気象業務の前には灯台があったのは事実です。

図表の出典:饒村曜(2002)、明治の気象業務に重要な役割をした燈台での気象観測、雑誌「気象」3月号、日本気象協会。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2015年6月新刊『特別警報と自然災害がわかる本』(オーム社)という本を出版しました。

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