もう一つの神戸コレクション 地球温暖化対策に120年以上前の船舶の観測記録

明治丸の海上気象報告の一部(明治27年10月25日~11月1日)

9月5日、兵庫県神戸市において「神戸コレクション2015秋冬」が、神戸市中央区のワールド記念ホールで盛大に開催されました。「神戸コレクション」は平成14年8月31日に始まった年2回の日本最大級のファッションショーで、「2015秋冬」では、阪神・淡路大震災から20年になったことから神戸復興をアピールする地元産品のPRコーナーももうけられました。これとは別に、もう一つの「神戸コレクション」があります。今から120年以上前の明治23年(1890)からの商船等の海上気象観測表約680万通のことです。

明治政府は幕府海軍の人材を活用

 嘉永6年(1853年)にマシュー・ペリー提督が率いる4隻のアメリカ合衆国海軍が江戸湾入口の浦賀に来航し、日本は幕末と呼ばれる動乱時代に突入しました。徳川幕府では海軍を強化するため多くの軍艦を購入するとともに、勝海舟、榎本武揚、荒井郁之助、小林一知などの人材を育てています。大政奉還直後の慶応4年1月3日(1868年1月27日)の鳥羽伏見の戦いで始まった戊辰戦争は、新政府軍(官軍)が幕府側諸藩の城を攻略しながら勢いを増して東へ進む展開となり、勝海舟が官軍の司令官・西郷隆盛と会談を行ったことから江戸城が無血開城となっています。これに不満の榎本武揚を主将とする幕府軍は、荒井郁之助が指揮する8隻の艦隊に分乗して蝦夷(現在の北海道)を目指します。しかし、日本初の太平洋横断をした「咸臨丸(艦長は小林一知)」は蝦夷に向かう途中の鹿島沖で台風に巻き込まれて難破し、当時日本最強の軍艦「開陽」は冬の暴風雨で沈没し、無敵を誇った幕府海軍は、自然の猛威の前に戦わずして敗れています。

表1 最初に船舶からの気象報告を求めた明治7年の太政官達
表1 最初に船舶からの気象報告を求めた明治7年の太政官達

函館戦争後、明治新政府は、敵方の幕臣であっても有用な人材は抜擢して起用しています。勝海舟は海軍卿(海軍大臣)として海軍の創設にかかわり、榎本武揚は伊藤博文初代総理大臣の逓信大臣などに抜擢されます。また、荒井郁之助は初代、小林一知は2代の中央気象台長(現在の気象庁長官)になっています。

近代的な船は気象観測結果を報告せよ

表2 気象表を作成して中央気象台に報告することを求めた明治21年の内務省令
表2 気象表を作成して中央気象台に報告することを求めた明治21年の内務省令

 明治7年(1874年)に海軍卿であった勝海舟は、諸官庁や民間が保有する近代的な船は気象の観測を行い、その結果を海軍省水路寮に報告すべしという内容の太政官通達を出しています(表1)。この船舶からの気象観測をあつめ海上気象の調査をしようという業務は、財政緊縮のために行われた大規模な行政改革で、明治21年から荒井郁之助が率いる中央気象台に移管されます(表2)。ここでいう、逓信省令第4号第6条では、内国航船は「内国諸港ニ航通スルモノ但朝鮮国北界ノ鴨緑江ヨリ露領サガレン諸港ニ航スルモノモ包含ス」、外国航船は「内外国諸港ニ航通スルモノ」となっています。また、内務省令の公布に伴い、中央気象合は、明治22年2月5日、「海上気象報告心得」を制定していますが、この冒頭には、「海上気象報告は海上気象図編製の材料に供するものなり海上気象図は航海の便利に供し兼ねて諸般の利益を為すものなり故に注意して精実にこれを記載すへし」と書かれています。

大正9年(1920年)に神戸に海洋気象台が誕生すると、この業務は海洋気象台が引き継ぎ、中央気象台に保存されていた船舶からの報告は全て神戸に送られます。中央気象台の大部分は大正12年の関東大地震で焼失していますので、きわどいところでした。また、昭和20年(1945年)の神戸空襲では、神戸海洋気象台が焼け落ちていますが、船舶からの報告は田舎に疎開させてあって無事でした。こうして、「神戸コレクション」と呼ばれる海上気象観測表のコレクションができています。

地球温暖化の研究で昔の資料が価値あるものに変わる

地球温暖化が人類最大の問題に浮上してくると、長年にわたって蓄積された観測資料は、観測していた当時には考えられない価値あるものにかわっています。特に、海上の観測資料の価値があがりました。海は陸上のように短い時間で変動しないために長期間の変動を見るのに適していることや、気候変動と海の関係が注目されるようになってきたからです。商船等では、昔から安全に航海を続けるために観測を行い、それを記録することが行われていましたが、航海が終われば不要のものと考えられていました。これを集めて調査しようという国が無かったわけではありませんが、戦争や災害などにより長期間にわたる保存には至っていないからです。

昭和36年からは世界気象機関(WMO)により世界的に統一した方法で観測データを収集・蓄積するシステムが構築化され、それ以降の観測データはコンピュータで扱えるよう、随時電子化(デジタル化)されていますので、問題は昭和35年以前についてのものです。

「神戸コレクション」の価値

「神戸コレクション」は、今から120年以上前の明治23年(1890)から昭和35年(1960)までの日本の商船等で観測報告された海上気象観測表約680万通が含まれています。昭和35~36年には気象庁とアメリカ海洋大気庁(NOAA)の共同事業によって、昭和8年以降の270万通についてデジタル化が行われましたが、それ以前については、観測方法や記入方式が変わっていることなどからデジタル化には費用がかかりすぎるとして見送られてきました。しかし、平成7年に阪神・淡路大震災が発生すると、この地震では無事であったが、人類の貴重な財産をこのまま眠らせて良いのかという議論がでました。このため、日本気象協会が日本財団補助事業として、気象庁の支援を受けて昭和7年以前の海上気象観測資料の観測資料のデジタル化が行われました。

図 地球温暖化等の研究に使える太平洋の船舶の観測データ数(2002年当時)
図 地球温暖化等の研究に使える太平洋の船舶の観測データ数(2002年当時)

現在の状況を記録し後世に残すことの重要性

日本気象協会の平成7年度から8年間のデジタル化事業により310万通のデジタル化が完成しました。第一次大戦のあった大正3年(1914)以降は、欧州諸国の海上気象資料が戦火の影響で極端に少なくなっているため(図)、「神戸コレクション」の地球温暖化の研究への貢献は多大なものがあります。

 現在の状況は現在でしか観測できません。あとで必要になっても入手できません。「神戸コレクション」は、現在すぐに役に立たたなくても、現在の状況を正確に記録して後世に残すことの重要性を示す一つの例となっています。

図表の出典:饒村曜(2010)、海洋気象台と神戸コレクション 歴史を生き抜いた海洋観測資料、成山堂書店。