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北朝鮮少女、脱北3年で「K-POPスクール通い」――金正恩氏が恐れる洗脳の緩みと韓流の浸透力

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
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 北朝鮮からの脱出住民(脱北者)の問題が日本で大きく取り上げられたのは、今から20年以上も前の2002年5月、3歳女児を含む5人が中国遼寧省瀋陽にある日本総領事館に駆け込んだ「ハンミちゃん事件」だった。その後も脱北者は継続的に増えているものの、そこに焦点があてられることは少なくなった。12日に日本で公開されるドキュメンタリー「ビヨンド・ユートピア 脱北」(マドレーヌ・ギャビン監督)は、今も続く脱北者の命がけの亡命劇を実際の映像で構築し、この問題の深刻さ・根深さをあぶりだしている。

◇かかわったブローカー50人

 北朝鮮からの脱出には(1)パスポートを持って出国し、外国公館などの保護を受ける(2)韓国と北朝鮮を隔てる軍事境界線を越える(3)北朝鮮の海岸から韓国を目指す(4)川を隔てた中国に逃れ、東南アジアを経由して韓国に渡る――などの方法がある。だが前の三つはハードルが高く、大半が(4)を選択することになる。この映画は(4)のプロセスを携帯電話や隠しカメラで撮影したものだ。東南アジア経由の脱北は珍しくないが、そのプロセスを克明に記録した映像はこれまで公開されてこなかった。

「ビヨンド・ユートピア 脱北」は▽北朝鮮の一家(夫婦と80代の母、女児2人の計5人)▽中国に潜伏していた北朝鮮青年――の二つの物語を中心に展開している。前者は1万2000kmに及ぶ大移動を経て、韓国に亡命する。後者は中国で拘束されて北朝鮮に強制送還され、政治犯収容所に収監される。この二つのプロセスを担っているのが、映画で脱北者支援の中心人物として描かれている韓国ガレブ宣教会の金成恩(キム・ソンウン)牧師だ。

 金成恩牧師は昨年12月に来日し、筆者のインタビューに応じた。

 この映画に記録されているミッションにはブローカー50人がかかわったという。

「『50人』という数字は監督のカウントです。あらゆる場面で通常より3倍、4倍の人数をかけたためです。ドキュメンタリーを撮るので、失敗はできない。各国で警察当局の動きを確認するため、ブローカーをたくさん雇った。脱北者が移動する車両の前に検問がないか確認する車、後ろには追跡者がいないかを確かめる車を使ったりしました。もちろん、私は全員の動向を把握していました」

 脱北者は、最初に足を踏み入れることになる中国で「不法滞在者」として扱われる。警察当局に見つかれば北朝鮮に強制送還され、生命の危機にさらされることになる。脱北者をかくまった場合も、処罰の対象となる。加えて、中国では昨年7月1日に改正反スパイ法が施行され、スパイ行為の取り締まりが強化された。中国で脱北者を助ければ、例外なく「スパイ」として扱われる。中国国内で牧師の活動を支援していた人たちも次第に離れていったという。

「いま中国に入れば、指紋認証され、個人の写真も撮られる。列車やバスを使う際、すべて顔認識して、人が通るごとに、どこの国の、どの地方の人か監視している。それが共産主義。人権というものがありません」

 このように中国では脱北者支援は困難を伴い、北朝鮮とも正面から対峙することになる。両国に足を踏み入れなくても両国政府から「要注意人物」としてマークされる。

筆者に携帯電話の映像を見せる金成恩牧師=東京都渋谷区でトランスフォーマースタッフ撮影
筆者に携帯電話の映像を見せる金成恩牧師=東京都渋谷区でトランスフォーマースタッフ撮影

◇若者は韓流に染まりやすい

 筆者がかつて取材を通して知り合った韓国在住の脱北者の多くが、韓国社会への適応に苦労していた。北朝鮮で学んだ知識が役に立たないばかりか、グローバル化した韓国社会のスピード感に置いて行かれるような感覚になるという。特に年齢が高ければ、それだけ適応は難しくなる。

 この点は金成恩氏も同じ考えを示している。

「私が脱北者を連れて来る際、できるだけ若い、幼い子どもを連れてくるようにしています。なぜか? 高齢の方は一種の洗脳が解けない状態が続いていて、それが非常に深刻なのです。今でも『金正恩(キム・ジョンウン)総書記がお痩せになった』などと心配する人もいます。一方、20歳以下なら、韓流にはまりやすい。韓国で学校に通うようになり、韓国ドラマを見るようになれば、『あの映画見た?』と競って話題にするようになります」

 映画に登場する家族の中に幼い姉妹がいる。2人は脱北直後に「金総書記のことをどう思う?」と尋ねられ、姉は少し考え込んで「世の中で一番立派で……」と答えていた。

 その子が韓国亡命から3年でK-POPの学校に通うようになった。金成恩氏の携帯電話には彼女がトレーニングを受ける様子を収めた映像が保存されている。

金成恩牧師が指し示すK-POPを習う元脱北者の女の子=東京都渋谷区でトランスフォーマースタッフ撮影
金成恩牧師が指し示すK-POPを習う元脱北者の女の子=東京都渋谷区でトランスフォーマースタッフ撮影

「幼い子供たちは、どんどん韓国の文化にとけ込んでいく。見た目も中身も、すぐに変化する。北朝鮮でも、こっそり韓国の歌や踊り、ドラマを見て『韓国に行きたい』と言い出す子どもが少なくありません。子どもたちだけではありません。中国経由で北朝鮮に入る韓国の服や靴は、もはや北朝鮮ではブランド品だ。実際、我々と水面下で接触する北朝鮮の幹部たちの中には『韓国の化粧品を送ってほしい』と要求する人もいます。韓国産を送れ、ということですよ」

 北朝鮮住民の間で韓国ドラマや韓国映画を通じて韓国風の言葉遣いや外来語が広まっているといわれる。当局は言葉にとどまらず、住民が外部の思想に染まることを警戒して、昨年1月に開いた最高人民会議(国会)で、標準語である平壌語以外の使用を禁じる「平壌文化語保護法」を採択している。

 韓国情報機関・国家情報院は、北朝鮮が2021年に、「オッパ」(お兄ちゃん)や「ナムチン」(彼氏)など、韓国の若者らが好んで使う表現を「非社会主義で革命の敵」だとして厳しく取り締まったと報告している。若年層が韓国の自由な文化に染まれば、もともと低下しつつある忠誠心がさらに薄れ、金正恩政権の維持にマイナスに働くとの警戒心があるようだ。

「北朝鮮当局としては、そうせざるを得ない。脱北者が1人くれば、その人が北朝鮮にいる家族に『韓国に来てみたら、天国だ。北朝鮮は本当に国情がよくない。我々が教えられてきたことは、全部うそだった』と伝える。そうした話によって、北朝鮮の内側で少しずつ変化が生じるだろう。だからさらに脱北者が生じるのです」

◇「ミサイルよりも食べ物を」

 金成恩牧師は脱北者支援活動に関連した情報を確保するため、20年近く北朝鮮の内部映像を収集している。「世界で私がもっともたくさん映像を持っている」という自負もある。

「最も驚くことは、17~18年前に、あるいは最近脱北した人に、北朝鮮内部の映像をみせれば、多くが『われわれの故郷は、変化したものは、一つもない』と言います。ある人は『この映像の中でモノを売っているのが、私の叔母だ』とか言っています。私の活動拠点に来て、脱北者が“しっかり生きている”叔母の映像を確認するというわけです。私のもとには『親族が元気でいるのか確認させてほしい』という申し出もあるほどです」

 金成恩氏が昨年春までに韓国に連れてきた脱北者は計1015人に上るという。ただ、脱北者の支援活動は年々厳しさを増す。

「脱北者の救出は危険でしんどいが、苦痛だと思ったことはない。ただ辛いのは、助け出せる人数が限られていること。たとえば、資金不足で10人いても3人しか救出できないような場合です。全員が生きたがっているのに……。中国では脱北者が生きるには、どうしても資金が必要なのです。『次にまた助けに来ます』と言うしかない。でも、次に行った時、すでに警察当局につかまって北朝鮮に強制送還されていたりします」

 ガレブには今、200人から「助けてくれ」という連絡が来ている。

 映画の中で筆者が印象的だったのは、脱北者家族が一緒に朝鮮半島の童謡「故郷の春」を歌うシーンだ。

「韓国と北朝鮮で政権ができる前、南北は一つで、同じ考え方、同じ言葉でした。感情を込めて北朝鮮の人たちを見るならば、彼らの様子は韓国社会のかつての姿そのままなのです。だから彼らはごく自然に『故郷の春』を口ずさみます。もう故郷には戻れないという気持ちになった時、あの歌が出てくるのです」

 金成恩牧師の名前は、金正恩総書記と似ている。ハングルで記せば、子音ひとつの違いだけだ。インタビューの最後に「もし金総書記に会えるなら、どんな言葉をかけたいか」と尋ねてみた。「イエス・キリストを信じてほしいと言いたい。そうすれば、北朝鮮住民にミサイルよりも食べ物を供給するようになり、人民も国のために働くようになる」

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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