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小泉訪朝20年――拉致問題の突破に「対北朝鮮カード」を整えよ

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
平壌に向けて出発する小泉純一郎首相(当時)。左は安倍晋三内閣官房副長官(同)(写真:ロイター/アフロ)

 2002年9月17日、小泉純一郎首相(当時)が北朝鮮に乗り込み、先代の金正日(キム・ジョンイル)総書記との日朝首脳会談に打って出た。直談判の末に交わされた日朝平壌宣言には「実りある政治、経済、文化的関係を樹立」「平和と安定に寄与する」という文言が盛り込まれた。それから20年。宣言の共通認識はもはや消え去ったようにみえる。政府間の意思疎通がほぼ断絶するなか、拉致問題の風化が憂慮される。突破口はないのか。

◇制裁だけでは北朝鮮政権は倒れない

 北朝鮮は長年の経済制裁に加え、新型コロナウイルス感染拡大防止のための国境封鎖、最近頻発する自然災害により、経済状況は間違いなく厳しくなっている。それでも核や弾道ミサイル開発を加速させて米国を威嚇し、日本や韓国へのけん制を続ける。弾道ミサイル発射に対する国連制裁は、友好国・中国やロシアのバックアップを受けて骨抜きにされている。

 制裁だけでは北朝鮮は動かない――これが過去20年の教訓といえる。

 北朝鮮は今、「核兵器を持ったまま、米国をはじめとする国際社会と関係を正常化する」という戦略的目標を持つ。

 金正恩(キム・ジョンウン)総書記は執権10年間で①米国は北朝鮮を攻撃しない②中国は北朝鮮を崩壊させない③政権は国内を掌握し、あらゆる資源を国家防衛に配分できる――を確信したようにみえる。

 この三つの確信によって戦略的目標が下支えされ、金総書記は目標達成に強い意欲を見せている。言い換えれば、金総書記に戦略的目標を放棄させるには①~③のいずれかを崩す必要があるということだ。

 一つ目の選択肢はどうか。米国による北朝鮮攻撃は、日韓両国から「北朝鮮のミサイルで攻撃を受けること」への承認を取り付けることが前提となる。両国が受け入れるはずがなく、事実上不可能だ。

 二つ目はどうか。中国にとって北朝鮮は地政学的に重要な隣国だ。北朝鮮という「緩衝地帯」があることで、米軍が駐留する韓国と神経をすり減らしながら対峙する必要に迫られない。したがって、北朝鮮が中国の意向を無視したり、中国の核心的利益を損ねたりしない限り、「支援停止→金正恩政権を追い込む」ことはないだろう。

北朝鮮の金正恩総書記
北朝鮮の金正恩総書記提供:KRT/ロイター/アフロ

◇「外の世界」に触れる機会

 三つ目の想定を揺るがすことは果たして可能か。現時点で、北朝鮮住民が権利を主張してデモを起こすような事態は考えにくい。だが、可能性がまったくないとも言い切れないと思う。

 北朝鮮は1990年代半ば、「苦難の行軍」のスローガンに象徴される深刻な経済危機に見舞われ、住民は自力で生き延びるよう求められた。その過程で住民は、限定的ではあるが市場経済に目覚め、経済難が慢性化するなかで一定程度、それは根付いた。

 住民らは今、北朝鮮という制約の多い国で暮らしていくため、金総書記や朝鮮労働党の方針には従っている。ただ、かつてのように「最高指導者は天才」「党の指示は絶対に正しい」というプロパガンダを無批判に信じるということは、もはやない。いかに儲けるかに関心を集中させる住民の様子を見て、危機感を抱いているのは金総書記本人だと思う。

 俗に「一人独裁」と表現されるほど権力を集中させているはずなのに、国営メディアに映る金総書記は、時に住民の要望に耳を傾け、時に目標を達成できなかった幹部を叱りつけて、住民に寄り添う姿勢を前面に押し出している。「人民大衆第一主義」を掲げ、「われわれの人民はすごい」などと愛国心をかきたて、大衆の気に入りそうな政策目標やスローガンをメディアを通じて宣伝しているようだ。

 市場経済が活発化するにつれ、北朝鮮でも新興富裕層が目立つようになった。今は国境封鎖で往来が大きく制限されているが、少し前までは外国とのビジネスを通して「外の世界」に触れる機会は少なくなかった。監視の厳しい自国内では表現できないが、外に出れば「学習ではなく、娯楽を楽しみたい」「おいしいものを食べたい」「豊かな暮らしをしたい」と漏らす人もいた。北朝鮮当局が、韓国の豊かな暮らしの描かれた韓流映画・ドラマを強く警戒するのも、住民のこうした変化が背景にあるからだ。

 金総書記は「政権崩壊」に強い危機感を抱く。最近の演説で「米国が政権崩壊を狙っている」と指摘しているが、私には金総書記が「国内事情が厳しくなり、批判の矛先が自身に向けられる」ことを潜在的に恐れているように見える。

◇日本との関係

 ここから拉致問題について考えてみたい。

 拉致問題における最優先事項は、被害者の安否確認と一刻も早い帰国だろう。だが、被害者の捜索や真相究明を目的に、日本の警察が勝手に北朝鮮に立ち入ることはもちろん許されない。日本側の求めに応じて北朝鮮側を動かし、協力と検証を繰り返しながら北朝鮮側が自国内を調べ尽くし、安否に関する証拠や情報を収集する必要がある。

 家族は当然、被害者に関する情報は何でも知りたがる。もっと言えば、被害者本人との対面が果たせない限り、この「確かな証拠に基づく真相解明」はおそらく、終わりを見ることはないだろう。

 他方、家族と北朝鮮の間に立つ日本側の交渉担当者は、日朝間の信頼関係を重視せざるを得ない。そうでなければ、北朝鮮側が日本側の要求を全面的に受け入れて、それに沿って動くことはないからだ。

 あくまでも仮定の話だが、北朝鮮側が「日本側の求める調査をすべて終えた」とし、日本側も「その手順に誤りがなく、内容に虚偽・でっち上げがない」との認識を持つことができれば、それをどう評価するか。

 政府認定の日本人被害者17人のうち、既に帰国している5人を除く12人について「多数の生存確認」ならば、それを直ちに受け入れ、帰国に向けた手続きを始めるとともに、北朝鮮に対し、見返り措置を講じることになるだろう。

 拉致の責任は全面的に北朝鮮側にある。安否確認・帰国・補償も当然、北朝鮮が負うべきだ。ただ北朝鮮がその義務を果たすべく動き、日本側もそれを確認し、それでも再び「横田めぐみさんら8人死亡」など、深刻な結果を告げられた場合――日本側交渉担当者は国内に向けて「北朝鮮は調査を尽くした」「見返り措置を取る」と表明できるだろうか。

 今の日本の世論を考えれば、「ならず者国家への譲歩」「弱腰外交」「売国」というバッシングにさらされるのは明らかだ。

 拉致問題解決の糸口を探るため、どんなに精力的に取り組んでも、必ず批判を受ける。それならば、ブルーリボンバッジをつけて“やっている感”を出し、「痛恨の極み」「一刻の猶予も許されない」という言葉を繰り返し、そのあとは頭を低くして、嵐が通り過ぎるのをじっと待つのが賢明だ――世論に敏感な政治家ならこう考えるだろう。

 その世論は国民が作り、こうした政治家は国民が選んでいる。

2002年9月17日、日朝首脳会談を受けた記者会見で涙を流す横田滋さん(写真:ロイター/アフロ)
2002年9月17日、日朝首脳会談を受けた記者会見で涙を流す横田滋さん(写真:ロイター/アフロ)

◇対北朝鮮カードを練る

 上述した「北朝鮮が拉致問題の調査に乗り出す」というのは、あくまで北朝鮮が「誠実に動く」という仮定の下で描いたものだ。現状のままでは、北朝鮮を動かすのは困難だろう。

 拉致問題に限っていえば、時間は北朝鮮の味方だ。筆者はかつて、北朝鮮側関係者から次のような理不尽な論理を聞かされたことがある。

「日本側が求めるのは『生きているはずだから返せ』ということ。でも極端な話、40年後、50年後になれば、被害者の中で最も若いめぐみさんでさえ100歳や110歳近くになっている。その時、日本側は『生きているはずだから……』と言うだろうか。拉致問題はわれわれの将軍様(金正日総書記)が謝罪して既に解決済みだ。それをひっくり返すというリスクを取ってまで向き合う問題ではない」

 だからといって、拉致問題を置き去りにしたり、核・弾道ミサイル開発を加速させる北朝鮮に無関心でいたりして良いはずがない。

 いま、日本に必要なのは、北朝鮮問題を扱う際の発想の転換ではないだろうか。

 北朝鮮は独裁体制を敷き、住民を飢えさせながら兵器開発にまい進している。そんな「ならず者国家」のすべては悪いものに決まっている――日本では一般にこう考えられているのではないか。もちろん、その原因は北朝鮮側にある。

 ただここで思考を止めてしまえば、北朝鮮を動かす知恵は得られない。

 まずは、北朝鮮を知ることから始めたい。それは北朝鮮に対する譲歩でも、服従でも、降参でもない。多くの国民が北朝鮮側の「ゲームのルール」「よって立つ価値観」「発想法」に触れて、何が拉致被害者や家族のためになるのか、何が国益に資するものなのかを考えるための、胸襟を開いた議論に結びつける。この問題を一部の専門家や「パイプ役」といわれる人物だけに委ねるべきではない。

 そして、幅広い層の有識者を後押しし、彼らの検討結果に基づき、北朝鮮に「日本と取引した方が自国に有利だ」「日本を無視していれば大変なことになる」と思わせるようなカードを捻出できないだろうか。もちろん、そのプロセスは単純ではない。落とし穴もあるかもしれない。

 拉致問題を風化させれば、日本は「国民の生命を守ることのできない国」のレッテルを貼られることになる。北朝鮮による日本人拉致に限らず、国民の生命に関わる国際犯罪はこれからも起こり得る。自国民さえ守れない国を、諸外国は信用するだろうか。そして何より、日本国民は、自国民の保護に政治生命をかけない政治家に、この国の将来を任せてよいのか。

 核・弾道ミサイルを持った隣国とその指導者をこのまま遠ざけておけば、そのうち「日本に対する核兵器使用の可能性示唆」という恫喝に日本中が右往左往することになるかもしれない。北朝鮮をこのまま放置しておくのは得策ではない。拉致問題解決も含め、北朝鮮にどのようなアプローチが有効なのか、包括的に再考する時期に来ている。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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