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すべては金正恩総書記の考え一つの北朝鮮――「核政策」法制化は必要なのか

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
最高人民会議開催を伝える朝鮮労働党機関紙「労働新聞」(筆者キャプチャー)

 北朝鮮は今月7~8日開いた最高人民会議(国会)で「核戦力政策に関する法令」を採択・発布した。最高人民会議は朝鮮労働党の決定を追認する形式的な機構に過ぎず、最高指導者の金正恩(キム・ジョンウン)総書記には超憲法的な権力・地位がある。核兵器の使用のみならず、金総書記が決心すれば、北朝鮮におけるあらゆる事業が実行可能だ。なのに、なぜこうした「法制化」の手順を踏んだのか。

◇「正常な国家」が「正常な手続き」

 法令では、自国を「責任ある核保有国」と位置づけている。核兵器に関連するすべての決定権・使用権限は国務委員長(=金総書記)にあるとしている。「指揮統制システムが敵対勢力の攻撃によって危険に瀕する場合」、つまり金総書記が暗殺の危機にさらされるなら、直ちに核兵器で反撃すると警告してある。

 法令では「核兵器を使用できる」状況として次の5つが挙げられている。

 ①核兵器や他の大量破壊兵器で攻撃される、あるいはそれが差し迫ったと判断される場合

 ②敵対勢力が核などで国家指導部や国家核戦力指揮機構を攻撃する、あるいはそれが差し迫ったと判断される場合

 ③国家の重要戦略的対象が致命的な軍事的攻撃を受ける、あるいはそれが差し迫ったと判断される場合

 ④有事の際、戦争の拡大と長期化を防ぎ、戦争の主導権を掌握するための作戦上、必要な場合

 ⑤その他、国家の存立と人民の生命安全に破局的危機を招く事態が発生し、核兵器で対応せざるを得ない状況が生じる場合

 上記5つとも、主観的な判断に基づくもので、平たく言えば「金総書記がその気になれば、いかなる状況でも核兵器により先制攻撃できる」ということになろう。

 なぜ法制化なのか。その意図はいくつか指摘できる。

 まず、最高人民会議での採択という手順を踏んで、核兵器に関する政策を法令とした点だ。つまり「正常な国家」が「正常な手続き」に従って法律をつくるという点を強調しているようにみえる。金総書記の「1人独裁」が続く北朝鮮においても、人民の総意に基づいて決めた法令であり、それによって「核保有国としての地位が不可逆的なもの」になった。ゆえに、たとえ金総書記であっても、もう後戻り(=非核化)できない――という点を強調しているようだ。

 また、国内の結束を図る狙いも指摘できる。「核兵器の使用権限は唯一、金総書記にある」点を明示することで、絶対的地位や支配力を誇示するという意図もあるだろう。

 対外的には、米国に対する圧迫だ。法制化によって「非核化の意思がない」ということを、米国をはじめとする国際社会に明確に示し、米国などの北朝鮮に対する認識や態度の根本的転換を促す狙いが込められているようだ。

◇朝鮮半島の政治・軍事的環境

 この「根本的転換」については、金総書記は最高人民会議での施政演説の際、その趣旨を説明している。

 その時、金総書記は米国の狙いについて▽北朝鮮の核を除去して▽自衛権まで放棄させ▽北朝鮮の政権を崩壊させること――と指摘し、その脅威を前面に押し出した。

 また、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権から提示された「大胆な構想」(北朝鮮が核開発を中断し、実質的な非核化に転換すれば、その段階に合わせて北朝鮮の経済・民生の画期的な改善に向けて支援するというもの)を念頭に「核との交換で改善された経済生活環境を追求しない」「苦しくてもわれわれは自分の選択を変えない」と述べ、拒否の姿勢を鮮明にした。

 そのうえで「もし、わが国の核政策が変わるには、世の中が変わらなければならず、朝鮮半島の政治・軍事的環境が変わらなければならない」との考えを明らかにした。

 この「朝鮮半島の政治・軍事的環境の変化」は、北朝鮮がこれまで米国に求めてきた対北朝鮮敵視政策の放棄と同一線上にある。つまり北朝鮮が訴えてきた「米韓同盟の解消」「在韓米軍撤退」などを指している。

 なによりもまず米国に求めているのは、米朝交渉を望むなら「北朝鮮も同じ核保有国」という立場を認めることだ。

 また、法令や施政演説には明記されていないが、米国の同盟国である日本や韓国を核使用のターゲットにしている点もにじませている。

 米韓は今、「拡大抑止」強化や北朝鮮に対する強硬姿勢を前面に出している。韓国は、北朝鮮からの攻撃の兆候があれば先制攻撃できる能力の保有を目指している。日本も相手のミサイル発射拠点などをたたく「反撃能力」保有を掲げている。日米韓3カ国の安全保障担当高官は今月1日に会談し、北朝鮮が7回目の核実験に反対するメッセージを発信した経緯もある。こうした状況もあり、北朝鮮としては核の先制使用をちらつかせることによって、日米韓の動きをけん制したいという思惑もあったのではないか。

 金総書記は米国によって自身の政権が転覆されるという恐怖心を常に抱いている。それを防ぐ手段には核保有しかない――金総書記の論理はこれに尽きるようだ。

 施政演説をみれば、北朝鮮は米国と「強対強」の対決局面がしばらくは進むと考えているようだ。米国側はウクライナや台湾海峡をめぐる情勢への対応で目一杯で、北朝鮮と積極的に対話する余裕は現時点ではなさそうだ。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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