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「拉致問題の舞台裏」安倍氏と金正恩氏は日朝首脳会談を模索し続け

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
2018年6月14日、拉致被害者家族と面会する安倍首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 奈良市で街頭演説中に凶弾に倒れた安倍晋三氏(67)は首相在任中、一貫して、北朝鮮による拉致問題の解決を政権の最優先課題に掲げてきた。対話と圧力を繰り返しながら北朝鮮に向き合い、政権末期には金正恩(キム・ジョンウン)総書記との日朝首脳会談も模索していた。その足跡を日朝双方の関係者への取材でたどってみた。

◇「レジーム・チェンジ」

 筆者は2005年4月から中国・北京で北朝鮮情勢を取材するようになった。安倍氏の第1次内閣発足はその翌年だった。以下は、主に北京での取材記録に基づいている。

 安倍氏が2006年9月26日に首相に就任した当時、北朝鮮側は強い警戒感を抱いていた。

 先代の金正日(キム・ジョンイル)総書記が2002年9月17日、小泉純一郎首相(当時)と会談し、拉致への関与を認めて謝罪したのを受け、拉致被害者5人が「一時帰国」することになった。だが5人が翌月15日、日本に帰国したあと、北朝鮮に戻ることはなかった。

 そうさせたのが、官房副長官だった安倍氏だからだ。

 北朝鮮は安倍氏の首相就任直後から揺さぶりをかけ、2006年10月9日には安倍氏が初めての中国訪問を終えて韓国に向かうタイミングを狙って1回目の核実験を強行した。

 ある外務省幹部は、第1次安倍政権の時に「“拉致をやらないと、許さないぞ”という総理の圧力を強く感じていた」という。別の外務省の幹部は次のように証言している。

「第1次政権の目標は『レジーム・チェンジ(体制転換)』だった。当時、『金正日総書記が病気だ。一大事があれば、北朝鮮はつぶれる』という認識があった。したがって、交渉するというより、米国とともに北朝鮮をつぶせという空気だった」

 これを裏付けるような公安当局者の話もある。

「安倍政権は拉致に関して、物分かりがとてもよかった。オペ(作戦)をやらせてください、といえば、すぐに予算がついた。その代わり、決められた時刻に進捗状況の報告を義務付けられた」

2002年9月17日、平壌に向けて出発する当時の小泉純一郎首相と安倍晋三内閣官房副長官
2002年9月17日、平壌に向けて出発する当時の小泉純一郎首相と安倍晋三内閣官房副長官写真:ロイター/アフロ

◇「タカ派なら信頼できる」

 金正日総書記が2011年12月17日に死去し、金正恩・朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長(当時)が後を継いだ。

 金正恩体制となった北朝鮮は、日本で2012年9月26日、安倍氏が自民党総裁に返り咲いたタイミングで話し合いを持ち掛けた。北朝鮮側には「タカ派の安倍氏が安定政権を維持するならば、日本の世論を抑えることができる。ディールできる相手だ」という認識があったようだ。

 安倍氏側も再登板後、北朝鮮側に「交渉する考えがある」というシグナルを送り、2013年5月には飯島勲・内閣官房参与(当時)が訪朝した。その後、「9月に安倍首相が電撃訪朝する」という未確認情報が飛び交い、首相の周辺からも「ご本人は乗り気」という話が漏れてきた。だが、この時は米国の反発を受けて、振り出しに戻っている。

 こうしたやり取りを通して、日朝双方に一定の「前向きの感触」が残り、外交当局による交渉が継続された。

 安倍政権はこのころ、拉致問題に対する姿勢をやや軟化させたようにみえる。「北朝鮮はできる限りのことをやり、日本はそれを正しく評価して、冷静な日朝関係を築こうという雰囲気を醸成する」(日朝関係に詳しい関係者)という方向性のもと、「慌てず、少しずつ前に進む」というスタンスが取られた。その結果、導き出されたのが、日朝政府間の「ストックホルム合意」(2014年5月)だ。

 北朝鮮は「拉致問題は解決済み」という立場を改めて「特別調査委員会」を設置、拉致被害者を含む日本人行方不明者の調査に着手した。その見返りに日本は独自制裁の一部解除を約束した。

北朝鮮の金正恩総書記
北朝鮮の金正恩総書記提供:KRT/ロイター/アフロ

◇「特別調査委員会解体」で思惑が一致?

 だが、その特別調査委員会は「何をもって拉致問題の進展とするか」などで双方の解釈が大きく異なり、調査はスタートから難航した。

 北朝鮮の外交関係者は当時の状況を次のように説明している。

「日本側の原則的立場はあくまで『拉致被害者の全員帰国』だ。だが、わが方が一生懸命に調査した結果、日本側が求める政府認定の拉致被害者が1人も見つからない場合、日本側はこれを受け入れるのか。たとえ、そういう結果が出たとしても、日本の世論がこれを受け入れるよう誘導するのが日本政府の役割だ」

 結局、調査は遅々として進まず、進捗状況を公表することもないまま、時間だけが過ぎた。そうこうしているうち、北朝鮮が2016年1月に核実験、同年2月に弾道ミサイルを発射して日本側が独自制裁措置を決定し、北朝鮮側がこれに反発して、すかさず「特別調査委員会」を解体した。「ストックホルム合意がつぶれ、安倍政権は喜んでいる。そもそも、ああいう合意は結ぶべきでなかった」(日朝交渉に詳しい関係者)という声さえ聞こえてきた。

北朝鮮のミサイル発射を伝える韓国メディア
北朝鮮のミサイル発射を伝える韓国メディア写真:ロイター/アフロ

◇北朝鮮「安倍総理の親書を」

 安倍氏に対する金正恩総書記の考えが公式に伝えられたことはない。ただ、間接情報はある。

 金正日総書記の料理人を務め、金正恩氏とも親交のある藤本健二氏(仮名)は、2016年に訪朝した際に金正恩氏と次のようなやり取りをしたと、公安関係者に明かしている。

 金正恩氏「今回(日本に戻って)安倍首相と会ってきたか」

 藤本氏「いいえ、まだです」

 金正恩氏「そうだな。そんな簡単ではないな」

 藤本氏に近い関係者によると、訪朝後に立ち寄った北京で、藤本氏は金正恩氏の側近、金昌鮮(キム・チャンソン)書記室長(当時)から「来月にも再び訪朝してほしい。その時には安倍総理の親書を持参するように」と求められている。

 こうした状況を総合して、藤本氏は2016年4月のラジオ番組で「(金正恩氏は)安倍総理に会いたいのではないか。私は金正恩氏の心の中を見通していますから」と発言している。

 それからしばらくたった2018~19年、北朝鮮側は外交攻勢に打って出た。金正恩氏は米国や中国、韓国、ロシアの各国首脳と相次いで会談し、融和ムードを演出した。この後を追うかのように日朝間でも対話の機運が芽生え、2018年4月ごろには「日本政府は日朝会談を本気で模索している」(自民党関係者)という情報が伝わるようになった。

 それを象徴するような出来事があった。

 2018年2月に開かれた韓国・平昌(ピョンチャン)冬季五輪の開会式の際、レセプションで安倍首相と北朝鮮の金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長(当時)が同じ場所に居合わせた。ある瞬間、日本側通訳が金永南氏に近づいて「日本国の安倍内閣総理大臣です」と伝え、安倍氏から積極的に立ち話を持ち掛けてきたそうだ。

 このころ、安倍首相は側近を複数回、北朝鮮に秘密裏に派遣し、北朝鮮側にエネルギー支援について提案していたようだ。詳細は不明だが、米朝首脳会談の際、トランプ大統領(当時)が金正恩氏に日本側の提案を伝え、金正恩氏は「安倍総理といつでも話す用意がある」と語ったと伝えられる。

 日朝交渉に詳しい関係者は2020年1月ごろ、筆者の取材に次のように語っている。

「金正恩総書記はいつまでも世界の“悪者”でいたいわけではない。称賛されたがっているはずだ。文在寅(ムン・ジェイン)氏(当時の韓国大統領)は同じ民族であるが、口先だけの人間という認識があるようだ。だからこそ、安倍総理を見直している。『米国に抵抗できる人物』と評価しているようだ」

 この取材の直後、新型コロナウイルスのパンデミックが始まった。北朝鮮は外部との往来を閉ざし、日朝高官の接触も消えたようだ。

平昌五輪を機に韓国を訪問した北朝鮮の金永南・最高人民会議常任委員長(当時、中央上)。右側は金正恩総書記の実妹の金与正氏
平昌五輪を機に韓国を訪問した北朝鮮の金永南・最高人民会議常任委員長(当時、中央上)。右側は金正恩総書記の実妹の金与正氏写真:ロイター/アフロ

◇風化への懸念

 筆者は日朝関係を取材する過程で、拉致問題にこだわりを持ち続ける安倍元首相をとらえて「拉致を政治利用している」「口先ばかり」と揶揄する声を、政界内外で繰り返し耳にしてきた。もちろん政権の支持率を意識しながら北朝鮮とのディールについて判断したこともあろう。拉致被害者や被害者家族との間であつれきが生じたこともあったと聞く。

 北朝鮮による拉致事件が発生したのは1970~80年代。被害者家族会の結成は1997年3月25日になってからだ。北朝鮮側が関与を認めて謝罪した日朝首脳会談は2002年9月17日。それから今年、さらに20年が過ぎようとしている。

 安倍元首相が拉致問題を最優先課題と位置づけたのは、何十年にもわたって置き去りにされてきた被害者や家族の悲痛な叫びに心を動かされ、それに政治生命をかけたいと考えたからだと思う。だがそのリーダーシップも、北朝鮮という特殊な国家を相手に、思うように発揮できなかったということだろう。

 安倍元首相の存在は、拉致問題に関わる者にとって、さまざまな意味で「圧力」だった。先述の外務省幹部の話に限らない。2016年7月のアジア欧州会議(ASEM)首脳会議での議長声明採択の際にも、当時の安倍首相は中国やロシアの反対を押し切って「拉致」の文言をねじ込んだ。すなわち、関係国にとっても、その存在は「圧力」だった。

 その「圧力」が、失われた。

 拉致問題がさらなるこう着状態に陥って「拉致」を語る声が小さくならないだろうか。北朝鮮側が意図しているであろう「風化」というものが始まらないだろうか――こうした懸念を断ち切ることができない。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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