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金与正氏が「希望か絶望か」と迫っても米韓は折れず――朝鮮半島は再び対決局面へ

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
金正恩氏と金与正氏(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 北朝鮮の金与正(キム・ヨジョン)朝鮮労働党副部長が10日、米韓合同軍事演習の事前訓練が始まったのにあわせて談話を出し、「必ず代価を支払うことになる」「自滅的な行動だ」と非難した。談話は北朝鮮の対米方針である「強対強」「善対善」原則に改めて触れ、米国側の「強」の姿勢に対処するため軍事力を強化する考えを改めて表明した。金与正氏は「委任に基づく」談話と明らかにしており、金正恩(キム・ジョンウン)総書記の判断である点を強調している。

◇米韓合同軍事演習が予定通りスタート

 北朝鮮は先月27日、韓国との間の通信連絡線を復元して対話ムードを演出した。だが、ほどなくして金与正氏が談話(8月1日)を発表して韓国側の期待感を打ち消し、米韓合同軍事演習について「希望か絶望か(を選択せよ)」との表現を使って撤回を求めていた。

 金与正氏には、米国側の対北朝鮮政策に変化があるのかを見極めるとともに、合同演習をめぐって米韓間で困難な交渉をさせ、米韓関係や韓国世論を揺さぶる狙いがあったと考えられる。

 ところが、米側の反応は鈍く、「いつでも、どこでも、前提条件なしに会談に応じるというのが我々の提案だ」「北朝鮮にかかっている」(3日・プライス米国務省報道官)などにとどまる。

 米国の識者の間でも「北朝鮮は毎年のように演習に反発している」「深刻に受け止める必要はない」「歴史的に合同演習は米朝対話の妨げにはならなかった」「合同演習の有無に関係なく、米国と韓国の対話提案を拒否したのは金正恩氏のほうだ」などの意見が強かった。

 また、韓国側では与党側で「合同演習を延期すべきだ」など、北朝鮮側への配慮を求める意見が出る一方、野党側は「金与正氏の“下命”のような要求に屈してはならない」などの反発が噴出し、対応に差が出た。

 この状況のなかで10日、米韓軍事当局は予定通り、危機管理参謀訓練(CMST)を13日までの日程で開始した。合同軍事演習の事前訓練という位置づけであり、公式の演習日程には含まれない。本訓練となる連合指揮所訓練(コンピューターシミュレーション形態)は16~26日に実施される。

◇「先制攻撃能力強化に拍車をかける」

 CMST開始を受け、金与正氏は談話で「わが国家を圧殺しようとする米国の対(北)朝鮮敵視政策の集中的な表れだ」と指摘したうえ「必ず代価を支払うことになる自滅的な行動だ」と批判した。さらに「われわれの再三の警告を無視」と非難し、「(演習により)より重大な安全保障の脅威に直面するだろう」と警告した。

 また、米国を「地域の安定と平和を破壊する張本人」と呼び、「米現政権が唱える『外交的関与』と『前提条件のない対話』は偽善にすぎない」と突き放した。

 談話は「強対強」「善対善」原則に触れ、「日増しに増大する米国の軍事的威嚇に対処するための、絶対的な抑止力、すなわち、われわれに反対するいかなる軍事的行動にも迅速に対応できる国家防衛力と、強力な先制攻撃能力をさらに強化することに一層拍車をかけるだろう」と宣言した。

 談話の終盤では韓国にも言及し「南朝鮮(韓国)当局者の背信的な行為に強い遺憾の意を表明する」と述べ、文在寅(ムン・ジェイン)政権への不満をあらわにした。

◇中国の強いバックアップ

 北朝鮮は国連制裁と新型コロナウイルス対策による国境封鎖による経済的苦境が続き、最近でも東部の咸鏡南道(ハムギョンナムド)で深刻な水害が発生し、軍部隊が動員されて道路などの復旧に当たる事態になっている。

 ただ、北朝鮮としては、金与正氏が「希望か絶望か」と迫った結果、米韓が「絶望」を選択したことになるため、軍事力強化を示す対抗措置に打って出るとみられる。同時に対抗措置を通じて、苦境が続く国内における国威発揚を図りたいという考えもあるようだ。

 国際社会で米中対立が激しさを増すなか、北朝鮮は米国との対立が深まっても、隣国・中国のバックアップを得られるという計算がある。

 中国の王毅(Wang Yi)国務委員兼外相は6日、オンラインで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)閣僚会議で北朝鮮側の立場を代弁するように「(北)朝鮮が数年間にわたり核・長距離ミサイルの実験を中止していることを考慮すると、朝鮮の合法的かつ合理的な懸念に対応する必要がある」と表明。朝鮮半島での膠着状態を打開する方法として「対朝鮮制裁を緩和し、対話と協議を再開するための前向きな雰囲気を作り出すこと」と主張した。そのうえで「米国が本当に朝鮮との対話を再開したいのであれば、緊張の激化につながるような行動を取るべきではない」として演習中止を求めていた、という経緯がある。

 北朝鮮を取り巻く情勢は再び、米国との「強対強」関係と、中朝関係の強固な結びつきを背景にして管理されることになった。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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