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アメリカとの対決よりも食糧問題――やや弱気に感じられる金正恩氏の最近の発言

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
党会議で発言する金正恩総書記=労働新聞より筆者キャプチャー

 北朝鮮の金正恩総書記は17日、バイデン米政権発足後、初めて対米戦略を明らかにし、「対話にも対決にも備える必要があり、特に対決に備えねばならない」と表明した。内部結束を図る目的で「対決」に重点を置いているものの、対話の可能性を排除せず、米国非難の文言もない。金総書記としては対外関係を安定的に管理し、食糧問題を含めて、困難に直面する国内問題に集中したい考えのようだ。

◇「朝鮮半島情勢を安定的に管理」

 北朝鮮では今月15日から、重要政策を決める朝鮮労働党中央委員会総会が開かれている。3日目(17日)の会議で、国際情勢に関する議案が討議され、その中で金総書記が対米関係に言及した。以下は朝鮮中央通信の発表に基づく。

 金総書記は「わが国家の尊厳と自主的な発展・利益を守り、平和的環境と国家の安全を頼もしく保証するためには対話にも対決にもすべて準備ができていなければならず、特に対決には、いっそう、抜かりなく準備ができていなければならない」と強調した。

 また、米中対立などを念頭に「わが国の戦略的地位と能動的役割をいっそう高め、有利な外部的環境を主動的に整えていく」「時々刻々と変わる状況に鋭敏・機敏に反応・対応し、朝鮮半島情勢を安定的に管理していくことに力を注がなければならない」と表明した。

 対米関係について、金総書記は今回、抑制的に発言しているようにみえる。

 米朝首脳会談が決裂した2019年の年末に開かれた総会では、米国を「強盗さながら」「破廉恥」などの表現で批判しながら「これまでわが人民が受けた苦痛と抑えられた発展の代価を、すべて払わせるための衝撃的な実際の行動に移る」と対決姿勢をあらわにしていた。

 その後、新型コロナウイルス感染が拡大し、国境閉鎖などによって住民生活は厳しさを増す。米国では政権交代もあり、バイデン政権発足前に開かれた党大会(今年1月)では米国を「朝鮮革命発展の基本障害物」「最大の主敵」と揶揄して「制圧し、屈服させることに焦点を合わせる」としながらも「強対強」「善対善」原則(米国が強硬姿勢なら自らも強硬姿勢で、軟化すれば自らも軟化する)に言及して対話の余地を残していた。

◇対話の余地を残す

 バイデン政権は4月下旬までに対北朝鮮政策の検討を終え、朝鮮半島の完全な非核化を目標とする▽トランプ政権でのグランドバーゲン(一括取引)やオバマ政権での戦略的忍耐(北朝鮮が非核化に向けて動くまで交渉に応じない)に重点を置かない▽調整された実践的なアプローチ(北朝鮮との外交に門戸を開き、米国や同盟国の安全を向上させるための現実的な進展を目指す)――と表明していた。

 検討を終えた後、米国側は5月初旬、北朝鮮側に「政策の検討結果について直接説明したい」と接触を打診したものの、北朝鮮側は「(打診を)受け取った」とだけ回答し、立場表明をしてこなかった。

 その後、米韓首脳会談(5月22日)、主要7カ国首脳会議(G7サミット、6月11~13日)、北大西洋条約機構(NATO)首脳会議(6月14日)の中で北朝鮮問題が触れられ、メッセージが発信された。

 G7サミットの共同宣言では「朝鮮半島の完全な非核化」「国連決議の履行」を盛り込む一方で「外交的な取り組みを続ける米国の意欲」を歓迎し、北朝鮮に対話への復帰を求めた。一方、NATO首脳が採択した共同声明では、北朝鮮が強く反発する「CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)」という表現が盛り込まれ、北朝鮮をけん制してきた。

 こうした流れのなかで、今回、金総書記が自国の立場を表明した形だ。

 内容的には原則論ではあるが、対話の余地を残している▽米国や韓国を非難する内容がない▽情勢の安定的管理を強調している――などの点から、一定程度、抑制的な発言といえる。また「対決」に言及するなかで、軍事対応に備えておくよう指示しているのは、強硬姿勢を見せるというより、内部の結束を図るというニュアンスが強いように思われる。

 ただバイデン政権が、米韓合同軍事演習の中止や制裁緩和など、北朝鮮が望む措置を取る可能性は高くない。こうした措置のないまま、北朝鮮に「対話への復帰」のみを促すような状況が続けば、金総書記は「対決」を実際の行動で示すことになる。

 北朝鮮側の立場の詳細は今後、実務陣の談話などの形で示されるとみられる。

◇「苦難の行軍」と表現するまでに

 北朝鮮では最近、食糧問題が危機感を持って語られている。

 総会初日の15日、金総書記は「農業部門が昨年の台風被害によって穀物生産計画に達しなかったことにより、現在人民の食糧状況は切迫している」「今回の総会でその解決のための積極的な対策を打ち出すべきだ」と指摘している。金総書記が公然と「食糧難」に言及するのは異例だ。

 国連食糧農業機関(FAO)の報告書によると、昨年の水害などの影響により、北朝鮮で今年約86万tの食糧が不足するとの見通しが出ている。これは食糧供給量の2カ月分に相当する。平安南道や黄海道、咸鏡道など、北朝鮮のコメ生産の6割を占める地域で収穫量が前年比25~45%減となったためだ。輸入や食糧援助がなければ、北朝鮮では今年8~10月、厳しい時期を迎える可能性がある――FAOはこう警鐘を鳴らしている。

 総会で金総書記は食糧不足の具体的状況について明かさなかったが、「昨年の農業の教訓と今年の不利な条件から全党的・全国家的な力を農業に総集中することが切実だ」と危機感を訴えていた。

 金総書記は今年4月開かれた党細胞書記(末端幹部)大会で、党組織が「苦難の行軍」に備えるよう呼びかける発言をしている。

 この「苦難の行軍」は1990年代、壊滅的な食糧危機に陥った際に掲げたスローガン。ソ連崩壊で援助が途絶えて経済が急速に悪化、数十万人が餓死したともいわれる。

 金総書記はあえてこの「苦難の行軍」という切迫感のある表現を使うことで、党幹部から末端に至るまで、危機感を持って食糧問題に対処するよう迫ったのだ。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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