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対北朝鮮ビラ禁止法批判――かつて民主主義を勝ち取った“あの国”が韓国に「いったいどういう動機?」

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
韓国の文在寅大統領(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 韓国が2020年12月、対北朝鮮ビラ散布禁止法を制定したことに対し、国内外で懸念が広がる。その中には、共産主義政権から民主化を勝ち取った中欧チェコもあり、「韓国は人権が保障された国だと信じている」と念押ししている。チェコの発信は韓国国内でも重く受け止められ、メディアも競って伝えている。

◇「南北対話の複雑さを認識」

 チェコ外務省高官(広報担当)が先月30日、対北朝鮮ビラ禁止法に関する米政府系放送ボイス・オブ・アメリカ(VOA)の取材に答えた。

 高官は「チェコ外務省は、この法律の承認についての情報を得ており、この問題に関して外交ルートを通じて韓国の代表らと意思疎通を図った」と述べ、韓国側に立法趣旨について聞き取りをしたことを明らかにした。

 そのうえで「近いうちに欧州連合(EU)内でもこの措置に関する議論が進められると想定している」との見解を示し、チェコにとどまらずEUでもこの問題が扱われるとの見通しを示した。時期や方法など詳細には言及しなかったとみられる。

 一方で「人権増進はチェコの外交政策における重要課題であり、われわれは韓国を『表現の自由を含む人権が保障され、尊重される民主的な政府を持つ国』だと認識している」と表明し、婉曲的に韓国をけん制している。

 VOAによると、チェコはこれまで、北朝鮮に対し国連の北朝鮮人権調査委員会の勧告案を受け入れるよう求めてきた。金正恩朝鮮労働党委員長の叔父の金平日氏が駐チェコ大使を務めていた時、金大使に直接、人権状況の改善を促したこともある。ワシントンのチェコ大使館では、米国の人権担当官僚と脱北者を招待してセミナーを開催してきた。こうした経緯から、チェコは旧共産圏の中で、北朝鮮の人権問題に関して主導的役割を果たしてきたといわれる。

 チェコ外務省高官は「チェコは、北朝鮮との対話を継続する韓国の努力を引き続き支援する。われわれは南北対話の複雑さを認識している。とはいえ、朝鮮半島で永続的な平和を見いだす唯一の方法は、対話なのだ。だからチェコは平壌に大使館を置く数少ない国の一つになっているわけだ」と締めくくり、対話再開に向けた努力を促した。

◇「プラハの春」「ビロード革命」

 チェコは「プラハの春」や「ビロード革命」を経て自由と民主主義を勝ち取った国であり、その精神が脈々と受け継がれている。

 第1次大戦後の1918年にチェコスロバキア共和国が成立したものの、ナチス・ドイツに解体された。第2次大戦後に共和国が復活し、1948年にはチェコスロバキア人民共和国が成立。1960年には社会主義国となり、国名も「チェコスロバキア社会主義共和国」に変更した。

 共産党の一党独裁だった1968年、党第1書記に就任したドプチェク氏が「人間の顔をした社会主義」を目指して、党と国家の分離や表現の自由を打ち出して民主化運動「プラハの春」を展開した。

 だが、ソ連(当時)が東ドイツ(同)やブルガリア、ハンガリー、ポーランドによるワルシャワ条約機構軍を動員して、民主化の動きを弾圧した。弾圧の初日だけで約50人のチェコスロバキア人が死亡したといわれる。

 ところが1980年代の終わり、隣国・東ドイツでベルリンの壁が破壊され、東側諸国の崩壊が始まる。チェコスロバキアでも1989年11月、自由選挙や検閲廃止など体制変革を求める大規模デモが繰り返された。反体制派は在野の運動組織「市民フォーラム」を結成し、共産党と交渉を繰り返した。その結果、共産党指導部は敗北を認めて政権から退き、運動を率いた劇作家のハベル氏(1936~2011)が大統領に就任した。この無血の民主化は「ビロード革命」と呼ばれる。

 言論統制は解除され、他国への移住者も多くが帰還した。1993年1月には平和裏にチェコとスロバキアに分離した。この際、ハベル氏は「血を1滴も流さずに国が分離するという壮大な実験に挑む」と語ったとされる。

◇韓国内外で批判相次ぐ

 この「対北朝鮮ビラ散布禁止法」は、金委員長の妹、金与正党第1副部長が昨年6月、韓国の脱北者団体がビラを飛ばしたことに強く反発し、南北連絡事務所の爆破など強硬姿勢を見せたことなどを受けて制定されたものだ。

 南北軍事境界線一帯でビラをまく▽北朝鮮に向けて拡声器で放送する――など「南北合意書に違反するような行為」に対し、最大で懲役3年または3000万ウォン(約280万円)以下の罰金が科せられる。

 韓国国内で、この禁止法に対する反発の声が止まらない。

 国連事務総長だった潘基文氏は「この法律は北朝鮮の要求に屈服した『反人権法』という国際社会の非難を招いている。正当な後続措置で正さなければならない。人権は内政ではなく人類普遍の価値である」と訴えている。脱北者団体なども「表現の自由の侵害」「北朝鮮の人権問題を放置している」などと主張して、法の効力停止を求める訴えを起こしている。

 国際社会でも米国、英国などで批判の声が上がっており、韓国メディアもチェコに関連したニュースとともに国際社会の懸念を伝えている。ただ韓国外務省当局者は先月31日、韓国メディアに「法律への理解を深めてもらうため、国際社会との意思疎通を図っている」と表明するにとどめている。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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