Yahoo!ニュース

台風ルートに金王朝の聖地、SLBM潜水艦の町、核実験場――次々と災害がふりかかる金正恩氏の苦悩

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
三つの台風の進路について解説する朝鮮中央テレビの番組=筆者キャプチャー

 北朝鮮は8月の大雨被害の後遺症に苦しむなか、この2週間で3度の台風に見舞われた。地方都市のインフラは極めて脆弱なため、深刻な被害をもたらした可能性がある。制裁による経済難や新型コロナウイルス感染防止に伴う移動制限に、相次ぐ自然災害が重なり、金正恩朝鮮労働党委員長が強いストレスを抱えているのは間違いない。

◇台風10号の被害の全容は不明

 北朝鮮の気象水文局は7日早朝、台風10号について「午後6時ごろに江原道沖、9時ごろには新浦(咸鏡南道)沖に至る。その後、端川(同)付近に上陸し、両江道を経て中国方面に移動する」と予想した。台風ルートには豊渓里(咸鏡北道)や三池淵(両江道)も含まれていたようだ。

北朝鮮東海岸の各地域(google earthの画像を筆者加工)
北朝鮮東海岸の各地域(google earthの画像を筆者加工)

 新浦は、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)発射実験の準備を進めていると指摘される場所だ。豊渓里には北朝鮮が核実験を繰り返してきた地下核実験場がある。三池淵は金委員長の祖父、金日成国家主席の「革命聖地」とされ、金委員長主導で都市開発が進められてきた。いずれも重要拠点だ。

 朝鮮中央テレビは同日夕、各地域からの映像を繰り返し伝えた。

 午後6時の中継映像では金策の様子が映され、「降水量130ミリ、風速12メートル」と伝えられた。激しい川の流れとともに「豪雨、強風が予想されています。安全対策の徹底を」と呼びかけていた。南東部・元山では海岸線に強い波が押し寄せ、多数の木が根こそぎ倒れている。映像を見る限り、多くの場所で街路樹がなぎ倒され、道路や農地が浸水していた。

 また金野(咸鏡南道)にある金野江軍民発電所の様子も映し出され、支配人が「安全性を維持するために事前に放水した」と話していた。

 その後、9時の新浦からのレポートでは「風も雨も弱まっている」と伝えられ、10時すぎには気象当局者が「警報は維持する」「最後まで緊張してほしい」と話していた。

 新浦や豊渓里などでどの程度の被害が出ているのか、現時点では報道はない。被害の全容が把握されるまで一定の時間がかかるとみられ、その中身が全面的に公開されるかも未知数だ。

◇台風8、9号の明暗

 台風8号(8月27日)が接近した際、中央テレビは通常シフト(午後3~10時放送)ではなく、24時間態勢を取り、台風情報をこまめに伝えた。

 金委員長も直後に被災地となった黄海南道を訪れ、予想よりも被害が小さかったと安堵したうえ「党の指示を受けて正しい危機対応意識を持ち、先を見通した安全対策を取ったことで被害を最小限に食い止めることができた」と評価した。

 台風9号(9月3日)についても中央テレビは2日午後3時から3日午後10時半まで連続で放送した。

 だが日本海側で1000世帯以上の住宅が損壊し、公共機関にも多くの被害が出て、数十人が犠牲になったとされる。党は江原道と元山市について「危険な建物を把握して住民を避難させなかったため、数十人の人命被害を出した」として責任者を厳しく処罰することを決めた。

 この時も金委員長は被災地に入り、現地で党政務局拡大会議を開いて復旧対策を話し合うという異例の対応を見せた。この時、朝鮮人民軍の朴正天総参謀長も伴っており、軍も復旧に投じる考えを示唆した。

 国営メディアは、金委員長が平壌在住の党員に向けて「首都の中核党員1万2000人を咸鏡南・北道に急派する」とする公開書簡を発表すると、翌日の1日だけで30万人以上が志願した――という話も伝え、被災住民に配慮する姿勢を前面に押し出した。

◇「被害が小さければ自身の功績、防げなければ幹部を更迭」

 北朝鮮では、国連制裁に加え、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため国内外での移動制限を厳格化しており、経済難に拍車がかかっている。8月の大雨によって、穀倉地帯である黄海道に深刻な被害が出て、食糧不足への懸念が強まっている。そこに三つの台風が重なり、大量の餓死者を出した1990年中盤の「苦難の行軍」が再び始まるのではないかとの見方も出ている。

 北朝鮮では最近、金委員長の負担を軽減するため、側近らに権限を委譲する「委任政治」が進められているようだ。「絶対権力と重要事案の最終決定権を金委員長が持つ」との前提で、側近に各分野での権限を与えるというものだ。

 党機関紙・労働新聞では、これまで金委員長や最高人民会議常任委員長に限られてきたフロントページに、朴奉珠副委員長や金徳訓首相の視察を掲載する例が出てきた。金委員長や党が主語となる時だけに使われてきた「指導」という言葉も、副委員長に対しても使用されるようになり、「委任政治」が具体的な形で表れてきている。

 この指導形式は、金委員長の責任を分散させるものだが、成果が出れば金委員長のものとされ、失敗すれば側近が責任を負うことになる。裏返せば、金委員長に責任が及ぶのを避けるための措置ともいえる。

 今回の台風についても「被害が小さい台風8号の場合は金委員長が『政治的功績』となり、被害を防げなければ『責任者更迭』となっている。これによって高級幹部に警戒心を与えているわけだ」(韓国元高官)との見方もある。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

西岡省二の最近の記事