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文政権に強い心理的打撃を与えた金与正氏――「爆破指揮」で強面に脱皮した北朝鮮王女

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
南北の非武装地帯では緊張が高まっている=2020年6月16日(写真:ロイター/アフロ)

 北朝鮮は16日午後、金正恩朝鮮労働党委員長の実妹、金与正・党第1副部長の予告通り、開城の南北共同連絡事務所を爆破した。文在寅・韓国大統領が「南北和平プロセスの代表的功績」と掲げる施設を木っ端微塵にすることで文政権に強い心理的打撃を与え、韓国の対北朝鮮政策を変更させるという意図が垣間見える。また、朝鮮半島に緊張局面を醸成して米国の出方を見極めるという狙いも見え隠れする。

◇対米メッセージ

 2度目の米朝首脳会談(昨年2月)が決裂したのち米朝対話は停滞し、初の米朝首脳会談(2018年)からも今月12日で2年が過ぎた。国連制裁に加え、新型コロナウイルス感染症対策に伴う国境封鎖により経済難が深刻化し、北朝鮮側には強い苛立ちがある。

 北朝鮮指導部には、米朝対話不発の責任を「韓国が仲介に失敗したため、2年間、動かなかった」と、韓国側に転嫁する傾向がある。韓国が対北朝鮮制裁から離脱したり、国連制裁解除に向けて米国を説得したりしなかったという点に強い不満があり、金与正氏も談話で「2年間(何も)しなかった」という用語を使っている。

 現状では、北朝鮮は米朝対話に関し、米大統領選に向かう米国内世論の流れを注視している段階で、直接交渉に乗り出す構えはない。

◇威嚇の連発

 北朝鮮は5月下旬の朝鮮労働党中央軍事委員会拡大会議や、今月4日の金与正氏の談話のあと、米韓両国を威嚇する高官の談話を連発してきた。

 12日には李善権外相が「わが(北)朝鮮の戦略的目標は、米国の長期的な軍事的脅威を管理するための、より確実な力を育てることだ」と強調。チャン・グムチョル党統一戦線部長も「北南(南北)関係は既に収拾できないところまできた」と脅威をあおった。

 13日にはクォン・ジョングン外務省米国担当局長が、韓国について「朝米(米朝)間の核問題について論じる身分ではない」と見下すと、平壌にある冷麺の老舗「玉流館」の料理長まで「(文大統領は訪朝した際、玉流館の料理を食べて韓国に)戻ってから今まで全く何もしていなかった」と言わしめるほどだった。

 一連の談話を締める形で出された13日の金与正氏の談話で「(南北共同連絡事務所が)遠からず、跡形もなく崩れる悲惨な光景を見ることになる」と予告していた。

◇金与正氏の地位向上

 今回の爆破に至る過程ではっきりしたのは、金与正氏の地位の変化だ。

 これまで党統一戦線部と朝鮮人民軍が分担してきた北朝鮮の対南事業を、既に金与正氏が党・軍の垣根をこえて統括していることが明らかになった点が一つ。

 加えて、金与正氏が4日に談話を発表して以降、北朝鮮のあらゆる機関や団体が金与正氏に対する忠誠競争を展開し、その内容が党機関紙、労働新聞に大々的に掲載されている点が注目される。

 これまでは、金日成主席や金正日総書記、金正恩委員長ら歴代最高指導者が訓示を出した際にのみ、大々的な忠誠競争が繰り広げられ、各界の反響が労働新聞に載せられてきたためだ。

 今回、金与正氏の発言を最高指導者並みに扱っていることは、金与正氏が既に「特別な地位」にあることを示唆している。韓国では既に「潜在的後継者」という表現も使われている。

 また労働新聞では、かつて金委員長の父・金正日氏が後継者として登場した際に使われた「党中央」という言葉も多用され、専門家の間に「金与正氏に『党中央』の称号が与えられた」との解釈も出ている。

◇今後も挑発は続くか

 北朝鮮は過去にも、成果を誇示するための「ショー」のように「爆破」を見せてきた。

 2008年6月、米国務省高官が見守るなか、寧辺核施設にある冷却塔を爆破した。米CNNテレビなどがその映像を報じ、北朝鮮側はこれを「非核化に向けた積極的な措置」と位置づけていた。

 2018年5月には、米朝首脳会談に先立つ非核化措置として、北東部・豊渓里にある地下核実験場の北側と南側の坑道を相次いで爆破し、その様子をメディアに公開したという先例もある。

 一方、北朝鮮側は引き続き、挑発行為に打って出る可能性が高い。

 金与正氏の13日の談話では「次の対敵行動の行使権はわが軍隊の(朝鮮人民軍)総参謀部に渡そうと思う」と宣言し、総参謀部も16日の「公開報道」で、韓国・脱北者団体のビラ散布への対抗措置として「北南合意によって非武装化された地帯に軍が再び進出し、前線を要塞化する」と予告している。これは、2018年9月の南北国防相合意を破棄する可能性に言及したもので、それを可視化するために韓国側に向けて軍事挑発する恐れがある。韓国紙・朝鮮日報によると、韓国軍は14日に南北軍事境界線近くで射撃訓練をする朝鮮人民軍の様子を捉えたとされる。

 また朝鮮日報は、元・北朝鮮駐英公使の国会議員、太永浩氏(最大野党・未来統合党)に北朝鮮が危害を加える恐れもあると伝えている。(参考資料:韓国に北朝鮮ヒットマンは潜んでいる――国会議員になった太永浩・元駐英公使の警護は首相級)

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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