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「二重の閉鎖」で北朝鮮経済にさらなる危機

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は新型コロナウイルスの感染防止を最優先政策に掲げる(写真:ロイター/アフロ)

 世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るうなか、発生地・中国に隣接する北朝鮮が「感染者なし」と主張し続けている。北朝鮮ではそもそもウイルス検査態勢が不十分なため感染状況の掌握は困難だ。また、金正恩朝鮮労働党委員長が先頭に立って感染防止を掲げているため、仮に感染が確認されても現場は処分を恐れて「なかったこと」にする可能性もある。国連制裁で人と物の行き来が滞るうえ、今回の“自主封鎖”によって「二重の閉鎖」を受けた形で、北朝鮮経済は重大な危機にさらされている。日本にとっても見過ごせない事態だ。

▽北朝鮮公式報道が伝えた当局の対応

 中国当局が世界保健機関(WHO)に「武漢で原因不明の肺炎が広がっている」と報告したのは昨年12月31日。1月7日には「新型コロナウイルス」と判明。12日には中国初の死者が確認された。

 北朝鮮の対応が始まった時期について、金亨勲保健次官は朝鮮新報(朝鮮総連機関紙)の取材に「1月13日から中国経由で入国した人を観察対象者と定め、隔離施設で監視している」と答えている。

 中国当局は同月20日、公に人から人への感染を認め、23日には武漢市が事実上封鎖状態に入った。だが北朝鮮はこの日、外務省が恒例の北朝鮮駐在外交団を招いた宴会を催している。25日には金委員長本人も1200人以上の観客の中で旧正月記念公演を観覧している。つまり、このころ北朝鮮の危機意識は高くなかったということだ。

 だが、日本で感染者が初確認(28日)されたあたりから本気度が高まる。党機関紙、労働新聞は29日、「拡大防止は国家存亡にかかわる重大な政治的問題」と打ち上げ、官製メディアは防疫当局の動きやマスク本格生産などの取り組みを大々的に報道した。ただ、保健当局者は「患者は発生していない」と繰り返し強調し、最高人民会議(国会)は2月12日、措置を徹底するため「隔離を30日間にする」と決めた。

 同月下旬には対策を話し合うための党重要会議が開かれ、金委員長は焦燥感をあらわにして「すべての通路と隙間の完全封鎖」を指示したと、29日の朝鮮中央通信が伝えている。

▽エボラの際の対応

 北朝鮮を専門とする日本の公安関係者も「北朝鮮には薬が不足しているので封じ込めしか方法はない。12月中に遮断すべきだったのに1月にずれこんだ。これは明らかに手遅れで、感染者が出ても不思議ではない。今は平壌死守が至上命題」と分析する。

 北朝鮮は、2014年に大流行したエボラ出血熱の感染対策を今回の叩き台にしているようだ。同年10月~翌年3月、外国観光客受け入れを停止し、外国から入った自国民・外国人問わず、ほぼ全員を入国後3週間の隔離とした。

 筆者は当時、北京に駐在し、北朝鮮関係者らから現地の様子を取材していた。そのメモ(14年12月~15年6月)には次のようなことが書かれてある。

《北朝鮮官僚の話》

▽金委員長が国際ニュースで「エボラで国外は深刻な事態になっている」と認識した。いったんウイルスが入れば収拾がつかなくなると判断し、「徹底して抑制しろ」という教示を出した。

▽帰国すれば病院に直行し隔離される。平壌だけで5カ所あるが、いずれも満員。党最高幹部も例外なく隔離された。

▽党中堅幹部が保健省幹部と組んで、本来は3週間の隔離が必要なのに5~10日に減じさせた。この不正が発覚して処分された。

《北朝鮮ビジネスマンの話》

▽新義州に隔離された。私には全く罪がないのに罪のあるような生活を送らされていた。旅館の風呂に入れず暖房もなく、凍え死にそうになった。

《現地で隔離された在日朝鮮人の話》

▽管理する人と話すことも許可されず、用があれば紙に書いて渡していた。精神的におかしくなりそうだったので、本を読んだり体操をしたりした。人権や財産などすべての権利よりもウイルス対策が優先されたのだ。

《北朝鮮から戻ったばかりの在日朝鮮人の話》

▽中朝国境では密貿易のため現金のやり取りをしている。彼らは命よりもドルのほうが大切と考える連中で、国際社会で何が起きているのかに関心がない。

▽そういう連中を取り締まるため、軍防疫部隊が出て、国境封鎖を担った。同部隊は戦争(細菌戦)への備えができているため、適任だ。彼らは重武装し、相手がだれであろうと従わせる。

▽仮に国境を越えて国内に入っても、平壌まではたどりつけない。平壌につながる道を当局が昼夜問わず二重三重に取り締まっているためだ。

▽今後の展開

 仮にウイルスが拡大していれば、住民らに致命的な影響が出る。そうなれば軍に波及する可能性も高い。北朝鮮の軍人は劣悪な環境で共同生活する。慢性的な食糧不足に見舞われているため、感染者が出れば、一気に広まる可能性もある。

 北朝鮮経済はただでさえも厳しい状況に置かれている。米朝対話が滞り、北朝鮮に対する国連制裁が解かれるめどは立っていない。金委員長は昨年末、制裁の長期化を前提に「制裁そのものを正面から突破し、無力化していく」という「正面突破戦」の方針を打ち立てた。ただ、これを実践するには中国への依存度を高める必要がある。中国人観光客を集めるために国内の観光地を整備し、金委員長自身も今年前半には中国を訪問して習近平中国国家主席に観光客誘致の後押しをしてもらう段取りを整えていた。こんな状況のなかで、今回の事態に見舞われたわけだ。

 中国との間の往来が塞がれるということは、石油などの必要物資や重要資材の調達に支障が出る。中国からの輸入に依存していた品目は値上がりする。外貨確保のための窓口が閉ざされ、外貨が枯渇する。国境密貿易で生計を立ててきた数多くの住民もその手段を失うことになる。

 隣国が危険モードに入ろうとしているのに、日本は北朝鮮とのパイプが途絶え、その実態を把握できないでいる。日本国内の事態が収まった次には、北朝鮮の動向にも目を向ける必要がある。北朝鮮が二重の閉鎖によってどれほどのインパクトを受けるか見通せない。外貨を得るためのサイバー攻撃を激化させる恐れもあり、情報収集と監視が不可欠となるだろう。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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