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レールとエール。「早稲田名キャプテン」のリスタート。

二宮寿朗スポーツライター
オフに母校早稲田ア式蹴球部に練習参加した岡田優希(左)と外池大亮監督(著者撮影)

 レールの上から降りてみて、初めて気づかされることがある。

 25歳のフットボーラー、岡田優希が乗ってきたレールは、紆余曲折を経ながらも己が目指すべきところに向かっていた。

 川崎フロンターレのアカデミー時代には世代別の日本代表に呼ばれた経験があり、早稲田大学ア式蹴球部ではキャプテンを務めて相馬勇紀(名古屋グランパス)、小島亨介(アルビレックス新潟)らとともに関東大学リーグ1部を制覇。テクニックのあるアタッカーは町田ゼルビアに入団してJリーガーとなり、3年間でリーグ戦83試合に出場してきた。町田で活躍できたとは言い難いものの、それでも与えられたミッションをこなしてきた自負はあった。

 契約満了を告げられ、そのレールの上から降りなければならなくなった。

 落胆はなかった。その先にあったはずの「欧州挑戦」のレールを、自分からつくればいいだけのこと。そう考えて彼は単身、ドイツへと渡った。コロナ禍の緊縮財政もあってセレクションの受け入れ先が難航するなか、4部に所属するあるクラブから声が掛かった。練習に参加して「実力は申し分ない」と獲得を検討されながらもプロ契約には至らなかった。

 結果に対しての失望はなかった。

 むしろレールの目的地が何故「欧州挑戦」なのか、そこに向き合う必要があると思えたからだ。

 フロンターレのアカデミーの同期である板倉滉、三好康児らは海外に渡り、日本代表でもプレーするようになった。自分も欧州で勝負したい。その思いがどこか先行していた。

 ドイツのピッチに足を踏み入れて分かったのは、「果てしなく現実がある」ことだった。

 岡田は言う。

「グラウンドは粘土質で、スパイクをポイントにしても滑る。こだわってやってきた〝止めて、蹴る〟なんて言っていられない。彼らは何よりもゴールに喜びを感じているからボールを持っても幅を取らないで、ゴールに対して直線的にアプローチする。ここ(ドイツ)に来たらサッカー的に何か違う感覚に触れられるかなと思ったんですけど、そういうわけではなかった。ドイツの環境と文化によって、こういうサッカーが生まれているんだなと感じることはできた。楽しかったですよ。ただ夢から覚めて、もっと現実に向き合わなきゃいけないんじゃないかって思うようになったんです」

「欧州挑戦」の入り口に立てないのならば、現役引退も考えていた。これまで頭にあったのはレールの先のことばかり。一度降りたことで自分が乗ってきたレール自体をマジマジと眺めてみることができた。

 何のために自分はサッカーをしているのか、誰に支えられているのか。

「人生観が少し変わった気がしました。支えてもらっているのは家族、彼女、そしてお世話になっている人たち。そういう人たちの尽力があって、僕はここまでサッカーをやってくることができているんだ、と。やっぱり自分が活躍することで喜んでもらいたい。本物の覚悟が自分は足りていないと感じました。ドイツに行ってみて、これまでの経歴なんて関係なかった。この身一つで何かを成していこうとする選手のなかに入ったことでいろいろと考えさせられました。みんな自分はこういうプレーヤーなんだと表現していた。でも僕自身はどうだったのか」

 本物の覚悟。

 欧州挑戦うんぬんより、プロとして大事なものを備えていなかった。いや、備えていたつもりではあったが、十分ではなかった。ドイツ4部のピッチがそれを教えてくれた。町田では中盤もサイドバックもこなしてユーティリティを一つの売りとした。しかしアタッカーながら3年間でリーグ戦4得点にとどまった。

「自分でとんがれる部分があるはずなのに、そこに対するこだわりを持てていなかった」

 レールの上から降りてみて、いろんなことが分かった。整理できた。ああ、もっとサッカーをやりたいと思うようになった。

町田では3年間でJ2リーグ83試合に出場した岡田優希
町田では3年間でJ2リーグ83試合に出場した岡田優希写真:西村尚己/アフロスポーツ

 あるとき、彼の姿は東京・東伏見にある母校・早稲田大学のグラウンドにあった。ア式蹴球部の後輩たちと一緒になって汗を流していた。

 温かい目を向けていたのが元Jリーガーの外池大亮監督である。監督就任1年目の2018年シーズンにおいて、キャプテンとしてチームを引っ張ったのが岡田だった。

 シーズン前の長崎合宿において、外池にとって忘れられない〝事件〟があった。練習試合でキャプテン自ら「独りよがりなプレー」を続けてゲームプランを崩してしまい、4年生全体の話し合いによって岡田はしばらく試合に出ないことになった。雑用係に回ったキャプテンは己の非を認め、雑用係から始めてチームメイトの信頼を回復させた。

 何のために自分はキャプテンをやっているのか、誰に支えられているのか。岡田は考えた。自分のため、ではなかった。そう、みんなのため――。

 リーグ戦で15得点を挙げて得点王に輝き、関東大学リーグ2部から1部に昇格した初年度に優勝を果たす原動力となった。チームを束ね、新しい部訓「日本をリードする存在になる」をつくった岡田を「名キャプテンだった」と外池は評す。

 失敗を糧にできる力がある。自分を見つめ直す力がある。誰よりもそのことを理解している。

「町田でのプレーは僕もよく見ましたし、確かにとんがれていないなと感じました。プロってとんがりボーイの集まりみたいなものですからね(笑)。早稲田ア式蹴球部出身の選手は、大卒選手としてどこか理解力があって、うまくチームのやり方に合わせていけるというイメージが昔から勝手についているのか、僕もJリーガー時代にそこを期待されたし、苦しみました。ベルマーレ平塚(現在は湘南ベルマーレ)に入団したのに全然、試合に出られない。そこで絶対にとんがろうと覚悟を決めて金髪にしたら、試合でも活躍できるようになった。岡田も、そのような気持ちなんじゃないですかね。今は、とてもいい顔をしていますよ。プロとしての本物の覚悟が決まったなら、むしろこれからが楽しみです」

 外池はその後、横浜F・マリノスをはじめ多くのクラブを渡り歩き、多くのポジションをこなした。そして多くのサポーターに愛された。引退してからは電通マンとなってビジネスの世界に飛び込み、現在はスカパーJSATグループでテレビマン、そして母校の監督と、自分がやりたいようにレールを敷いてきた。

 レールの上に乗っかっていただけでは、自分の本心が見えにくい。降りてみたから、はっきり見えた。もし目的地が違っていたとしたら、またレールをつないでいいだけのこと。

 外池が言うように、今の岡田は吹っ切れた「いい顔」をしている。

「与えられたものをこなすのはプロとしての一つの側面ですけど、それ以上に自分からつながりを生み出していく姿勢が大事なんだなって。外池さんがまさにそうなので」

 ハリのある声が弾んだ。

 新天地が決まった。

 フロンターレのアカデミー時代に受けていた高﨑康嗣監督が指揮を執るテゲバジャーロ宮崎への入団がクラブから発表された。3月13日にはヴァンラーレ八戸とJ3開幕戦をホームで迎える。

 岡田優希の新たなレール。

 本物の覚悟を持って、とんがって、新たな目的地までつないでいく。

スポーツライター

1972年、愛媛県出身。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、2006年に退社。文藝春秋社「Sports Graphic Number」編集部を経て独立。著書に「岡田武史というリーダー」(ベスト新書)「闘争人~松田直樹物語」「松田直樹を忘れない」(ともに三栄書房)「サッカー日本代表勝つ準備」(共著、実業之日本社)「中村俊輔サッカー覚書」(共著、文藝春秋)「鉄人の思考法」(集英社)「ベイスターズ再建録」(双葉社)がある。近著に「我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語」。スポーツメディア「SPOAL」(スポール)編集長。

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