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西浦教授からのリプライに対するコメント

中田大悟独立行政法人経済産業研究所 上席研究員
(写真:アフロ)

議論の経緯

京都大学大学院医学研究科の西浦教授がJournal of Clinical Medicineに公表された学術論文Anzai and Nishiura (2021), “`Go To Travel’ Campaign and Travel-Associated Coronavirus Disease 2019 Cases: A Descriptive Analysis, July–August 2020” (以下、安齋・西浦論文)が、各種メディアで大きくとりあげられ、「昨年7月22日に始まった政府の観光支援事業「GoToトラベル」の後に、旅行に関連する新型コロナウイルス感染者が最大6~7倍増加した」とセンセーショナルに報じられました。

筆者も、GoToトラベルが新型コロナ感染に与える影響については少なからず関心を持っており、さっそく安齋・西浦論文を拝読したところ、はたして論文での分析がGoToトラベルが感染拡大に与えた影響を捉えているのかという疑問を持ち、SNS上ではありましたが、その旨を書き記しました。

また期せずして、明治大学の飯田泰之先生が「西浦教授によるGoTo論文の解説と批判」というコラムをnoteに公開され、私とほぼ同じ疑問を提示されました。

これに対して、論文執筆者である西浦先生ご自身が、医学専門メディアであるm3.comに、私と飯田先生の疑問に対する長文のリプライを執筆、掲載していただきました。このリプライは、現在、Yahoo!Japanにも転載され、広く読めるようになっています。ご多忙の中、あえて筆をとられて、議論にお付き合いいただいた西浦先生に、何より感謝申し上げたいと思います。

議論の詳細は、説明すると長くなりますから、上記のリンク先や原論文を参考にしていただくとして、以下では、西浦先生からのリプライに対しての再コメントと、雑感を記しておきたいと思います。

エビデンスレベルについて

安齋・西浦論文で、最初に驚いたのは、分析が観察データのシンプルな比率を提示しているだけだった点ですが、このことについては西浦先生から説明がありました。要すれば、疫学では、因果関係の詳細な分析に踏み込む前段階の、イントロダクション的な記述分析のみを提示する端緒的研究の論文があり、安齋・西浦論文はそれに他ならないということです。このような慣習は、経済学には無い文化(経済学の場合、論文は相当にself-containedであることが求められます)なので、なるほど他の分野にはそういう論文が存在するのかということが知れたことは素直に勉強になりました。これはどちらの分野のやり方が正しいかということではないと思います。

いずれにせよ、そういう位置づけの論文であるので、分析結果が示すエビデンスレベルはかなり低く、これを以てGoToトラベルと感染拡大の因果関係を実証する、というものではないことは、論文中にも記載されており、以下の私のコメントもそういう前提で考えています。

プレトレンドを考慮するとどうなるか

安齋・西浦論文の分析の対象となっている都道府県は、秋田県、青森県、愛媛県、福井県、群馬県、岩手県、香川県、鹿児島県、高知県、熊本県、三重県、長野県、新潟県、大分県、岡山県、佐賀県、滋賀県、島根県、静岡県、栃木県、徳島県、山形県、山口県、山梨県の24県とのことであり、これらは、GoToトラベル開始前後において感染拡大していなかった地域群です。しかるに、安齋・西浦論文の主張は、これらの地域で、GoToトラベル開始直後に感染者が急速に増えたのだから、これはGoToトラベル要因の感染拡大をみなせるのではないか、というものです。

安齋・西浦論文ではこのことを次のように示しています。まず、論文付表から、各期(period 1a, 1b, 2, 3)の1日あたり感染者数を計算します。それが次の表1です。

表1 安齋・西浦論文における1日あたり感染者数
表1 安齋・西浦論文における1日あたり感染者数

そのうえで、GoToトラベル開始前のperiod 1aないしは1bを基準(分母)にして、各期の1日あたり感染者数の比率をとったものが、次の表2、表3です。

表2 安齋・西浦論文におけるperiod 1aをベースとしたIRR
表2 安齋・西浦論文におけるperiod 1aをベースとしたIRR

表3 安齋・西浦論文におけるperiod 1bをベースとしたIRR
表3 安齋・西浦論文におけるperiod 1bをベースとしたIRR

安齋・西浦論文が着目するのは、これらの比率のうち、period 2の旅行関連感染者数が1.44から3.31となっていることです。これまで感染がみられなかった地域で、GoToトラベル開始直後に感染者数が跳ね上がっているようにみえることは、GoToトラベルの影響を示唆するのではないか、という問題意識です。

ここで、旅行関連だけでなく、非旅行関連の数も増えているのではないかという疑問は、直後にふれるとして、今、着目したいのは、本当にGoToトラベル前後だけの関係なのかという点です。論文で示されている期間区分(period)では重複があるので厳密には判別できませんが、period 1aと1bを比較すると、2倍程度に増えています。1aは6/22からという1bよりも少し前からのカウント数ですから、この比較は、非感染拡大地域においても、6月後半から7月中旬までの間の感染者数は拡大基調だったのではないかと推測できます。

とすると、7/22以降の感染拡大は、その過去の傾向を引っ張っている部分があり、この比率(1.44から3.31)を以て、GoToトラベルの影響部分とみなすのは、無理があるのではないか、とも思えます。このように、なにかイベントが起きた前後の変化を検証する場合、プレトレンド(イベント以前の傾向性)を明示しておくのは、論証を補強するためには重要なことであろうと思います。

非旅行関連感染も拡大している理由

私や飯田先生からの疑問のひとつは、GoToトラベル開始直後のperiod 2において、非旅行関連感染者も同規模で拡大しているのだから、旅行関連の数をだけで判断するのは危険ではないか、というものでした。

これに対して、西浦先生は、それまで感染者がほとんど出ていなかった地域で感染者が増えたのは、旅行によるウィルスの持ち込みがあったからではないか、という仮説を提示されています。つまりウィルスの持ち込みが域内感染を引き起こしている可能性です。私も(そしておそらく飯田先生も)、旅行がウィルスの持ち込みを起こさないとは思いませんし、この時期、おそらくそういうことはあったであろうと考えています。ただ、示されている感染者の比率がそれを直接的に示しているのかというと、それは少し難しいのではないか、とも思います。

安齋・西浦論文では、period 2をGoToトラベル開始直後の5日間に設定しています。西浦先生によれば、他の要因が混在しないGoToトラベルの影響をなるべくクリアにみるためには、GoToトラベル開始直後に限定したほうが良いという判断をされたようです。ただ、そうすると、この5日間というのは短すぎのではないかという疑問がわきます。この点については、医学の専門知識が必要になるので、推測混じりのコメントとなりますが、この5日間の間、特に連休中に感染したとして(旅行者であれば帰ってきて)、それが他者に感染させることが可能になり、その地域の旅行に関わりない人も感染した、という伝播が起こらねばならないわけです。その意味で、5日では少し短すぎるのではないかとも思います。むしろ、前述のプレトレンドを引っ張っている現象ではないか、とも思えてしまうわけです(これもまた断定はできませんが)。

Period 3の解釈について

つづいて、私や飯田先生が提示した、GoToトラベルが始まった後の8月(論文中のperiod 3)には逆に感染者数が減っていることへの疑問に対する西浦先生のコメントは、この時期、東京、大阪などの大都市部では外出自粛要請や営業自粛要請があったことによる行動変容、そして域内での感染伝播の継続というダイナミクスがあったのではないか、というものです。

これについては、そのような推測(guess)は可能性としてはありえるかもしれないが、分析がそれを直接にサポートしているわけではないことに注意が必要だと思います。むしろ、この時期は、全国的に旅行者数が増加傾向になっており、その中であっても旅行関連感染が減っていることは、疑問として残ります。もし、大都市部での感染抑制策の効果をコントロールすれば、旅行者の増加は感染拡大に有意な影響を与えないとも解釈できてしまいます。

また、この時期における大都市部の感染制御が、そこまで変化をもたらすほどに強いものだったのかという検証も必要かもしれません。むしろ、ほどほどの制御で新規感染者数が落ち着いてしまったことが、後の第三波の拡大につながった可能性もあるからです。

ただし、西浦先生も指摘する通り、分析の期間を長く取れば取るほど、さまざまな要因、現象が混在してくるため、この期間の分析については難易度が増していきます。また、安齋・西浦論文の分析のフォーカスはこの期間にはないとすれば、より厳密に、period 2の分析の正当性が問われるべきなのかもしれません。

学術論文をとりあつかうメディアの責任について

さて、最後に、安齋・西浦論文へのコメントとは別に、この議論のきっかけとなったマスメディアの報道について考えてみたいと思います。

最初に述べたように、安齋・西浦論文が公表されてから、国内のメディアが一斉に、しかもかなり大きく、論文の内容を報じ始めました。西浦先生は我が国における新型コロナ感染対策のキーパーソンですから、その研究動向に注目が集まるのは当然だと思います。

しかし、どれだけの記者や制作者が、実際に論文を読んだり、当該分野や隣接分野の研究者の助言を求めたりしたのかは、甚だ疑問です。西浦先生も指摘されるように、安齋・西浦論文は、これから続くであろう一連の研究のイントロのように位置づけられているものであり、高度なエビデンスレベルの分析結果を提示するものではありませんでした。その意味で、メディアによる研究の取り扱い方には、些かバランスを欠いたところがあったのではないかと思うのです。

現在、政権による感染症対策には非常に強い批判が寄せられています。このような政治状況の中で、メディアの方には、政権批判のピースとして西浦先生の研究に注目したところがあったのではないか、というと邪推でしょうか。自然科学であれ、社会科学であれ、科学的な議論は相互の批判や反論の蓄積で進展していきます。誰の研究だから、という理由で飛びつくのではなく、議論の全体を俯瞰して、その個別の研究の意義を見出すことがとても重要です。今後、メディア内部に学術研究に対するリテラシーの高い人材がさら増えていけば、このような問題も少なくなり、学術と報道のコミュニケーションがよりスムーズになっていくのではないかと期待しています。

独立行政法人経済産業研究所 上席研究員

1973年愛媛県生れ。横浜国立大学大学院国際社会科学研究科単位取得退学、博士(経済学)。専門は、公共経済学、財政学、社会保障の経済分析。主な著書・論文に「都道府県別医療費の長期推計」(2013、季刊社会保障研究)、「少子高齢化、ライフサイクルと公的年金財政」(2010、季刊社会保障研究、共著)、「長寿高齢化と年金財政--OLGモデルと年金数理モデルを用いた分析」(2010、『社会保障の計量モデル分析』所収、東京大学出版会、共著)など。

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