Yahoo!ニュース

米下院、『財政責任法』を可決:「債務上限引上げ」と「デフォルト」を巡る騒動の“本当の勝者”は誰か

中岡望ジャーナリスト
財政責任法の下院通過を受け、勝利の笑顔のマッカーシー議長(写真:ロイター/アフロ)

多数の共和党議員の支持を得て、大差で『財政責任法』が下院を通過

 5月31日、バイデン大統領とマッカーシー下院議長の合意に基づいて、債務上限引上げと共和党が要求する歳出削減を盛り込んだ「財政責任法」が下院を通過した。賛成は314票、反対は117票であった。賛成票の党派別の内訳は、共和党の149票と民主党の165票であった。反対票は共和党の71票、民主党の46票であった。票決前、共和党右派は激しい抵抗を示していたが、過半数の218票を大きく超える賛成票を得て、法案は可決された。共和党議員222人のうち149人が賛成に回った。民主党議員の46名が反対票を投じたのは意外であった。ちなみに共和党議員2名と民主党議員1名は棄権した。右派の共和党議員は修正案を提出したり、マッカーシー議長の解任動議を提出すると息巻いていたが、大きな混乱を招くことなく、「財政責任法」は与党野党の支持を得て“超党派”で可決された。

 だが、まだ同法は議会で成立したわけではない。法案は上院に送付され、可決されなければならない。イエレン財務長官が財務省の資金が払底すると指摘した6月5日(月曜日)までに上院で同法を可決する必要がある。上院の議席は民主党51議席、共和党49議席である。上院共和党議員の中には、「いかなる手段を用いても法案成立を阻止する」と主張する議員もいる。また民主党リベラル派にもバイデン大統領が妥協したことに反対する議員もいる。ただ、デフォルトの危機を前にして、党派的利益を主張するのは難しい。どんなことがあっても、月曜日までに可決しなければならない。上院議員にとって多忙な週末になるだろう。

 下院で法案が可決されたことを受け、マッカーシー議長はツイッターで「下院共和党が団結したことでバイデン大統領は私と交渉をせざるをえなくなった。今夜、財政責任法が成立したことは正しい方向に向かう重要な一歩である。次は上院が遅滞なく、同法を可決する番である」とツイッターで発信している。また、バイデン大統領も「今夜、下院は史上初のデフォルトを防ぎ、苦労して手に入れた、歴史的な経済回復を守るために極めて重要な一歩を踏み出した。私は、事態を打開する唯一の道は、両党の支持を得ることができる超党派の妥協であると信じてきた。この合意は、そのテストに合格した。私は、上院が速やかに同法を可決することを要求する。そうすれば、私は法案に署名することができる。我が国の経済は世界で最も力強い経済を構築し続けることができる」と、ツイッターで発信した。

共和党右派強硬派の戦略は失敗に終わった

 昨年11月の中間選挙で下院の過半数を獲得した共和党右派勢力は、選挙直後から債務上限問題を“武器”として使い、バイデン政権に歳出削減を迫ると公言していた。2023年1月にイエレン長官がマッカーシー議長に債務上限の引き上げを要請する書簡を送り、債務上限の引き上げが実現しないとアメリカはデフォルト(債務不履行)に陥ると警告した。バイデン大統領は、債務上限引上げ問題は下院が処理すべき問題であり、政府の問題ではないと共和党との交渉を拒否し続けた。メディアは「デフォルト問題」を取り上げ、センセーショナルな報道を繰り返した。市場も大きく反応した。不安が高まる中、5月22日、広島で開催されたG7サミットに出席したバイデン大統領は、サミット後の外交日程をすべてキャンセルし、急遽ワシントンに戻り、22日にマッカーシー議長と会談を行い、「合意」に達した。バイデン大統領は会談後、「原則的に合意した」、「私は楽観的だ」と、会談の印象を語っていた。だが、多くの関係者は「まだ両者の間には大きなギャップがある」と慎重な姿勢を示していた。

 週末、両者のスタッフの間で調整が行われ、合意の内容を織り込んだ「財政責任法」が作成された。議会はメモリアル・デー(戦没者記念日)の休会に入っており、多くの議員がワシントンを離れ、選挙区に戻っていた。その間隙を縫って、バイデン大統領とマッカーシー議長の交渉が行われ、一気に法案が作成された。多くの議員は合意の内容や法案の詳細を検討する余裕も与えられなかった。バイデン大統領とマッカーシー議長の作戦の勝利であった。

 共和党強硬派は、下院総会で採決日程を決める権限がある下院規制委員会で法案の票決の阻止を図ったり、下院総会で修正案を提出したり、議長解任動議の提出など法案成立を阻止すると主張していた。29日、バイデン大統領とマッカーシー議長の交渉に関わり、法案作成者の一人である共和党のパトリック・ヘンリー議員が下院に「財政責任法案」を提出した。規制委員会で強硬派議員の反対にも拘わらず、法案は委員会で承認され、総会での採決に掛けられた。ちなみにアメリカ議会は議員立法が原則で、政府に法案提出権はない。すべての法案は議員が提出しなければならない。

“最大の勝者”はマッカーシー議長である

 下院での「財政責任法」の成立は、マッカーシー議長の“大きな勝利”を意味している。共和党は下院の過半数を占めているが、政府と上院は民主党が支配している。共和党は党の政策を実現するのには極めて困難な状況に置かれている。下院で共和党の法案を通しても、上院で否決される可能性が強い。バイデン政権も共和党と妥協する姿勢を見せていない。共和党強硬派は、デフォルトも辞さないほど強硬姿勢を取り続けていた。ただ、もしデフォルトが現実のものになれば、真っ先にマッカーシー議長は責任を問われることになる。

 バイデン大統領は交渉を行う気はなかった。3月28日、バイデン大統領は、マッカーシー議長から会談の要請があったが拒否している。マッカーシー議長にとって、状況を打開するためには、バイデン大統領を交渉の席につかせる必要があった。ヘンリー議員は「ホワイトハウスはマッカーシー議長を過小評価していた」と、交渉に関わった印象を語っている。共和党のギャレット・グレーブス議員も「ホワイトハウスは、この問題でマッカーシー議長を読み違えていた。議長は私が一緒に働いた中で最高の戦略家である」と語っている。バイデン大統領に交渉に応じさせ、原則的に合意にこぎつけたのは、マッカーシー議長の最大の勝利であった。デフォルトという差し迫った危機的状況を前に、両者は歩み寄らざるを得なかった。会談の後、バイデン大統領は「マッカーシー議長は信頼を持って私と交渉した。彼は約束を守る人物だ。議長は自分のできる子をと言った。そしてできることを行った」と、マッカーシー議長に対する尊敬の気持ちを語っている。マッカーシー議長がバイデン大統領の信頼を勝ち得たことが、合意につながったといえる。

 もう一つのマッカーシー議長の勝利は、149名の共和党議員が「財政責任法」に賛成票を投じたことだ。この数は想定を上回った。法案成立には民主党の支持が不可欠である。同時に何人の共和党議員が賛成するかが、法案の命運を決めることになる。もし共和党議員の過半数が反対し、民主党議員の支援を得て、法案が成立する事態になれば、共和党内でのマッカーシー議長に対する批判は強まっただろう。党内でのマッカーシー議長の指導力が失われることになる。結果的に、同議長は穏健派の共和党議員の動員に成功し、過半数以上の共和党議員が賛成に回り、議長は党内の基盤を強化したともいえる。

 下院総会で投票が行われる前日の31日、マッカーシー議長は「私は歴史を作りたかった。今までのどの議会もできなかったようなことをしたかった。文字通り、私たちは船の方向を転換させようとしている。(財政責任法によって)初めて歳出が前年の額を下回ることになる」と、自分が成し遂げた成果を誇った。共和党のアングスト・プフルーガー下院議員は「マッカーシー議長は決意を示した」と語っている。マッカーシー議長は、院内総務の職にあった2021年1月にトランプ前大統領を批判したことがあった。それがトランプ前大統領の逆鱗に触れ、恐れをなしたマッカーシー院内総務は謝罪するためにフロリダのトランプ私邸を訪ねたことがあった。そうした軟弱さは、今回、すっかり消え、戦略家としての逞しさが垣間見られた。共和党のケビン・クラマー上院議員は「マッカーシー議長を批判する人は間違っている。彼は得られるもの全てを手に入れた。それは驚くべき成果だ」と語っている。またパトリック・マクヘンリー議員は「マッカーシー議長の党内の地位は以前より強くなった」と高い評価を与えている。

保守派議員はマッカーシー議長の「解任動議」を提出する構え

 ただ同時に、これからマッカーシー議長は”代価”も払わなければならなくなるだろう。議長の共和党内での地盤は決して強いとは言えない。共和党強硬派は「マッカーシー議長はホワイトハウスに踊らされた」と、議長批判を展開している。財政均衡を主張する共和党右派グループの「フリーダム・コーカス」のリーダーであるチップ・ロイ議員は「マッカーシー議長に対する信頼を失った」と公然と議長批判をツイッターで呟いている。

 議長選挙の際、「フリーダム・コーカス」のメンバーが反対したため、マッカーシー院内総務(当時)は選挙で過半数を獲得できず、選挙は15回繰り返された。最終的にマッカーシー院内総務は強硬派に大幅な譲歩をすることで議長に選出された経緯がある。

 「フリーダム・コーカス」に属すダン・ビショップ議員は「保守派の議員は法案に十分な歳出削減が盛り込まれていないことで怒っている。マッカーシー議長が共和党の反抗に直面する可能性は高まっている。一人の議員でも議長解任動議を提出できる」とし、今後、議長解任動議が提出される可能性を示唆している。同議員は30日にマッカーシー議長の解任動議を提出すべきだと公然と主張した。ケン・バック議員も31日に「マッカーシー議長は解任動議が提出されることを心配すべきである」と語っている。共和党議員の71名が法案に反対した事実も無視できない。「フリーダム・コーカス」のアンデフィ・ビッグス議員は「今やマッカーシー議長の同盟者は民主党である」と、冷ややかな発言をしている。

 こうした共和党保守派の動きに対して、マッカーシー議長は「議長職を失うことは恐れていない」と、保守強硬派議員の“脅し”を退けている。同じ保守強硬派議員のなかにもマッカーシー議長容認派はいる。「フリーダム・コーカス」の設立者の一人であるジム・ジョーダン議員は「議長解任動議は酷いアイデアである」と、マッカーシー議長の容認に回っている。また、共和党議員の67%以上の149人の議員が法案に賛成したことで、保守強硬派は議長解任動議が出しにくくなったといえる。

 ただ、実際に議長解任動議が提出されれば、マッカーシー議長の党内における地位が揺らぐ可能性もある。過去に議長解任動議が出されたことがある。1997年にニュート・ギングリッチ議長に対する解任動議が提出されたが、否決されている。だが、解任動議でギングリッチ議長は党内の支持基盤を失った。さらに2015年にジョン・ベイナー議長に対する解任動議が出されている。動議は否決されたが、その結果、同議長は党内の指導力を失い、数カ月後に議長を辞任し、政界から引退している。今回の“騒動”によって、共和党内の力関係が変わる可能性がある。そうした事態が繰り返される可能性は否定できない

【追記】6月1日、米上院は法案を可決した。賛成票63票、反対票36票で、共和党で反対票を投じたのは31名、民主党で5名。民主党のリベラル派のエリザベス・ウォーレン議員、ベニー・サンダース議員が反対票を投じている。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

中岡望の最近の記事