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債務上限問題の顛末:民主党と共和党から批判が出るバイデン大統領とマッカーシー下院議長の合意

中岡望ジャーナリスト
債務上限問題で記者会見するバイデン大統領(写真:ロイター/アフロ)

「債務上限引上げ問題」の経緯

 政府は巨額の歳出を賄うだけの歳入がないのが普通である。アメリカ政府も例外ではない。常に巨額の財政赤字を計上している。不足する資金は国債(アメリカでは財務省証券)を発行して調達する。アメリカでは財務省が発行できる財務省証券の上限が設定されている。それが「債務上限」と呼ばれている。債務上限は議会によって設定される。歳出は既に決まって予算に基づいて行われる。債務上限に達した財務省は議会に上限の引き上げを求める。極めて普通に行われる手続きである。債務上限の引き上げが認められないと、政府は公務員の給料や社会保険や医療保険の給付ができなくなる。財務省証券の利払いも滞る可能性もでてくる。そうした事態になれば、財務省証券はデフォルト(債務不履行)となり、アメリカ政府の信用は失墜し、経済も混乱する。

 1月13日、イエレン財務長官はマッカーシー下院議長に宛てに書簡を送り、既に債務上限に達したこと、当面は特別措置で資金繰りを付けるが、そうした対応には限界があると指摘し、債務上限の引き上げを要請した。さらに同長官は5月22日にもマッカーシー議長に書簡を送り、「議会が債務上限の引き上げを認めなければ、6月の初め、早ければ6月1日にも財務省は政府債務の支払いができなくなる」と、債務上限の引き上げを再び要請した。メディアは「アメリカ政府がデフォルトに陥る」とセンセーショナルな報道を行った。

 バイデン大統領は広島で開催されたG7サミットに参加したが、サミット後の外交日程を急遽変更してワシントンに帰り、22日、マッカーシー議長と債務上限引上げ問題に関する協議を行った。共和党は福祉予算の削減を要求、民主党とは富裕層の増税や防衛費の削減を要求し、会談は合意に至らなかった。その後、イエレン長官は、財務省の資金が枯渇するのは6月5日だと見通しを修正する発言を行い、短時間ではあるが時間的余裕が生まれた。そんな中、格付け会社フィツチが5月24日に長期財務省証券の格付けをデフォルトの可能性がある「ウオッチ・ネガティブ」にすると発表した。金融市場は動揺し、市場では株価下落や金利上昇の兆候が見られた。

 22日の交渉の後もバイデン大統領とマッカーシー議長のスタッフの交渉は続けられた。議会はメモリアル・デー(戦没将兵記念日)の休会に入り、議員たちは選挙区に戻った。危機感が高まるなか、27日の土曜日、バイデン大統領とマッカーシー議長の電話会談が行われた。会談後、バイデン大統領はツイッターに声明文をアップした。

 声明には次のように書かれていた。「今日午後の早い時間、マッカーシー議長と私は原則的に予算案に関して合意に達した。これは、歳出を削減する一方で、働く人々とすべての人々にとって重要な政策を守る重要な一歩である。この合意は私と民主党の重要な政策と立法の成果を守るものである。合意は妥協であり、誰もが自分が欲しいもののすべてを手に入れることではないことを意味している。それが統治することの責任である。この合意はアメリカ人にとって良いニュースである。なぜなら、壊滅的なデフォルトやリセッション、退職者の年金勘定の破壊、失業の発生をもたらす可能性のある事態を阻止できるからである。日曜日に私の交渉チームは最終的な法案を作成し、合意は下院と上院に提案される。私は、両院がただちに合意案を可決するように強く要請する」。

 バイデン大統領は共和党が主張する歳出削減を飲むことを条件に債務上限引き上げを下院に認めることを求めたのである。アメリカの新会計年度は10月1日から始まる。議会では現在予算審議が行われている。今回のバイデン大統領とマッカーシー議長の間で取り交わされた「合意」は、最終的に議会の予算案に反映されることになる。ただ、現時点では、強硬派の共和党議員とリベラル派の民主党議員が同意するかどうか不明である。今後問われるのは、バイデン大統領が民主党議員をどこまで納得させることができるのか、同様にマッカーシー議長が共和党議員をどこまで掌握できるのかである。

政治化された「債務上限引上げ問題」

 債務上限引上げ問題は基本的にはテクニカルな問題である。予算執行のための資金が不足した場合、財務省が財務省証券を発行して資金調達をする。既に決まっている政策を執行するために取られる措置である。1960年以降、議会は債務上限額を78回引き上げている。そのうち49回は共和党政権下で、29回は民主党政権下で引き上げられた。きわめて事務的に行われてきた。これが重大な政治問題となったのは、2011年のオバマ政権の時である。その時も共和党は債務上限額の引き上げを拒否し、歳出の削減を要求した。交渉は難航を極め、今回と同様に格付け会社スタンダード&プア―ズが財務省証券の格付けを引き下げている。今回の騒動は、ある意味では2011年の騒動の再現であった。

 今回の事態は、昨年11月に行われた中間選挙から始まった。中間選挙で共和党は下院の過半数を獲得した。共和党は9議席増の222議席、民主党は213議席を獲得した。共和党が下院の過半数を獲得したことを受け、財政保守派の共和党議員は債務上限の引上げ問題を梃にバイデン政権に歳出削減を求める戦略を取る意向を明らかにしていた。トランプ前大統領も、債務上限問題を「政治化」するよう挑発的な発言を繰り返していた。トランプ前大統領が大きな影響力を持つ極右で財政保守主義者の議員集団「フリーダム・コーカス」はバイデン政権の福祉関係の予算削減などを要求していた。

 通常、多数派の党の下院院内総務が自動的に下院議長に選出されるが、「フリーダム・コーカス」所属の議員がマッカーシー議員の議長選出に反対し、下院では議長選挙が15回行われ、マッカーシー議員が議長に選出された。その際、マッカーシー議長は「フリーダム・コーカス」所属の議員に対して議会運営や政策面で大幅な譲歩を行っている。その結果、マッカーシー議長は「フリーダム・コーカス」派の主張を無視できず、本来なら対立の調整的な役割を果たすべき下院議長が共和党の保守派議員に与する状況にあった。

 債務上限の引き上げが認められなければ、政府は様々な支払いができなくなる。公務員の給料の支払いや年金などの社会保障給付も滞る。政府機関の閉鎖も避けられない。財務省証券の利払いができなくなれば、デフォルトという事態も起こり、アメリカの信用は失墜し、株価暴落、金利上昇という事態も起こりうる。だが、バイデン政権の基本的な立場は、債務上限引上げ問題は交渉の対象ではなく、議会は無条件で限度額の引き上げを認めるべきだというものであった。共和党の脅しに対して、バイデン大統領は交渉を拒否してきた。

 だが、事態はますます悪化し、イエレン長官が直接マッカーシー議長宛ての書簡の中で危機的状況が起こりうると指摘した。デフォルトの危機が現実化する状況の中で、最終的にバイデン大統領とマッカーシー議長の間で直接交渉が行われ、「合意」が成立した。共和党が主張する歳出削減の一部と民主党が主張する福祉予算の維持という“痛み分け”の妥協である。実際のところ、債務上限の引き上げ問題は大した問題ではなく、あくまで政治的な手段に使われたにすぎなかった。

 ただ「合意」に達したからと言って、6月5日に迫っている財務省の資金が底を突く現実に変わりはない。2週間のうちに議会が合意に基づいて予算案に賛成し、債務上限の引き上げを決めなければならない。その意味では、まだ危機は去っていないのである。今後の議会の動きを検討する前に、「暫定合意」の内容を理解する必要がある。

「合意」にはどんな内容が盛り込まれているのか

 共和党と民主党の政策論はお互いに相容れないものである。共和党は福祉関連の歳出削減と富裕層の減税、軍事予算の増加、財政赤字削減を主張しているのに対して、民主党は福祉予算の確保など拡張的な財政政策を求めている。バイデン大統領も、マッカーシー議長も交渉で「自分が勝利した」と語っている。では、具体的に「合意」にはどんな内容が盛り込まれているのか。

 まず当面の課題である債務上限引上げ問題に関して、今後2年間、すなわち2025年まで同じ問題が起こらないように限度額を引き上げることで合意した。この合意によって、次の大統領が誕生するまで同じ問題は起こらないことになる。具体的に言えば、予算審議と同時に債務上限を引き上げることで、債務上限引上げを拒否して、予算執行を人質に歳出削減を迫ることはできなくなる。共和党は債務上限引上げを戦術として使えなくなる。ただ2024年の議会選挙で民主党が下院の過半数を取り戻せないと、共和党は再び同じ戦略を使う可能性はある。

 予算に関して、非軍事関連の裁量的支出の水準を2022年度の水準にまで戻すことで合意している。現在、議会は2024年度の予算案を審議中である。合意は、2023年度予算で膨らんだ支出を2022年度の水準にまで抑えることを意味する。また民主党の重要政策である福祉関連の予算は、今後6年間、増加率を年率で1%に抑えることになる。ただ2025年度以降、こうした歳出の上限設定は適用されない。

 「合意」では、非防衛関連の支出も横ばいに維持することになっている。マッカーシー議長は社会保障や医療保険関連の予算の削減と軍事費と退役軍人に対する支出の増加を主張していた。共和党が増額を要求する軍事予算に関しては、2024年度はバイデン政権が提案している9000憶ドルがそのまま認められる。また退役軍人に対する医療関係の支出の増額は認められている。全体の歳出削減の規模と期間は議会の審議で議論され、決定されることになる。

 民主党と共和党が最も先鋭に対立しているのが、福祉政策の取り扱いである。今回の「合意」には福祉関連の支給に関する「受給資格(work requirements)」の変更が含まれている。共和党の主張を受けて貧困層の受給資格の厳格化が行われることになった。具体的には、は貧困者に対する「補助的栄養支援プログラム(フード・スタンプ)」の受給要件として仕事を探していること、適用対象年齢を50歳から54歳に引き上げる変更が行われる。ただ、この変更は2030年に廃止されることになっている。さらに「貧困家族のための一時支給プログラム(Temporary Assistance for Needy Families)」では受給要件の強化が盛り込まれ、その結果、受給対象者が100万人減少するとの見方もある。民主党議員は、こうした福祉プログラムの変更に対して批判的な態度を取っている。他方、「合意」には、共和党議員が提案していた「高齢者や障碍者を対象とする医療保険制度(Medicare)」の受給資格の見直しは含まれていない。これに対して共和党議員は反発している。

 「合意」には内国歳入庁の予算の削減が含まれている。民主党が2023年度に税の抜け穴を塞ぐために税務官の数を増やすために今後10年間に同庁の予算を800憶ドル増やすことを決めているが、「合意」には、この予算措置の見直しは含まれていない。これに対しても共和党議員は反発している。

 「合意」には「インフレ削減法(the Inflation Reduction Act)」の中に含まれている「環境条項」の変更は含まれていない。環境条項ではクリーンエネルギーを実現されるための様々な措置が盛り込まれている。共和党は債務上限引上げを認める代わりに、「環境条項」の廃棄を求めていた。だが、「インフレ削減法」はバイデン政権の最大の成果のひとつであり、大統領は共和党の要求を拒否した。これも共和党議員に取って不満の残る合意となっている。

 また、「合意」には新税の導入にも触れられていない。バイデン大統領は増税による財源の確保を主張していたが、それは盛り込まれていない。マッカーシー議長は「新税はない、新しい政府プログラムもない」と語っており、民主党が主張する富裕層に対する増税も含まれていない。

共和党議員と民主党議員の双方に不満が残る

 メモリアル・デイの議会の休会で選挙区に戻っていた議員は週明けの火曜日30日にワシントンに戻ってくる。そして「合意」の内容の精査を行うことになる。上記のように合意内容は両党の議員を完全に納得させるものではない。両党の議員が諸手を上げて「合意」に賛成するとは思えない。

 既に批判の声が上がっている。マッカーシー議長は議長選挙の際、「フリーダム・コーカス」の要求を受け入れ、議会運営規則に「72時間ルール」を加えた。その内容は、投票が行われる72時間前に法案を議員に提示しなければならないというものである。それは各議員が十分に法案を読み込む時間でもある。マッカーシー議長は早ければ31日に下院総会で一気呵成に法案の投票に持ち込もうとしているが、共和党議員の反対に加え、「72時間ルール」もあり、その思惑が実現するのは難しいだろう。

 債務限度引上げ問題を政治化した張本人のひとりであるトランプ前大統領は5月19日に自らのSNSの「Truth Social」に「共和党は欲しいものをすべて得ることができなければ、債務限度引上げの交渉を行うべきではない」と投稿し、共和党の強硬派を煽っていた。トランプ前大統領の主張に共鳴するように共和党のダン・ビショップ下院議員は「債務上限引上げの代わりに何も得ることはないのに、マッカーシー議長に祝辞を述べるのは名目だけの共和党員で、本当の共和党員ではない」と冷ややかなコメントを出している。

 ケン・バック下院議員も「債務上限引上げで敗北したことに驚愕している。2025年1月に債務残高は35兆ドルに達する。これは完全に受け入れることはできない」とツイッターで書いている。共和党のマイク・リー上院議員もツイッターで「大幅な歳出削減と予算改革が含まれない債務上限問題に関する交渉を阻止するためにあらゆる手続きを行使する。法案は上院で円滑に審議されることはないだろう」と書いている。

 民主党議員は身内のバイデン大統領に対する批判を抑制してきた。今回の交渉に対しても、ナンシー・ペロシ前下院議長は「バイデン大統領と議会民主党は党内対策や民主党の価値のために果敢に戦い、多くの物を得た」と好意的に評価する声もあるが、「合意」の内容が明らかになるにつれて、リベラル派の議員から批判の声が出始めている。民主党リベラル派のグループ「プログレス・コーカス」の指導者プラマリ・ジャパパル下院議員は「私のグループは合意を支持しないだろう」と発言している。民主党のアキーム・ジェフリーズ院内総務は「もし合意が民主党の価値を損なうものであるなら、民主党は合意を自動的に支持するものではない」と語り、さらに「合意の内容で民主党にとって良いことは一つもない」と、「合意」に対して厳しいコメントをしている。

「合意」に基づく法案が可決される可能性はあるのか

 時間は残されていない。党内の不満を抑えるために再交渉を行う時間はない。6月5日が期限のリミットである。バイデン大統領とマッカーシー議長は、それぞれ党内の支持を固める必要がある。

 法案採決に対して様々な見方がある。共和党のマット・ゲーツ下院議員は、共和党の約150議員と民主党の約100議員が「合意」に基づく法案に賛成すると見ている。合計で250票である。下院の総数は435議席であり、法案が成立する過半数は218である。同議員の予想が正しければ、過半数は確保できる。ただ民主党のジェフリーズ院内総務は「何人の共和党議員が賛成票を投じるか不明だ」と慎重な見方をしている。民主党内からも反対票が出てくる可能性がある。ゲーツ議員の予想が当たるとすれば、民主党議員の100名以上が反対することになる。バイデン大統領の指導力が問われる事態である。

2011年にオバマ政権下で同じ問題が起こった時、最終的に法案は257票を得て可決された。その時、賛成票を投じた共和党議員は242議員のうち85名であった。現在の党派別議席数は共和党222議席、民主党212議席である。仮に民主党議員が全て賛成し、共和党議員の6名が賛成票を投じれば、法案は可決される。共和党穏健派議員の動向と、リベラル派民主党議員の動向が注目される。

仮に法案が成立しない場合、株価とドル相場の暴落が起こる可能性は残っている。まだ危機は去っていないのである。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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