芸人として生き、文筆家としても発信を続ける水道橋博士さん(58)。今年3月から配信ライブ「アサヤン~阿佐ヶ谷ヤング洋品店」を立ち上げ、毎回世間を驚かせるゲストを自らブッキングしています。「58歳と言うとオワコンと思われる年齢なんだろうけど、ギブアップせずに続けたい」と語る原動力は師匠・ビートたけしさんへの思いでした。

オワコンにならない

 今年3月で30年ぶりに地上波のレギュラー番組がゼロになりまして(笑)。

 だったら、バラエティ番組を自分で立ち上げてやるという気概で配信ライブ「アサヤンー」を始めたんです。

 3月18日から、今決まっている8月18日までで計20回、やることになっています。週イチなので、かなりのペースではありますよね。ま、ムキになっちゃってるんですよ(笑)。

 ライブはライブハウスで2時間半のショーとして収録して、配信、その後、YouTubeで一時間番組として流しているんですけど、まだまだ黒字化はしてないです。ただ、植木等風に♪そのうちなんとかなるだろう〜と。根本的にクオリティーはあると思っているので。

 書く方の仕事もライフワークの藝人春秋の新作を秋までには次々と出版予定だし、仕事が「ない」状態から、待機しないで、自ら動いて仕事を生む、「ある」状態に意識してシフトしました。58歳という年齢を考えると静かにフェードアウトしていってもいい年代なんでしょうけどね。

 ただ、これがね、子ども3人を全員私立の学校に通わせてるんですよ(笑)。中学1年、中学3年、高校3年。ここから大学にも行くだろうから、まだまだお金もかかるし、それは老体に鞭打って働くことのモチベーションになってます。

 今までもルー大柴さん、松村邦洋君、ターザン山本さん、前田日明さん、近田春夫さん、泰葉さん、町山智浩さん、ダースレイダーさんなどゲストは豪華だし、先月28日には「キングコング」の西野君が出てくれました。

 今度、アントニオ猪木対モハメド・アリ戦から45周年の日にあたる6月26日には古舘伊知郎さんの出演が決まり、7月20日「2016年の週刊文春砲」と題した回には東野幸治君が出てくれることになってます。

 ま、その他にも世間が驚くような大物を引っ張ってきますから、期待してください。このライブに関しては事務所は関わらず、全部企画して、自分で出演交渉をして、台本を作って、あらゆる経費も自腹でやっています。

 そんなやり方だから、この数カ月は今まで以上に忙しいけど、本当に楽しいですよ。「仕事が減ったなぁ」と言って何もしないのではなく、フル回転で能動的に動いてますから。手ごたえもすごくありますし。

 あ、そうだ。6月13日には、昔のボクの司会の「博士の知らない」シリーズのテレビのスタッフが集まって、「博士の異常な対談」がスタートしてます。これはちょっとアカデミックな内容になると思いますし、ゲストも文化人系で豪華になると思います。

 第一回目が元週刊文春の編集長・新谷学さん、二回目が元東京都知事の猪瀬直樹さんが収録済みですね。これもテレビ番組ではないけどクオリティーはテレビと変わらないです。

 58歳というと、視聴者層的には“オワコン”と思われるという自覚はあるんだけど、だからといって「自分はオワコンだから」と言ったら、本当にオワコンになっちゃう。伸びしろは自分で見つけて、なんとかギブアップはせずにこれを続けていこうと思っています。

師匠への思い

 本当の話、「自分に伸びしろがない」と思っている人は表現者をやめた方がいいと思います。ボクはたけしさんを見て、いつもそれを思うんですよ。

 あそこまであらゆることを極めた上で、2~3年前には「次は小説をやる」って宣言して、70歳を超えてからでも芥川賞をとってみたいと夢想しているんです。もう今までに200冊以上の本を出版しているのに、ほとんどが口述筆記だから、新作小説のコピーは「はじめて自分で書いた!」ですからね(笑)。

 でも本当に夢中になって毎日、書かれていて、もうハイペースで5〜6冊出てますからね。オレは、今から小説をやろう、とかそう思えることが才能なんだと思うんです。

 あそこまでいくと、もう“降り方”を考えるというのが普通なんだけど、まだ新たに登ろうとしてますからね。あきれるくらい、その衝動がありますもんね。ボクは完全にそれを見習っています。

 ただ、事務所を辞める以前は、頻繁にお会いしていたんですけど、今は、たけしさんとは1年くらい会ってないんです。

 それでも、今も師弟のつながりを持ってると思っていますし、たけしさんもボクが体調不良で休んでいるときには、「俺が直接、書くとアイツのプレッシャーになったら困るかから」って、人を介して間接的にエールのお手紙をくださいました。病床で震えるほど感激しましたね。

 師弟関係が変わるということはないですよ。何があろうが。ボクは、ビートたけしという師匠以外では芸人をやっていないので。お笑いをやりたいと思ったのではなく、ビートたけしという師匠の下に行きたいと思ったから、お笑いをやっているので。ボクはビートたけしに弟子入りした時点で「ゴール」を叶えているんです。そこの軸はぶれません。

 両親が亡くなってから特に人生のなかで師匠を持った生き方がいかに素晴らしいことだったかと思います。ボクは歳を取れば取るほど、この徒弟制度って古めかしい様式への愛着を深めていますからね。

60歳までにやること

 来年で60歳になりますけど、それまでにやりたいと思っていることもあります。コンビとしての「浅草キッド」ももう一度形を整えて作り直したいし、老漫才師としてずっと浅草の寄席に出るというのは、今のお互いの立場や活動を考えると難しいのかもしれないけど、何時でも「やれる」という形は整えておきたいというかね。だって解散しなきゃいけない理由なんて何もないし。

 あとは、若い人間を育てるということですね。「浅草キッド」はもともと「浅草お兄さん会」という若手ライブをずっと主催していたし、そういう畑を作って先輩が耕せば、やがてそこから「東京ダイナマイト」やら「マキタスポーツ」や「米粒写経」、「U字工事

」、「プチ鹿島」らいろいろな面々が花を咲かせるように育っていった。

 もちろん、彼らの実力ですけど、最初に先輩が耕す畑は必要なんですよ。ボクらが関東高田組、高田笑学校という場所で高田文夫先生に厳しく育てられたように。

 だからね、今はウチの事務所の若手芸人をキャーキャー言われるようなアイドル的な存在にもにしようと思っているんです。その場をドンドンと作っていきたいです。

 それをね、つまみ枝豆社長には相談してるんですよ。ただ、ウチの事務所「TAP」のライブやっているので、そこと相乗効果を生むように、どんどん、若手に「場」を作ってあげたい。

 オレたちがやっていた「浅草お兄さん会」がなんで成功したのかというと、オレたち「浅草キッド」がトリをとるからです。

 生きのいい若手とか、その時の「M-1」王者や他の事務所から実力者も出てくるけど、それを迎え撃ち絶対にオレたちがトリをとって、しっかり笑わせる。トリは譲らなかった。高田笑学校も同じです。大ベテランから超一流の旬の芸人が出たけど、20年、「浅草キッド」がトリをとり続けた。そうやって模範を見せるからこそ、若手がボクらのアドバイスを聞くんです。

 「場」を作るなら、自分たちも腕を見せないといけない。それがマネージャー主導では駄目です。ネタのチェックを芸人ではないマネージャーがやったりとか、それはたけしさんが一番嫌ったことですからね。それなので、そこは枝豆さんにも言いました。「これはありえないですよ」と。枝豆さんも「そうだよな」と分かってくれました。TAPはもっと風通しが良くなりますよ。

 とにかく、芸人を育てるのは、場数を踏む、に決まっています。鎬を削っている若者の数、そして場数、絶対、吉本には勝てません。だったら、もっともっと「場」を与えないと。

「オレが一番汗をかく」

 そう考えると、今、本当にバタバタなんですよね。でもね。ボクが新しいことを自腹の持ち出しでやり始めると「だったら、手伝うよ」という人が次々と現れるんです。もう「七人の侍」みたいですよ(笑)。次々に有志が集まってきてくれて。ゲストだけでなく、

スタッフも。

 手を差し伸べてくださるのは、本当にありがたいです。ただ、ボク自身としては「手を差し伸べてください」「助けてください」と自分で言うのもイヤなんです。「ボクが先頭に立つ代わりに誰よりも一番汗をかきます」という形でしか、しっくりこないというか。

 ただ、実際、こんな状況でも素晴らしい方々が手伝ってくださるというのは、自分で言うのもアレですけど、ボクが過去に仕事に向き合ったときに、中途半端なインチキなことをしてこなかったからだと思います。

 何より、自分自身がいい加減なことをしたくない性分なんですよ。人間関係で不義理もしたくないし。「アイツには会えない」とか共演NGとか絶対にしません。

 というか、芸人の世界って、本来、そうできてるんですよ。先輩は別に「恩返ししてくれよ」ということじゃなくて後輩のためにしてやるし、スタッフも「売れてくれ」と期待をかけてくれるわけです。後輩はそれを恩義に感じて「売れる」ことで「恩返しをしよう」となるし。スタッフさんの顔も立つ。

 そういう真っ当なことを思いを続けているだけでもあるんですけど、「売れなくなると人が去っていく」って言うけど、それが今回のような形で、次々と協力者が現れると、それはそれで嬉しいものですけどね。

 何にしても、まだまだ頑張らないといけないので、毎日早起きして日記を書いて、散歩部を作って、一日に2万歩平均で歩いて、ジムで泳いで整体に行って、バリバリと体力もつけていますよ。そして、今年から腸を元気にする腸活も始めました。

 これがね、今のところ大成功で、納豆、キムチ、ヨーグルトなどの発酵食品中心の食事をするようにしてるんですけど、トイレで便がうなぎ屋さんの暖簾の「う」の字みたいな一本糞がきれいに出てます。その前までは酒の飲みすぎで噴霧器みたいになってましたからね(笑)。

 あとね、よく「腸は第二の脳」と言われたりもしますけど、それがよく分かります。脳のシナプスがパッパッパとつながっている感覚が今、すごくあるんですよ。

 この前もね、1991年に行われたUS大山空手と正道会館の5対5マッチの話をしていたら、その時の情景が全部出てくるんですよ。30年も前の話だし、その当時以来、一回も開けたことがないアタマの引き出しなのに記憶がスラスラ出てくるんです。自分でも驚き

ました。いや、本当にね、こんなことがあるんだなと思いましたよ。年取ってから、記憶や認知機能、どんどん衰えていくのに歯止めがきかなかったのが、オレの腸も脳もまだまだ伸びしろがあったんだなと思いました(笑)。

 ま、ボクがやる気マンマンでバリバリと過剰に動き回ると、「博士が元気すぎて心配」とかネガティブなこと言われたりしますが、そんなことを言われるのが、もうボクの芸人人生で「標準なこと」なので気に留めません。

 いずれにしろ、心身共に充実してきているんで上昇気流でやりたいです。58年も生きていると、自分が病気なとき以外は、ずっと仕事をしてしまうワーカホリックな体質だと分かるんです。

 それに銀座に行きたいとか、ゴルフや麻雀やギャンブルやリゾートで息抜きしたいとかも思わないし、キャバクラや風俗でもてたいとかも、もうなくなった。政治家や実業家に転身したり、副業で食べたいとも思わない。

 ただただ、シンプルに芸人として、人前でステージに立って笑ってもらいたい。数少ないかもしれないけどボクのファンを喜ばせたい。本は大好きだから後世に残る本を書き残したい。そのためにはコツコツやる以外はない。日常は地味だ、地味だって言われる爆笑の太田光と変わらないんです。

 それと、安い酒場で芸人同士で馬鹿話をしながら飲む。後輩には奢ってあげられる程度のお金は稼いで、本と映画と舞台を見てるだけ、それに大好きなラジオを聴く、もうそれで幸せなんです。

(撮影・中西正男)

水道橋博士(すいどうばし・はかせ)

1962年8月18日生まれ。岡山県出身。本名・小野正芳。株式会社TAP所属。ビートたけしにあこがれて上京し、たけしと同じ明治大学に入学するが4日で中退。たけしに弟子入り後、浅草フランス座での活動を経て、87年に玉袋筋太郎と漫才コンビ「浅草キッド」を結成する。テレビ朝日「ザ・テレビ演芸」で10週連続勝ち抜き、92年からテレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」で注目を集める。今年3月から有料配信、YouTubeなどあらゆる展開を見せるライブ「アサヤン~阿佐ヶ谷ヤング洋品店」(通称・アサヤン)を定期開催。6月からYouTubeチャンネル「博士の異常な対談」も立ち上げている。