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脱出するなら50歳代で~限界ニュータウンに取り残されないために

中村智彦神戸国際大学経済学部教授
郊外の戸建て住宅も「縮活」の対象になる(写真:イメージマート)

買い物難民や限界ニュータウンなどが、社会問題、経済問題として取り上げられるようになってきた。そんな中で、筆者も、そうした地域に住む知人たちから、相談を持ち掛けられることが増えている。今回は、50歳代で生活を縮める「縮活」によって、郊外住宅地からの脱出に成功したある夫妻の事例から考えてみたい。

不動産業者が郊外住宅を勧めない理由

 ある関西の不動産業者は、「原則として、大都市中心部から鉄道で30分以上かかり、さらにその駅からバスで20分以上乗らなければならないところは、限界ニュータウン化する可能性が高い。私は、よほどの理由がない限り、自分のお客にこれからそういう場所の住宅の購入は勧めない」と言う。

 この不動産業者は、「将来の資産価値を考えると、マンションは駅近のみ。戸建てならば、駅から徒歩15分、タクシーを使えばワンメーターくらいで行ける範囲にした方が良いとお客には話している」と指摘する。

 もちろん、これから住宅を購入する予定の人には、良いアドバイスだが、すでにこうした土地に住宅を購入している人は、どうするべきなのだろうか。

 実際に愛知県内の郊外ニュータウンを脱出し、名古屋市内のマンションに引っ越したAさん夫妻の事例から考えてみたい。

かつては理想の住宅だったが

 現在、名古屋市内のマンションに住むAさん夫妻は、郊外住宅地からの「脱出」に成功した家族だ。今年60歳のAさんの一人息子は、首都圏の大学を数年前に卒業、東京の企業に就職し、地元に戻るつもりはない。

「万が一、こちらに戻ってきたとしても、あんな不便なところには住まないよと言われてしまいました。」

 30歳代半ばで、親戚の紹介で土地を購入し、当時幼かった子供のためにと、庭付き一戸建ての家を建てた。

「子供の部屋もあり、庭で犬も飼えるしと、間取りも夫妻で考えて、当時は理想的な家だったのですよ。」

Aさん夫妻は共稼ぎで、毎朝、自宅から車で15分ほどの駅近くに借りた駐車場まで行く。そして、そこから電車に乗り、さらに地下鉄に乗り換えて、職場に通っていた。自宅から歩いて5分ほどのところにバス停があるが、朝夕は道路が混み、バスの定時運行が難しいため、自家用車で駅まで通っていたのだ。

「なんだかんだでドアツードアで1時間半ちょっとでしたね。特にめんどうだとか、しんどいだとか思ったことはありませんでした。」

 そうした生活に不安を感じるようになったのは、子供が大学を卒業した頃だった。

「ちょうど、コロナ禍の少し前でした。私も妻も、50歳代半ばとなりそれぞれの職場で管理職となり、多忙になってきたこともあります。さらに、夫婦で立て続けに交通事故を起こしてしまいました。大した事故ではなく、車に擦り傷が付いたくらいなのですが、それで急に先々のことが不安になってきたのです。」

 こんなこともあった。ある大雨の時、郊外に向かう鉄道の運休を心配していた妻は、職場で同僚たちの話を聞いて、驚いたと言う。「自分の職場の40歳代から下の若い世代のほとんどが市内に住んでいるんです。中には、自家用車も持っていないという若い世代もいて、話には聞いていた都心居住が本格化しているんだなと思いました。」

 Aさんは、「子供もいなくなり、50歳代半ばになって夫婦ともども定年退職を迎える時期が迫ってくると、理想だった家も大きすぎるように感じられて。終活はまだ早いものの、生活をスケールダウンする縮活を考えようって、夫婦で話し合ったんです。結果的にそれが良かったんですよ」と言う。

名古屋市内中心部にもマンションが増え、都心居住者も多くなっている。(撮影・筆者)
名古屋市内中心部にもマンションが増え、都心居住者も多くなっている。(撮影・筆者)

「すぐ売って引っ越した方がよい」

 Aさん夫妻が家を建てた地域は、「限界ニュータウン」になるには、まだ時間的な余裕があると思っていた。しかし、不動産などに詳しい知人に相談すると「なにかしがらみがないのなら、すぐに引っ越した方がよい」と言われたのだ。

「今後、急速に限界ニュータウンになる条件を複数持っていると指摘されました。確かに、鉄道の駅から離れており、バスの便も便利とは言えない。多くの人たちは生活を自動車に依存しており、自分たちのライフスタイルを顧みても、納得できるものがありました。実際、自分たちの老後の生活を考えると、とても不安になりましたから。」

 その知人は、夫妻の住む地域と条件的には大差ない近隣地区の中古物件の販売広告を並べて見せた。そこには、夫妻が思っていたよりも、かなり低額で売りに出されている物件が多数あった。

「自分たちが住んでいる地域でも、所有している住宅も価格を下げても売れなくなる可能性が高い。それはなんとなく気になっていたことでした。」

 Aさんは言う。そして、Aさんの妻も、「病院に行くにも住宅街の中に医院は少なく、車に乗っていかないといけない。徒歩圏内には小型のスーパーが一軒しかない。車を手放せば、徒歩圏内では生活をやっていけないことは、前々からは判っていたのですが」と言う。

「残る理由」はあるか

 知人がAさん夫妻に聞いた「しがらみ」とは何か。

 この土地に家を建てたのは、親戚が所有していた土地を安く譲ってもらえたからで、夫妻ともに何のゆかりもないところだった。Aさん夫妻は共稼ぎで、一人息子は、近隣の小学校には行ったが、中学校、高校は私学に通わせたので、家族全員、地域にこだわりも薄かったという。

 Aさんの妻は、「ご近所も良い方ばかりでしたし、何の問題もなく暮らしてきたのですが、夫婦で、この先、車が運転できなくなった時を考えたら、親兄弟が近所にいるわけでもなく、不安だよねとなって」と言う。

 「ここに残る理由はなんだろうって、夫妻で話し合いました。そうしたら、特にないねとなったのです。」

 それが知人の尋ねた「しがらみ」だった。「知人に相談した後、いろいろな住宅地で起こっている問題とかを夫妻で勉強したりして、話し合ったんです。確かに限界ニュータウンと呼ばれる住宅地で住民が協力して街を維持していこうという取り組みは素晴らしいし、素敵でもあるなあとは思ったのですが、私たち夫婦には、そこまでの思い入れはないという結論に達したのです。」

「賃貸で借りていたら」と考える

 このAさん夫妻のことを聞いた首都圏のある不動産業者は、「ラッキーでしたね。最近は、郊外から駅近の物件に引っ越したいと希望される高齢者の方が増えているのですが、ローンの支払いが残っていて、売却しても完済できないとか、あるいは最悪の場合、買い手そのものが付かないということで、断念されるケースも少なくありませんから」と言う。 

 Aさん夫妻にとって、幸いだったのは、住宅ローンをAさんの両親が亡くなった際に両親の所有していた住宅を売却し、それで全額繰り上げ返済していたことだった。売却して得た金額に、預貯金の一部を上乗せして、都市中心部の中古マンションを購入することができた。

 首都圏の不動産業者は、「乗用車を購入してから5年後に中古車として売却する時に、買値で売れると考える人はいませんよね。どうして住宅は、買った時の値段で売れないと損をしたと考えるのでしょうか」と話す。さらに、「もちろん、最近でも儲かったという人もいるでしょうけれど、それは例外ですよ。住む家は必要なんですから、購入していなければ賃貸していたわけで、賃貸に必要な費用分は、安くなっていても、プラマイゼロでしょ。もし、賃貸するより、安くすんだのなら、ラッキーということですよ」と言う。

 Aさん夫妻も、自分たちがこだわり、大手ハウスメーカーで建てた家の売却にあたって、購入価格よりも大幅に安くなっていたことには、少し残念だったという。しかし、「この家を賃借していたとしたら、20数年間でいくら払っていましたかと聞かれて、はっとした」と言う。庭付き一戸建て5LDKの住宅を借りれば、その地域でも月に15万程度は下らない。仮に15万円だとしても、年間に180万円、20年間では3600万円に上る。「そう考えたら、むしろ得だったじゃないかと、気が少しは楽になりました」とAさんは言う。

毎日の通勤は、思いの外、疲れるものだ。イメージ。(撮影・筆者)
毎日の通勤は、思いの外、疲れるものだ。イメージ。(撮影・筆者)

「縮活」は体力勝負

 Aさん夫妻は、2019年夏に5LDKの戸建て住宅を売却し、名古屋市内の3LDKの中古マンションに移った。これまでとは異なり、地下鉄の駅から数分、さらにはマンションの前には市バスのバス停もあるという好立地だ。

 「引っ越すまで、通勤であんなに疲労していたことに気が付かなかった」とAさんは笑う。Aさんの妻も、「朝夕のイライラがなくなったし、医院もすぐ近所にあり、安心」と続ける。「妻と私と、それぞれが一台ずつ持っていた車も、一台にして、それも最近ではほとんど使わなくなっているんで手放そうかと相談しています。近所のコインパーキングにカーシェアリングがありますしね。」

 当然ながら5LDKから3LDKに狭くなったために、家財の整理も必要だった。引っ越しに合わせて、家財の処分を行った。売れそうなものは、中古品の専門業者に持ち込み、その他の物は、軽トラックをレンタカーで借り、ゴミ処理施設に数往復して処分した。

 「真夏に、汗だくになりながら、よく頑張りましたよ。5年前で良かったなあと言ってるんです。夫も私も頑張れたなあと。5年経った今だと、体力的に無理かも」と、Aさんの妻は笑う。

 終活には、まだ早く、あくまで縮活、まだまだ持っておきたいものも多い。その分類も大変だったと言う。郊外の住宅から脱出するのには、「縮活」は不可欠だ。しかし、そのためには「体力」と「気力」が必要だと二人は強調する。「私たちは、ちょうど50歳代の半ばでそれができた。あの時には気付かなかったが、5年経ってみて、本当に幸運だったと、今、考えている」とAさん夫妻は口を揃える。

体力、気力があるうちに

 Aさん夫妻が、郊外住宅を脱出し、市内のマンションに移ったことは、同僚や知人なども知ることになった。

 「悩んでいるんだけど、相談に乗ってくれないかという同世代の人たちが、思いのほか多いことにも気づきました。」Aさんは言います。

 しかし、資金面はもちろん、心情的に引っ越しを決断できない人も多い。Aさんに相談してきた知人の一人は、もうすぐ定年退職を迎える。数年前に妻を病気で亡くし、郊外の住宅に一人で住んでいる。子供は独立し、同居する意思はない。

「退職後の生活が不安で、なんとかしたいのだけれど、まだまだ仕事も忙しいし、片付けようと思っても、長年住んだ家には思い出も多くてと言うのです。そういう方は多いと思います。」

 そうこうしているうちに、周囲からは潮が引くように人々が減り、気が付いた時には「限界ニュータウン」、「限界住宅地」になってしまっているのだ。Aさん夫妻は、自分たちの経験から、「気力、体力があるうちに引っ越すべきだ」と強調する。

限界ニュータウンに取り残されないためには、50歳代で「縮活」を

 かつては地方の過疎地域で起きたような問題が、次第に大都市近郊のニュータウンや住宅地で起きつつある。Aさんの妻は、「正直言って、知人と相談することで客観的に自分たちの住んでいた地域の現状が判り、定年後の生活を考えたことで、夫妻の間で危機感というか、正直、怖いなという気持ちが共有できたのは良かった」と言う。

 Aさんは、「50歳半ばで、縮活に踏み切れ、転居したのは、本当に運が良かったと思う」と言い、さらに「知人たちや、実際に不動産業の人などと話していくうちに深刻な状況だということが理解できた。確かに、自分たちが住んでいるところが衰退するなんて、見たくない。知りたくないことは、極力避けていたし、妻ともなかなか正直に話し合えなかった。今は、自分たちの住んでいる所は大丈夫だという根拠のない安心感を持たないことが大切だと、後輩たちに話しています」と言う。

 2000年代に入り、人口が急減少の局面に入っている。今後、人口急増期に開発された郊外住宅地において、住宅余りが深刻化する。愛着ある地域に住み続け、地域活動に参加し、居住環境の維持に取り組むという選択肢もある。しかし、一方で問題が深刻化する前に脱出するという選択肢も、個々人にとっては重要なのではないだろうか。

 Aさん夫妻の事例は、幸運な条件がかさなっていたこともあるが、全国の郊外住宅地に住んでいる50歳代の人たちにとっては、参考になる点も多いのではないだろうか。そのため、Aさん夫妻の許可をいただき、個人を特定できない範囲で、今回はご紹介した。限界ニュータウン、限界住宅地に、今、まさになりかけている地域に居住している人たちの検討の材料になればと思っている。

神戸国際大学経済学部教授

1964年生まれ。上智大学を卒業後、タイ国際航空、PHP総合研究所を経て、大阪府立産業開発研究所国際調査室研究員として勤務。2000年に名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程を修了(学術博士号取得)。その後、日本福祉大学経済学部助教授を経て、神戸国際大学経済学部教授。関西大学商学部非常勤講師、愛知工科大学非常勤講師、総務省地域力創造アドバイザー、山形県川西町総合計画アドバイザー、山形県地域コミュニティ支援アドバイザー、向日市ふるさと創生計画委員会委員長などの役職を務める。営業、総務、経理、海外駐在を経験、公務員時代に経済調査を担当。企業経営者や自治体へのアドバイス、プロジェクトの運営を担う。

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